建設計画と当初の意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 22:38 UTC 版)
「アウトストラーダ A16」の記事における「建設計画と当初の意図」の解説
当初は現在A14であるカノーザ-バーリの区間と一緒にA17と附番されていたが、A14アウトストラーダ・アドリアティカの完成によりA16と附番し直された。番号の変更は迷信的な理由により提案されたものである。このアウトストラーダがA17だった時には、A16はローマ-チヴィタヴェッキア(現A12)であった。 ナポリとバーリを接続するアウトストラーダの建設は物議を醸した。ティレニア海とアドリア海を接続するための最大の障害はアペニン山脈により形成されている自然であった。事前の計画ではナポリとバーリの間の歴史的接続に似た経路が議論されていた。それは、カンチェッロ方面に国道87号サンニティカをたどり、それからカウディーナ渓谷をあがってベネヴェントに到達する、というものである。ベネヴェントから先については二つの案があった。フォッジャに向かって進むか、アペニン山脈のより南を横切るか、である。後者が選択されたが、標高の高い山岳部の道路設計はかなり困難だった。
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