建設資金と通行料金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:05 UTC 版)
敗戦後の日本は極端に税収が少なく、税金だけで高速道路を造ることは不可能であった。そこでアメリカに倣って、道路の建設は借入金で賄うことで税収不足を補い、返済方法は道路を有料にしたうえで、通行料金収入で返済にあてる方法が画策された。道路とは本来公共物であるから、税金で造って無料で通行できる類いのものである。それを有料にして通行料金を取るというのは、当時は画期的なことであった。こうした道路造りの方法として日本道路公団が発足したのであるが、名神、東名、中央道の公団による建設は、税収の少ない当時の日本において選択しうる唯一の方法であった。よって、東名は当初から有料道路として計画され、それを日本道路公団が建設し、開通後の料金収入で借入金を返済することになった。 東名の概算事業費は3,425億円で発足した。これは、東名全線開通における総事業費3,425億円と同額であり、これほどの大規模工事でありながら、予算枠内で出費を抑えることに成功している。この3,425億円という事業費に対し、1962年度(昭和37年度)における国全体の総道路投資額は約4,000億円であったことからも、東名における事業規模の大きさが解る。1 km当たりの工事費は9.8億円で、これをアメリカの2.25億円、西ドイツの3.5億円、フランスの1.8億円と比べると約3倍となっている。これは日本の特殊事情から来るもので、地質が軟弱地盤、平地面積に比べて山地部が多く、かつ急峻で河川が多い、人口密度が高く土地利用が高度化している事が費用の増加要因として挙げられる。また、東名の延長約350 kmと比較して、東海道新幹線の場合、東京 - 新大阪間約515 kmで、車両を含めてその費用は3,800億円である。距離が短い東名が新幹線に匹敵する費用を要しているのは、鉄道に比べて大きな土地を必要とするからである。 建設資金は東名建設前の見立てでは、名神の2倍(2,442億円)は必要との見地から、日本道路公団はこの巨額な資金調達を名神に引き続いて国際復興開発銀行(世界銀行)からの借款によることを強く要望した。1962年(昭和37年)12月に、大蔵大臣の田中角栄が渡米し、世界銀行総裁と会談した結果、事業費7,500億ドルの借款(名神に続くことから第3次借款)に成功した。続いて、豊川 - 小牧間の第4次借款5,000万ドル、静岡 - 豊川間の第5次借款7,500万ドル、東京 - 静岡間の6次借款1億ドルと全部で4次に渡って借り入れ、合計3億ドル(1ドル=360円の固定相場制、1,080億円)を賄った。従って、東名の総建設費用の32パーセントを外貨に依存したことになる。名神の外貨依存率が約25パーセントであるから、東名においては建設費の財源としてより大きな割合を占めることになった。この借入金は、道路債権に比べて長期かつ低利(償還期間15 - 26年、利率5.5 - 6.625パーセント)であることから、建設費の金利負担の軽減に寄与した。なお、世界銀行以外の借入では、政府出資金(資本金)、道路債権、産業投資特別会計借入金がある。 東名は名神同様、建設資金の関係から通行料金の徴収を行い、完成後20年を目処に建設資金を償還しうるものとされた。通行料金の設定は名神を参考としたが、名神の考え方を東名にそのまま当てはめることは適正でないことから、学識経験者の意見を元に検討した。その結果、長距離てい減制、画一料率制、車種区分などの議論がなされた。 この内の画一料率制とは、同じ高速自動車国道である名神、東名、中央道で料率が異なるのは不合理であることを理由として導入された。これは、それぞれ異なる路線であっても、各路線のサービスはほぼ同質であり、経営主体が同一であることによっている。この画一料率制を基礎として、対距離制で料金徴収することとした。この画一料率制は、のちに採用される全国プール制の先駆けとなる制度であった。なお、制定当時の料率は普通車の場合、1 kmで9.5円、東京 - 横浜間は2割増(後述)の11.4円であった。 また、長距離利用を促進するために該当利用者の負担を軽減する「長距離てい減制」を導入することとしたが、そこへ大蔵省(現・財務省)が横やりを入れた。大都市では建設費が著しく高く(東名の1 kmあたり建設費9.9億円対して大都市近郊は15億円を要した)、東名利用者の利便性が大きいことから、東京 - 厚木間については他区間よりも割高に設定することを要求した。これに対して建設省は、1 kmあたり建設費が15億円以上であることを基準として、東京 - 横浜間のみに適用することを主張して両者は鋭く対立した。大蔵省は他にも、富士 - 焼津間についても要求したが、最終的に東京 - 横浜間のみ割高として、1 kmあたり20パーセント増しとした。一方のてい減率については、走行距離100 kmを超えると交通量が激減するというデータから、100 km以上の交通を対象として、1 kmあたり25パーセントの割引率を導入することになった。これらは1969年(昭和44年)3月17日認可、同月31日より施行された。なお、施行以前は名神とほぼ同様の暫定料金で運用することとした。 建設費を抑えるために東名では様々な試みがされており、オーバーブリッジ(跨道橋)もその例外ではない。東名ではオーバーブリッジが284橋ある。一橋につき、当時の費用で500万円、あるいは1,000万円を要する。多すぎるともとれるオーバーブリッジを整理統合すれば建設費用を抑えることができる。実際、利用頻度の少ない橋も存在するが、住民側の希望として、これまであった横断道路は一本たりとも失いたくないという希望があって、公団としては予算と地元の板挟みにあいながら、交渉を重ねたうえでの妥協の産物が284という橋の数となった。
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