川原家の人々
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「スカーレット (テレビドラマ)」の記事における「川原家の人々」の解説
川原常治(かわはら じょうじ) 演 - 北村一輝 喜美子の父。人は良いが、意地っ張り。酒好きで調子に乗りやすい性格。3人の娘をこよなく愛しているが躾には厳しい。 商家で丁稚奉公するなかで知り合った令嬢・マツと駆け落ち同然で結婚した過去を持つ。材木販売事業が失敗して借金を作り、戦友・大野の伝手で一家で信楽に転居する。転居後、「カワハラ運送」として丸熊陶業の陶器を運搬する仕事を始める。 喜美子が中学卒業後に荒木荘に行っている間に、泥棒(空き巣)事件や足を挫くなど不運が続いた上、無理に購入したオート三輪の借金、飲み屋のツケ等で家計は困窮する。そのため「見たら目が腐る」と言われるほど険悪になった直子との親子関係の改善や、マツの体調不良のため喜美子を大阪から呼び戻す。 結婚して家庭に入ることが女の幸せとの価値観から、喜美子に縁談を画策したり、喜美子や百合子の進路に反対する。また、自身はマツに苦労をかけていると考え、喜美子に安定した結婚生活を望み、陶芸家を目指す八郎との結婚に反対するが、マツの説得と喜美子の強い意志を受け、八郎の展覧会受賞を条件に承諾する。 喜美子の結婚を機に家を増築する資金を稼ぐため長距離輸送の仕事を請け負うが、身体に無理がたたり、昭和40年時点では体調が優れない日々を送る。同年夏、膵臓がんが判明するとともに、肝臓への転移も見つかる末期の状態となり、冬に死去する。戒名は、常光良道信士。 川原マツ(かわはら まつ) 演 - 富田靖子 喜美子の母。夫・常治に逆らうことがない、おっとりとした性格。和裁が得意で柔道着の直しもできるほどの腕前を持つ。 喜美子が幼い頃は、貧しさに加えて産後の肥立ちが悪いため、家事を喜美子に頼りがちな日々を送る。その後、就職し夢や目標を見つけて進むようになった喜美子を応援する。 昭和30年の夏に倒れて以来、貧血の薬が病院から処方される。 喜美子が穴窯に試行錯誤していた際は、黒岩からミシンを借りて、子ども服の内職で家計を支える。 昭和54年夏にはいつか天国の常治にこれを着て会いに行くというピンク色の手編みセーターを完成させ、陽子と忠信に見せに行った先の「サニー」の椅子で眠るように亡くなる。戒名は、蓮月松光信女。 川原直子(かわはら なおこ)→鮫島直子(さめじま なおこ)→川原直子(かわはら なおこ) 演 - 桜庭ななみ(幼少期:やくわなつみ、少女期:安原琉那) 喜美子の4歳下の妹で川原家の二女。昭和16年(1941年)生まれ。自己中心的で反抗心が強く、時折、喜美子を困らせることがある。家事の手伝いは大嫌いで、妹の百合子の面倒をみる以外に自分の興味の無い事はやろうとしない。 名前の由来は素「直」。 空襲時に喜美子と一緒に逃げるも、人混みに巻き込まれて繋いだ手が離れ取り残された恐怖体験がトラウマとなっている。それゆえに、喜美子も負い目を感じ、彼女のワガママに対して強く対処できずにいた。 思春期に入ってからは常治と反りが合わず険悪になる。また、中学生時より家を出て東京に行くことを望むようになる。 中学卒業後は地元の問屋「谷中」の手伝いに就職するも長続きせず2年間家事手伝いの日々を送るが、昭和34年夏、中学時の教員の紹介で東京・蒲田に寮がある「熨斗谷電機」の工場への就職が決まり、常治に付き添われて上京。就職して程なく、洗濯機組み立て工程の新人指導係・牛田に失恋して意気消沈し、草間に連れ添われて帰省するが、マツに打ち明け英気を養い再び東京に戻る。同年には仕事の速さが認められ、翌年には副班長に昇進する。 