建設計画の審議
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1971年(昭和46年)9月27日、江東区は進まない計画に苛立ちを募らせ、江東区議会においてごみ持ち込み反対決議を行った。これに加えて江東区は、都庁と22区宛てに「自区内で処分場をもつという原則に賛成か反対か」という内容の公開質問状を送付し、返答の対応が不十分な場合はゴミ搬入を阻止することを決定した。これを受けて翌9月28日、美濃部亮吉は東京都議会で「ゴミ戦争」を宣言し、都内各地への処分場分散などによる問題解決への決意表明をした。 1972年(昭和47年)に美濃部は反対地区住民との対話を重視する姿勢を打ち出した。杉並区については強制収用を執行せず、計画を白紙撤回し改めて地区を選定し直した上で、区職員や有識者などで構成する都区懇談会(以下「都区懇」)を設けて地区選定などを諮った。
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