共同開発計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:44 UTC 版)
「ユーロファイター タイフーン」の記事における「共同開発計画」の解説
1983年にイギリス、フランス、西ドイツ、イタリアに加えてスペインの5ヶ国でEAPを基にした設計に合意がなされ、詳細の協議が始まった。しかし、イギリスとスペインがマルチロール機を希望していたのに対し、西ドイツとイタリアは制空戦闘機を希望していた。これらの設計にはSTOL性能や視界外射程(BVR)戦闘能力も含まれ、F/EFA(Future European Fighter Aircraft)と称した。1985年8月の会議で議論は行き詰まり、F/EFAとは別にイギリス、ドイツ、イタリアの3ヶ国で新たなEFA(European Fighter Aircraft)プログラムが立ち上げられた。 1986年6月にスペインがEFAへ参加し、イギリスと西ドイツにそれぞれ33%、イタリア21%、スペイン13%の作業分担が合意された。生産は1992年開始を目指した。計画は1987年9月に正式な仕様が発行された。フランスは艦上機としての能力を備えることとパワープラントに自国産のスネクマ M88を採用することを最後まで妥協せず、1985年7月に共同開発計画から脱退した。 1986年に計画を管理するユーロファイター社とパワープラントのEJ200の開発を管理するユーロジェット・ターボ社が設立され、EAPの成果を認めたユーロファイター社は1987年以降の試験に資金を提供する事を決定した。運用開始時期は当初計画の1990年代前半から1997年に延びたものの開発はこのまま順調に進むと思われた。 東西統一で、東ドイツ地域のインフラ整備に多額の資金が必要となったことにより、1992年にドイツが開発コスト問題から計画の脱退を示唆、この動きに対し、複数の代替案が検討されたが、代替案のすべてが今まで以上のコストがかかるか、仮想敵機であるMiG-29やSu-27に能力面で劣るものばかりであった。同年年末に開発参加国の国防相会議が開催され従来の計画を維持することを確認した。方針維持の要因として、これまでに投入された資金が無駄になること、外国製戦闘機の導入を行っても大幅なコストの削減ができないこと、参加国の航空機産業からの圧力があった。 計画の推進が確認された後に、政治的な理由から想定運用開始時期を遅らせ2000年からの運用としたため、機体名称の変更が行われた。名称はEFAからEF(Eurofighter)-2000に変更され、1998年には輸出市場向け名称として名付けられたタイフーン(Typhoon)が愛称となった。 ただしこの愛称は、第二次世界大戦においてドイツ空爆に活躍したイギリス空軍の戦闘爆撃機『ホーカー タイフーン』を想起させることから、ドイツでは採用されておらず、単にユーロファイターと呼ばれている。なおBAEシステムズの日本語公式ウェブサイトでは、ユーロファイター・タイフーンと表記されている。 メーカーと名称 イギリスBAe(33%)後継:BAEシステムズ 単座型:タイフーン F.2(ブロック2/2B)/FGR.4(ブロック5以降)複座型:タイフーン T.1(ブロック1/2/2B)/T.3(ブロック5以降) ドイツMBB(33%)後継:EADS-ドイツ ユーロファイター EF-2000 イタリアアエリタリア(21%)後継:アレーニア EF-2000 スペインCASA(13%) 単座型:C.16複座型:CE.16 イタリアとドイツの単座型と複座型は機体ごとのナンバーで識別している。2002年夏から量産が開始された。アフターバーナーなしで超音速飛行を可能としており、機体構成などが他の4.5世代型のヨーロッパ製戦闘機と共通する点が多い。
※この「共同開発計画」の解説は、「ユーロファイター タイフーン」の解説の一部です。
「共同開発計画」を含む「ユーロファイター タイフーン」の記事については、「ユーロファイター タイフーン」の概要を参照ください。
- 共同開発計画のページへのリンク