建設計画の凍結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:38 UTC 版)
建設計画浮上から28年後の2003年12月5日、電力3社の社長3人(北陸:新木富士雄、中部:川口文夫、関西:藤洋作)が珠洲市役所を訪れ、産業構造の変化と電力需要の低迷を理由に珠洲原子力発電所の建設計画凍結を珠洲市長の貝蔵治に申し入れた。1993年に要対策重要電源の指定を受けながら、電力会社の判断で建設中止を決定した初めてのケースであった。 建設計画が凍結されたきっかけは、住民の建設反対運動に加え、計画地点での未買収用地が1割から2割残ったことも要因とされている。その後、珠洲電源開発協議会も解散し、原子力発電所の立地騒動は収束した。なお、同じ月には新潟県西蒲原郡巻町(2011年現在の新潟市西蒲区)に建設計画があった東北電力巻原子力発電所も計画を撤回している。
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