建設資金調達 1893年 - 1903年
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「チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道」の記事における「建設資金調達 1893年 - 1903年」の解説
チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の認可は下りたものの、建設資金となる会社資本の調達は別の問題として残っていた。1892年の議会審議で認可されたベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道(英語:Baker Street and Waterloo Railway、BS&WR)、ウォータールー・アンド・シティ鉄道(英語:Waterloo and City Railway、W&CR)、グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道(英語:Great Northern and City Railway、GN&CR)及び1891年に認可を得たセントラル・ロンドン鉄道(英語:Central London Railway、CLR)も同様に資金調達の問題に直面していたが、この5社に加え、最初の大深度地下鉄であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道も路線延伸のための資金集めをこのころに行っていた。ウォータールー・アンド・シティ鉄道は計画路線延長が短かったことに加え、ロンドン・アンド・サウスウェスタン鉄道(英語版)の支援と、配当保証により資金集めに成功していたが、これは唯一の例外であった。チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道及び他の後発4社は1890年代の大半を資金集めに費やしたが、金融市場の反応は薄いままだった。1894年4月に発行された額面10ポンドの177,600株のうち、わずか451株が売れたにとどまっていた。 この種の計画の通例にもれず、1893年法の土地収用と資金調達には期限が定められていた。個別的法律によって得た権限を維持するため、チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道は議会に数度にわたって期限延長の個別的法律案を出し、1897年、1898年、1900年及び1902年チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道法として女王裁可を得ている。 1897年には建設業者が決定したが、資金不足により着工には至らなかった。1880年代から1890年代にかけてシカゴの路面鉄道網構築で財をなしたアメリカ人投資家、チャールズ・ヤーキス率いる投資家集団がロンドンでの同様の投資機会を求め、チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の救済に1900年に乗り出した。ヤーキスとヤーキスの支援者たちは1900年9月に10万ポンド(2014年の966万ポンドに相当)でチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道を買収、次いで未開業の地下鉄会社を次々に買収し、開業にこぎつけたものの資金難にあえいでいたメトロポリタン・ディストリクト鉄道(英語:Metropolitan District Railway、 MDR)も傘下に収めた。 チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道はディストリクト鉄道の電化と地下鉄路線の建設を目的にヤーキスが設立したロンドン地下電気鉄道(英語:Underground Electric Railways Company of London、UERL)の傘下に入り、ロンドン地下電気鉄道はおもにイギリス国外の投資家から株式公開時に500万ポンドの資金を集めた。ロンドン地下電気鉄道傘下各社の地下鉄路線建設工事の進捗に従って株は追加で販売され、1903年までに総額1800万ポンド(2014年の17.3億ポンドに相当)に達した。
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