建設資金調達 1893年–1903年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:17 UTC 版)
「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事における「建設資金調達 1893年–1903年」の解説
ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の認可は下りたものの、建設資金となる会社資本の調達は別の問題として残っていた。1892年の議会審議で認可されたウォータールー・アンド・シティ鉄道(英語:Waterloo and City Railway、W&CR)、チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道(英語:Charing Cross, Euston and Hampstead Railway、CCE&HR)、 グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道(英語:Great Northern and City Railway、GN&CR)及び1891年に認可を得たセントラル・ロンドン鉄道(英語:Central London Railway、CLR)も同様に資金調達の問題に直面していたが、この5社に加え、最初の大深度地下鉄であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道も路線延伸のための資金集めをこのころに行っていた。ウォータールー・アンド・シティ鉄道は計画路線延長が短かったことに加え、ロンドン・アンド・サウスウェスタン鉄道(英語版)の支援と、配当保証により資金集めに成功していたが、これは唯一の例外であった。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道及び他の後発4社は1890年代の大半を資金集めに費やしたが、金融市場の反応は薄いままだった。 この種の計画の通例にもれず、1893年法の土地収用と資金調達には期限が定められていた。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道は資金調達と土地収用の期限延長を含む計画案を1895年11月に提出、1896年8月7日、期間延長と、10万ポンドの増資が1896年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法として女王裁可された。 1897年11月、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道は投機的鉱山家であるワイテイカー・ライト(英語版)が経営し、ダファリン候が会長を務めていた鉱山金融会社、ロンドン・アンド・グローブ金融(英語:London & Globe Finance Corporation 、L&GFC)と、取引を行った。ロンドン・アンド・グローブ金融は総額162万ポンド(2014年の1.62億ポンドに相当)と見積られた建設工事資金を提供、工事を管理する代わりに建設工事で得られる利益をすべて得る契約であった。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の経営陣はロンドン・アンド・グローブ金融関係者に入れ替えられ、建設工事が始まった。ライトは金山と銀山の経営を通じてアメリカとイギリスで富を得ており、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道への出資は、資産運用を多様化する狙いから行われた。 1899年、ライトはロンドン・アンド・グローブ金融関連会社の経理を操作し、同社配下の鉱山の赤字を補てんしたが、これを不正に隠匿した。ロンドン・アンド・グローブ金融は1900年11月までにベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道に約65万ポンド(2014年の6281万ポンドに相当)を支出しており、この時点では開業後の年間運賃収入は26万ポンド、運行経費10万ポンド、利子支払い後の配当原資は13.8万ポンドと予測されていたが、このわずか1箇月後にライトの不正経理が明るみに出たことでロンドン・アンド・グローブ金融と多数の関連会社が倒産した。ライトは王立裁判所での公判中にシアン化物による服毒自殺を遂げた。 ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道は未払い分の株式代金の回収を進めることで建設工事の継続をはかったが資金を集めることはできず、工事は徐々に停止、トンネルは建設途上で放棄された。倒産前にロンドン・アンド・グローブ金融はベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道からの利子収入をアルバート・ジョンソンが率いるアメリカ人投資家集団に50万ポンドで売却しようと試みて失敗におわったが、この試みは別の投資家集団を率いるアメリカ人資産家、チャールズ・ヤーキスの関心を引いていた。ロンドン・アンド・グローブ金融の清算人との数カ月にわたる交渉の末、ヤーキスは36万ポンド(2014年の3491万ポンドに相当)に利子を付加した金額でベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道を買収した。1880年代から1890年代にかけて、ヤーキスはシカゴの路面鉄道網の形成に携わったあと、1900年にロンドンに渡り、資金難にあえぐ地下鉄会社を買収した。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道はディストリクト鉄道の電化と地下鉄路線の建設を目的にヤーキスが設立したロンドン地下電気鉄道(英語:Underground Electric Railways Company of London、UERL)の傘下に入った。ロンドン地下電気鉄道はおもにイギリス国外の投資家から株式公開時に500万ポンドの資金を集めた。ロンドン地下電気鉄道傘下各社の地下鉄路線建設工事の進捗に従って株は追加で販売され、1903年までに総額1800万ポンド(2014年の17.3億ポンドに相当)に達した。
※この「建設資金調達 1893年–1903年」の解説は、「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の解説の一部です。
「建設資金調達 1893年–1903年」を含む「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事については、「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の概要を参照ください。
- 建設資金調達 1893年–1903年のページへのリンク