建設計画から供用開始まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:32 UTC 版)
「紋別空港」の記事における「建設計画から供用開始まで」の解説
1952年(昭和27年)に策定された第一次北海道総合開発計画および1956年(昭和31年)に制定された空港整備法により、北海道内でも地方空港が相次いで建設された。交通体系の整備が遅れていた遠紋圏でも道央と直結する航空路線、すなわち空港を建設する機運が高まった。1960年(昭和35年)より関係町村などが、第2次鳩山一郎内閣で北海道開発政務次官を務めた紋別出身の松田鉄蔵の後押しを得て、運輸省航空局や北海道開発庁に必要性を訴えた。この結果、1962年(昭和37年)に策定された第二次北海道総合開発計画で設置が取り上げられ、調査費が計上された。 建設地はいくつかの候補が挙げられ、調査の結果1927年(昭和2年)8月に東京飛行機学校の練習機が飛行機の普及目的などで飛来した実績があるコムケ湖とシブノツナイ湖に挟まれた347,986平方メートルの平坦地に決定した。1963年(昭和38年)10月21日に起工式を行い建設を開始した。工事は順調に進み1966年(昭和41年)5月に竣工した。同年7月21日付の運輸省告示第244号により、北海道内11番目の空港として紋別空港の供用が開始された。総事業費は301.70百万円だった。
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