1904 - 1923年とは? わかりやすく解説

1904 - 1923年(壮年期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 22:24 UTC 版)

アレイスター・クロウリー」の記事における「1904 - 1923年(壮年期)」の解説

1904年5月ハネムーン終えたクロウリーは、セレマ思想価値を巡る論争からマサースと対立して袂を分かつ事になり、自身独立模索するようになったこの間にマサースによる魔術攻撃受けて不幸に見舞われたと手記残しているが、同年夏の長女リリス誕生によって彼は喜び包まれている。1906年自身の道を定め為に再び世界一周へと旅立った彼は、ヒマラヤ山脈カンチェンジュンガ登頂挑戦し、またビルマ黄金の三角地帯では阿片研究行なった。その帰国後にリリス病死しクロウリー悲しみ沈んだ。妻ローズリリス連れてインド一時行動を共にしており、そこでチフス熱感染したのが原因だった。愛娘失ったクロウリー悲嘆矛先ローズ向けられてしまい、二人の仲も急速に冷え込んだ同時にここからクロウリー倒錯傾向目立ち始めている。 1907年次女ローラ誕生し笑顔取り戻したクロウリー魔術結社銀の星」を結成した自身魔術師エリファス・レヴィ生まれ変わり称してセレマ思想伝道取り組み魔術著作と詩集を次々と発表した1909年アルコール依存症陥ったローズと止む無く離婚したその後交流続けられローラ親権ローズ側に譲られた。直後アルジェリア滞在成され悪魔コロンゾン召喚儀式近代魔術史に残る事象とされている。1912年になるとドイツオカルト団体東方聖堂騎士団」の指導者テーオドール・ロイス(英語版)に見込まれて同団のイギリス支部開設し、後に団体全体主導権握った以後クロウリーはこの二つ団体主宰した。それに伴い彼の奔放な異端思想活動世間の目引いて物議を醸すようになり、主にスキャンダルネタを扱う複数大衆紙から、世界で最も邪悪な男(the wickedest man in the world)と名指しされ麻薬淫行耽る悪魔主義者と書き立てられた。その理由一つとなった事象に、パリ作業呼ばれるホモセクシュアルモチーフにしたメルクリウス召喚儀式がある。1914年東方聖堂騎士団活動渡米中に第一次世界大戦始まり、約4年間のアメリカ滞在余儀なくされている。ようやく帰国したクロウリー1920年念願セレマ修道院英語版)をシチリア島設立し彼の信奉者とともに魔術奥義極める求道生活を開始した。しかし、彼のスキャンダルを追うイギリス大衆紙から堕落退廃見本のように書き立てられ、また敷地内病死者出たことから、1923年イタリア政府クロウリー国外退去命じた

※この「1904 - 1923年(壮年期)」の解説は、「アレイスター・クロウリー」の解説の一部です。
「1904 - 1923年(壮年期)」を含む「アレイスター・クロウリー」の記事については、「アレイスター・クロウリー」の概要を参照ください。

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