1896年ディストリクト鉄道大深度路線案
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「グレート・ノーザン・ピカデリー・アンド・ブロンプトン鉄道」の記事における「1896年ディストリクト鉄道大深度路線案」の解説
同じ1896年の議会にはディストリクト鉄道(英語:District Railway、DR)が既存の半地表路線のうち、グロースター・ロードとマンション・ハウスの間に大深度の別線を建設する個別的法律案を提出した。当時、ディストリクト鉄道は開削工法で作られた地下鉄路線を蒸気機関車けん引の列車で運行しており、混雑が激しいこの区間に、途中チャリング・クロス(後のエンバンクメント)だけに停車し、グロースター・ロードの西で地上に出て、アールズ・コートでディストリクト鉄道の既存線と接続する新線を併設することで混雑の緩和をはかろうとしていた。この新線はブロンプトン・アンド・ピカデリーサーカス鉄道と同様、電気運転を行う計画であり、ディストリクト鉄道はウォルハム・グリーン駅(後のフラム・ブロードウェイ駅)近くに発電所を建設することも計画していた。この個別的法律案は1897年8月6日に1897年メトロポリタン・ディストリクト鉄道法として女王裁可された。
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