ディストリクト鉄道の電化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:16 UTC 版)
「ロンドン地下電気鉄道」の記事における「ディストリクト鉄道の電化」の解説
ヤーキスによって買収される以前、ディストリクト鉄道はインナー・サークルを共同利用していたロンドンのもう一つの半地表地下鉄会社、メトロポリタン鉄道(英語:Metropolitan Railway、MR)と共同で電化の実験を進めていた。アールズ・コートとハイ・ストリート・ケンジントンの間の一部の路線が4線軌条方式で電化され、両社共有の試験列車が1900年2月から11月にかけて運行された。この試験で電化運転の実用性が確認され、電化方式の検討を行う両社共同の委員会が設立された。 委員会はハンガリーの電機会社ガンツが提案した三相交流 3,000ボルトの方式を最有力としていた。この方式では路線の上に設置された架空電線から比較的高い電圧で電力を供給するもので、変電所の数を減らせることなどから、走行用線路とほぼ同じ高さに設置された電力供給用線路から比較的低い電圧で電力を供給する第三軌条方式や4線軌条方式よりも安価であるとされた。三相交流3,000ボルトを用いたガンツの実験線がブダペストに建設されていたが、営業運転での採用例はなかった。ガンツとの契約が成立する前に、ディストリクト鉄道の経営権がアメリカで第三軌条方式の比較的低い電圧による直流電化での成功体験をもつ技術陣を抱えたヤーキスの手にわたった。ヤーキスの技術陣はガンツの提案を拒絶し、ロンドン地下電気鉄道での採用を見込んでいた直流低電圧での電化を指向した。ディストリクト鉄道とメトロポリタン鉄道の間で戦わされた、タイムズ紙上での公開討論を含む熾烈な議論ののち、決定は商務省での裁決に委ねられた。裁決委員会の長であったアルフレッド・リトルトン(英語版)がディストリクト鉄道の方針に批判的であったにも関わらず、1901年に4線軌条方式による直流電化の採用が決定された。 裁決を受け、イーリング・コモンからサウス・ハーロウ(英語版)の延伸線が1903年に初の電化路線として開業した。ディストリクト鉄道の路線の電化は1905年半ばに完了したが、メトロポリタン鉄道での対応が方針の変更により遅れたため、インナー・サークルの電化は予定されていた1905年7月1日から数カ月遅れることとなった。電化路線への電力はチェルシー・クリーク(英語版)に設けられたロンドン地下電気鉄道のロッツ・ロード発電所(英語版)から供給された。ロッツ・ロード発電所はブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道によって計画されたもので、1902年に着工し、1904年12月に完成している。ロッツ・ロード発電所は1905年1月に稼働を開始、三相交流11,000ボルトを供給、鉄道路線の近くに設置された変電所で直流550ボルトに変換された。ロッツ・ロード発電所はロンドン地下電気鉄道の全路線へ電力を供給してもまだ余力があり、将来の延伸に備える能力をもっていた。ディストリクト鉄道の最後の蒸気機関車けん引の列車が退役する1905年11月5日までに、ロンドン地下電気鉄道は170万ポンド(2013年の1.59億ポンドに相当)の費用を電化工事に投じている。
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