電化方式の検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:23 UTC 版)
北陸本線の電化方式については1956年(昭和31年)5月に国鉄交流電化調査委員会から出された「交流電化方式は直流電化方式に比し輸送量の多少にかかわらず、投下資本においても、年間経費に置いても、つねに有利である」との答申から交流20 kV・60 Hzでの電化が進められたが、新潟地区はすでに上越線が直流1,500 Vで電化されていたこと、東京 - 新潟間の輸送密度が比較的高いことから1960年度(昭和35年度)に信越本線長岡駅 - 新潟駅間は直流電化で着工され1962年(昭和37年)に直流電化開業していた。 このため本区間を含む日本海縦貫線の抜本的線増にあたっては、森垣(1964)によると1964年(昭和39年)初時点で既存区間も含めた米原駅 - 羽越本線坂町駅間の電化方式について以下の案が想定されていた。なお、先述の通りこの時点で北陸本線は同年8月に富山操車場まで交流電化開業が決定している。 直流案(田村駅 - 富山操車場間の既存交流区間を直流に転換し、米原駅 - 坂町駅間を直流電化とする) 交流案(宮内駅 - 新潟駅間を交流電化に転換し、日本海縦貫線を全面的に交流電化とする) 交直流併用案(糸魚川以西は交流電化、以東は坂町駅まで直流電化とする) 以上3案については1970年(昭和45年度)想定輸送量をもとに、設備面、車両面から比較検討の結果、いずれも交直流併用案がでも有利であった。 また、この時点で電化工事中であった富山操車場 - 糸魚川間については、仮にこの時点で1970年度(昭和45年度)ごろの完成見込みであった糸魚川駅 - 直江津駅間の線増と同時に一挙に電化した場合電化が大幅に遅くなることから、1965年度(昭和40年度)に完成する親不知トンネルほかの線増改良と同時期の電化が望ましいと考えられたため交流電化が適当とされ、糸魚川駅構内は交流20 kV・60 Hzで電化となった。
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