昭和40年の冬に、同僚の鮫島と大阪へ移り販売の仕事を始めることを宣言する。 昭和48年には、商売がうまくいかず資金不足となり、妊娠をしたと川原家に偽って借金しようとするもマツに嘘を見破られ、喜美子に資金援助をしてもらう。 鮫島と結婚するも、捨てられて離婚したことと次の相手(不動産会社社長の布袋満)を見つけたことを昭和58年12月に川原家へ報告しに来る。 川原百合子(かわはら ゆりこ)→大野百合子(おおの ゆりこ) 演 - 福田麻由子(幼少期:稲垣来泉、少女期:住田萌乃) 喜美子の8歳下の妹で川原家の三女。赤子の頃から信楽に住み続け、やがて喜美子の良き相談相手となる。 名前の由来はお花の名前をマツがつけたかったから。 穏やかでおっとりとした性格で、川原家のムードメーカー。 一番の親友・ともちゃんの勧めもあり、家庭科の先生になるべく県立短期大学の家政科への進学を目指す。しかし家計の厳しさから短大進学を断念し、高校卒業後は食品卸会社「ツネタヤ」に就職し、納品を担当する。 昭和45年に信作と結婚した後は専業主婦になるが、「サニー」の手伝いはしてカレーも仕込む。 十代田八郎(そよだ はちろう)→川原八郎(かわはら はちろう)→十代田八郎(そよだ はちろう) 演 - 松下洸平 喜美子が「丸熊陶業」で知り合う陶工。 1935年(昭和10年)生まれで、8人きょうだいの末っ子。大阪出身。「京都市立美術工芸大学」を卒業した後は、学生に陶芸を教える手伝いをしていた。敏春に誘われて昭和34年夏、丸熊陶業の商品開発室で勤めることになった。 日本画好きの祖父の形見である深野の絵を、終戦から2年ほど経った11歳の時、一家の食費捻出のために闇市でやむなく売った過去があり、後に深野本人に打ち明けた。 「交際相手以外の女性は下の名前で呼ばない」「男女交際は結婚前提以外はしない」など真面目かつ実直な性格。価値観を同じとする喜美子と徐々に惹かれ合い、やがて交際を始める。将来は陶芸家を本職にすることを目指しているために常治から喜美子との結婚に反対されるが、展覧会で受賞することを条件に認めてもらう。 喜美子と結婚した年に新人賞を受賞してからは賞に恵まれずにいたが、ジョージ富士川の実演会を見たことなどから着想を得、昭和41年の春には陶芸展で金賞を受賞する。 昭和44年、2度目の窯焚きを失敗しても続ける意志の喜美子に反対して家を出、役場の近くに部屋を借りる。空きが出た京都の陶磁器研究所を柴田から紹介されて京都で暮らし、愛媛での生活を経て、昭和53年時点では名古屋の「中部セラミック」に勤務。陶芸創作は辞めて(休んで)いる。 最終回にて、長崎へ異動する。 川原武志(かわはら たけし) 演 - 伊藤健太郎(幼少期:又野暁仁→中須翔真) 喜美子と八郎の長男。昭和36年(1961年)生まれ。滋賀県立甲賀第一高等学校普通科では美術部に在籍。昭和54年、八郎の母校でもある「京都市立美術工芸大学」に現役で進学し、陶磁器専攻科を卒業。 卒業した昭和58年の春に信楽に戻り、「信楽窯業研究所」研究科に1年通って恩師の掛井から釉薬をさらに学び続け、アパート暮らしも始める。ある日の研修室でテストピースの亜鉛結晶釉に出会って惹かれて研究を開始し、デザイン化に成功。それを「次世代展」に応募する(が落選)。年末までに慢性骨髄性白血病を発症し、昭和59年には入院も経験。アパートを引き払って実家に戻る。地元のゲームコーナー「ヤングのグ」でしていた時給500円のアルバイトも辞める。昭和41年の正月に八郎・喜美子宛てに届いた深野からの年賀状の絵に魅せられ、それをモチーフにした陶芸作品作りに励む。最終回にて26歳の誕生日を前にして逝去する。
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