1903年グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道法
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「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事における「1903年グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道法」の解説
1902年11月、2社が合併して発足したグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道は2つの提案を1903年の議会に提出した。1つ目の個別的法律案では駅建設のための用地買収権限の追認と国王裁可済法の微修正が提案された。 2つ目の個別的法律案では東西両端を認可済のものから延長することが提案された。東側の延伸案はピカデリー・サーカス駅を拡張の上、同駅のすぐ西で本線から分岐し、レスター・スクエアの下からチャリング・クロス駅に抜け、さらに東進してストランド(英語版)でホルボーンから伸びる支線と交差してここに乗換駅を設ける。路線はそこからフリート・ストリートの下を通ってラッゲート・サーカス(英語版)にロンドン・チャタム・アンド・ドーバー鉄道(英語版)のラッゲート・ヒル駅(英語版)(廃止)との乗換用の駅を設け、南に曲がってニュー・ブリッジ・ストリートの下を進み、クイーン・ビクトリア・ストリート(英語版)をまた東に進み、マンション・ハウス駅の西でディストリクト鉄道の大深度路線に接続する。西側の延伸線はナイツブリッジ駅を拡張の上、同駅東のアルバート・ゲートで認可済の路線から分岐し、ナイツブリッジ(英語版)、ケンジントン・ロード(英語版)、ケンジントン・ハイ・ストリート(英語版)の下を途中、ロイヤル・アルバート・ホール、ディストリクト鉄道のハイ・ストリート・ケンジントン駅とアディソン・ロード(英語版)に駅を設けて西に進み、ハマスミス・ロードにそってディストリクト鉄道のハマスミス駅至り、ハマスミス・グローヴの下で北に、ゴールドホーク・ロードの下で東に向きを変え、シェパーズ・ブッシュ・グリーン南のセントラル・ロンドン鉄道のシェパーズ・ブッシュ駅近くに至る計画とされた。 ディストリクト鉄道も同じ1903年の議会に2つの個別的法律案を提出した。1つ目の個別的法律案には大深度路線のうち、アールズ・コート駅を含むサウス・ケンジントンからウェスト・ケンジントンまでの区間をグレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道が建設すること、2つめの個別的法律案には大深度路線の東端をマンション・ハウスから既存の半地表路線に沿ってホワイトチャペル(英語版)まで延伸し、マイル・エンド(英語版)への半地表路線と線路を接続することが提案されていた。 1903年2月、議会はロンドンの交通をどう発展させるかの視点で評価する王立ロンドン交通委員会(英語版)を設立、この委員会の審議中はすべての新線計画の審議が行われなかったため、この2つの延伸案は議論されることなく取り下げられた。用地買収の提案は1903年7月21日に1903年メトロポリタン・ディストリクト法及び1903年8月11日に1903年グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道法(用地買収など)として国王裁可された。
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