建設資金調達 1896年–1903年
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「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事における「建設資金調達 1896年–1903年」の解説
3つの鉄道会社の認可は下りたものの、建設資金となる会社資本の調達は別の問題として残っていた。 1899年には、1892年の議会審議で認可されたベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道(英語:Baker Street and Waterloo Railway、BS&WR)、ウォータールー・アンド・シティ鉄道(英語:Waterloo and City Railway、W&CR)、グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道(英語:Great Northern and City Railway、GN&CR)及び1891年に認可を得たセントラル・ロンドン鉄道(英語:Central London Railway、CLR)の5社が市場で資金を調達していた。最初の大深度地下鉄であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道も路線延伸のための資金集めをこのころに行っていたほか、未認可の多数の路線が同様に資金調達活動を行っていた。ロンドンでの同様の投資機会を求め、1880年代から1890年代にかけてシカゴの路面鉄道網構築で財をなしたアメリカ人投資家、チャールズ・ヤーキス率いる投資家集団がディストリクト鉄道、ブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の救済に1900年に乗り出した。ヤーキスとヤーキスの支援者たちは1901年3月にディストリクト鉄道株の大半を握り、1901年9月にはブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道、グレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の経営権を握った。ヤーキスは買収した地下鉄各線の建設とディストリクト鉄道の電化の資金集めのためロンドン地下電気鉄道(英語:Underground Electric Railways Company of London、UERL)を設立、おもにイギリス国外の投資家から株式公開時に500万ポンドの資金を集めた。ロンドン地下電気鉄道傘下各社の地下鉄路線建設工事の進捗に従って株は追加で販売され、1903年までに総額1800万ポンド(2014年の17.3億ポンドに相当)に達した。
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