グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道とは? わかりやすく解説

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グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 05:48 UTC 版)

グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道(グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトンてつどう、英語:Great Northern, Piccadilly and Brompton Railway、GNP&BR)は、1902年に設立された、ロンドンの大深度地下鉄会社である[note 1]チューブと呼ばれる断面の小さなトンネルを使用した地下鉄の一路線で、ピカデリー・チューブ(英語:Piccadilly tube)とも呼ばれた。ロンドン地下電気鉄道(英語:Underground Electric Railways Company of London、UERL)の傘下にあったブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道(英語:Brompton and Piccadilly Circus Railway、B&PCR)とグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道(英語:Great Northern and Strand Railway、GN&SR)が合併、同じくロンドン地下電気鉄道の傘下にあったディストリクト鉄道(英語:District Railway、DR)が計画した大深度路線の一部も含めてグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道が成立している。


注釈

  1. ^ ロンドンの地下鉄は、開削工法で建設された比較的浅い地下を走る半地表路線(英語:Sub surface)と、シールド工法で建設された大深度路線(英語:Deep lebel)に大別される。前者は19世紀に起源をもつ路線で、当時の技術の限界から、地下といってもふたをかぶせた掘割の中を走るもので、「半地表」の名前もここに由来している。後者は、当時最新のシールド工法を用いて建設されたが、当時のシールトンネル技術の限界から、トンネル断面積が狭く、車両も小型にならざるを得なかった。21世紀の技術水準からみれば20世紀初頭に開業した路線の深度は深いものではないが、開削工法でつくられた半地表路線よりは深いところを走るため、21世紀初頭でも大深度路線(Deep level tube)と呼ばれている。
  2. ^ アメリカ、イギリス、カナダなどにある特定の個人、法人、地域に適用される法律であり、日本の法律とはやや性格が異なるものであることに注意を要する。
  3. ^ スタンディング・オーダーとして知られる規則と手順が個別的法律案に適用され、これを満足しない個別的法律案は否認された。鉄道に関する個別的法律案に対しては、前年の11月にロンドン・ガゼットに設置計画を掲載し、利害関係者に路線案を提示し、建設費見積額を公開しなければならなかった。更に建設費見積の5パーセントを裁判所英語版に預託することが求められていた[3]
  4. ^ セントラル・ロンドン鉄道1891年8月5日、グレート・ノーザン・アンド・シティ鉄道は1892年6月28日、ウォータールー・アンド・シティ鉄道は1893年3月8日、 チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道1893年8月24日にそれぞれ女王裁可を得ている[11]
  5. ^ ヤーキスの投資家集団は1900年9月にまずチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道を、1902年3月には次いでベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道を買収している[13]
  6. ^ ヤーキスはロンドン地下電気鉄道の会長に就任し、ロンドンのスパイヤー・ブラザース銀行、ニューヨークの投資会社スパイヤー、ボストンのオールド・コロニー・トラストが出資に応じた[13]
  7. ^ アメリカでヤーキスが資金集めに用いた手法と同様、ロンドン地下電気鉄道の資金構造は高度に複雑で、将来の収入を見込んだ複雑な金融技術が用いられた。ここでは過分に楽観的な乗客数の予想が用いられ、出資者の多くは期待した利益を得られずに終わることになる[15]
  8. ^ 既存鉄道路線の延伸案に加え、7つの大深度地下鉄の提案が1901年の議会に提示されていた[25]。ほとんどの提案に国王裁可が出されたが、すべて建設されることなく終わっている 。
  9. ^ セントラル・ロンドン鉄道が開業した際、サスペンション機構がない電気機関車が客車をけん引する形態で列車が運行されたため、列車通過時に地上建造物で振動が発生し、沿線の建物の所有者や居住者から苦情が寄せられていた。レイリー卿が主宰する委員会がこの問題を取り扱っていた。[27]
  10. ^ ヤーキスがグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道を買収する条件に、グレート・ノーザン鉄道がフィンズベリー・パークからウッド・グリーンまでの区間の建設を断念し、グレート・ノーザン鉄道が地下にグレート・ノーザン・アンド・ストランド鉄道の終点を建設することが含まれていた[31]
  11. ^ リブルスデール卿の委員会は南北に走る路線案を審議し、ウィンザー卿の委員会は東西に走る路線案を審議した[34]
  12. ^ ディストリクト鉄道の既存駅、サウス・ケンジントンとグロースター・ロードには大深度路線のプラットホームへのエレベーターを追加するため、ロンドン地下電気鉄道様式の駅舎が増築された。ディストリクト鉄道のアールズ・コートとバロンズ・コートの駅舎はハリー・W・フォード設計で改築された。フィンズベリー・パーク駅はグレート・ノーザン鉄道が独自の設計で建設し、地上建造物は設けられなかった。
  13. ^ アメリカのオーチス[55]のエレベーター[56]2基が直径23-フート (7.0 m)の穴に設置された[57]。各駅の予想利用人数によりエレベーターの設置基数が決められ、たとえばラッセル・スクエア、グロースター・ロード、カレドニアン・ロードには当初4基が設置された一方、ダウン・ストリートには2基しか設置されなかった[58]
  14. ^ ウェスト・ケンジントン駅東側に設けられたディストリクト鉄道のループ線を通って入出庫していた。
  15. ^ ロンドン地下電気鉄道によるチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の初年度乗客数想定は5000万人、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道は同様に3500万人だったが、実績はそれぞれ250万人、2050万人にとどまった。ディストリクト鉄道の乗客数は電化により1億人に増加するとされていたが、これも実績は5500万人に終わっていた[67]
  16. ^ ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道とチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道の資産をグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道に移し、グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道の名称をロンドン電気鉄道に変更する形で会社統合が行われた。
  17. ^ アールズ・コート駅でのエスカレーターの運用が好調だった事から、これ以降建設された大深度路線の駅にはエレベーターの代わりにエスカレーターが設置されるようになった。既存駅についても可能な限りエスカレーターへの更新が行われた。
  18. ^ 第一次世界大戦中、ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道はパディントンからワトフォード・ジャンクションまで延伸していた。戦後の1920年にはセントラル・ロンドン鉄道がウッド・レーン英語版からイーリング・ブロードウェイまで延伸していた [74]
  19. ^ ロンドン・ゼネラル・オムニバスは、ロンドン市内のバス路線をほぼ独占することで高収益を上げ、地下鉄会社をはるかにしのぐ高配当を出していた。ロンドン地下電気鉄道によって買収される前年の1911年のロンドン・ゼネラル・オムニバスの配当は18パーセントだった[75]

出典

  1. ^ a b 路線距離の計算はClive's Underground Line Guides, Northern line, Layout”. Clive D. W. Feather. 2009年3月21日閲覧。による。
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  25. ^ Badsey-Ellis 2005, p. 92.
  26. ^ Badsey-Ellis 2005, p. 93.
  27. ^ Badsey-Ellis 2005, p. 91.
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