川原家の人々とは? わかりやすく解説

川原家の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:53 UTC 版)

スカーレット (テレビドラマ)」の記事における「川原家の人々」の解説

川原常治(かわはら じょうじ) 演 - 北村一輝 喜美子の父。人は良いが、意地っ張り酒好き調子に乗りやすい性格。3人の娘をこよなく愛しているが躾には厳しい。 商家丁稚奉公するなかで知り合った令嬢マツ駆け落ち同然結婚した過去を持つ。材木販売事業失敗して借金作り戦友大野伝手一家信楽転居する転居後、「カワハラ運送」として丸熊陶業陶器運搬する仕事始める。 喜美子が中学卒業後に荒木荘に行っている間に、泥棒空き巣事件や足を挫くなど不運続いた上、無理に購入したオート三輪借金飲み屋ツケ等で家計困窮する。そのため「見たら目が腐る」と言われるほど険悪になった直子との親子関係改善や、マツ体調不良のため喜美子を大阪から呼び戻す結婚して家庭に入ることが女の幸せとの価値観から、喜美子に縁談画策したり、喜美子や百合子進路反対する。また、自身マツ苦労をかけていると考え喜美子に安定した結婚生活望み陶芸家目指す八郎との結婚反対するが、マツ説得喜美子の強い意志を受け、八郎展覧会受賞条件承諾する喜美子の結婚機に家を増築する資金を稼ぐため長距離輸送仕事請け負うが、身体に無理がたたり、昭和40年時点では体調優れない日々を送る。同年夏、膵臓がん判明するとともに肝臓への転移も見つかる末期の状態となり、冬に死去する戒名は、常光道信士。 川原マツかわはら まつ) 演 - 富田靖子 喜美子の母。夫・常治に逆らうことがないおっとりとした性格和裁が得意で柔道着の直しもできるほどの腕前を持つ。 喜美子が幼い頃は、貧しさ加えて産後の肥立ちが悪いため、家事喜美子に頼りがちな日々を送る。その後就職し夢や目標を見つけて進むようになった喜美子を応援する昭和30年の夏に倒れて以来貧血病院から処方される喜美子が穴窯試行錯誤していた際は、黒岩からミシン借りて子ども服内職家計支える。 昭和54年夏にはいつか天国の常治にこれを着て会いに行くというピンク色の手編みセーター完成させ、陽子忠信見せ行った先のサニー」の椅子で眠るように亡くなる。戒名は、蓮月光信女川原直子かわはら なおこ)→鮫島直子(さめじま なおこ)→川原直子かわはら なおこ) 演 - 桜庭ななみ幼少期:やくわなつみ、少女期安原琉那喜美子の4歳下の妹で川原家二女昭和16年1941年生まれ自己中心的反抗心が強く時折喜美子を困らせることがある家事の手伝い大嫌いで、妹の百合子面倒をみる以外に自分興味の無い事はやろうとしない名前の由来は素「直」。 空襲時に喜美子と一緒に逃げるも、人混み巻き込まれ繋いだ手が離れ取り残され恐怖体験トラウマとなっている。それゆえに、喜美子も負い目感じ、彼女のワガママに対して強く対処できずにいた。 思春期入ってからは常治と反り合わず険悪になる。また、中学生時より家を出て東京に行くことを望むようになる中学卒業後は地元問屋谷中の手伝い就職する長続きせず2年家事手伝い日々を送るが、昭和34年夏、中学時の教員紹介東京蒲田に寮がある「熨斗電機」の工場への就職決まり、常治に付き添われ上京就職して程なく洗濯機組み立て工程の新人指導係・牛田失恋して意気消沈し草間に連れ添われ帰省するが、マツ打ち明け英気養い再び東京に戻る。同年には仕事速さ認められ翌年には副班長昇進する昭和40年の冬に、同僚鮫島大阪移り販売仕事始めることを宣言する昭和48年には、商売うまくいかず資金不足となり、妊娠をしたと川原家偽って借金しようとするマツに嘘を見破られ喜美子に資金援助をしてもらう。 鮫島結婚するも、捨てられて離婚したことと次の相手不動産会社社長布袋満)を見つけたことを昭和58年12月川原家報告しに来る。 川原百合子かわはら ゆりこ)→大野百合子(おおの ゆりこ) 演 - 福田麻由子幼少期稲垣来泉少女期住田萌乃喜美子の8歳下の妹で川原家三女赤子の頃から信楽住み続け、やがて喜美子の良き相談相手となる。 名前の由来お花の名前をマツがつけたかったから。 穏やかでおっとりとした性格で、川原家ムードメーカー。 一番の親友ともちゃん勧めもあり、家庭科先生になるべく県立短期大学家政科への進学目指す。しかし家計厳しさから短大進学断念し高校卒業後は食品卸会社「ツネタヤ」に就職し納品担当する昭和45年に信作と結婚した後は専業主婦になるが、「サニーの手伝いはしてカレー仕込む十代八郎(そよだ はちろう)→川原八郎かわはら はちろう)→十代八郎(そよだ はちろう) 演 - 松下洸平 喜美子が「丸熊陶業」で知り合う陶工1935年昭和10年生まれで、8人きょうだい末っ子大阪出身。「京都市美術工芸大学」を卒業した後は、学生陶芸教え手伝いをしていた。敏春に誘われて昭和34年夏、丸熊陶業商品開発室で勤めることになった日本画好きの祖父形見である深野の絵を、終戦から2年ほど経った11歳の時、一家食費捻出のために闇市やむなく売った過去があり、後に深野本人打ち明けた。 「交際相手以外の女性下の名前呼ばない」「男女交際結婚前提以外はしない」など真面目かつ実直な性格価値観を同じとする喜美子と徐々に惹かれ合い、やがて交際始める。将来陶芸家本職にすることを目指しているために常治から喜美子との結婚反対されるが、展覧会受賞することを条件認めてもらう。 喜美子と結婚した年に新人賞受賞してからは賞に恵まれずにいたが、ジョージ富士川実演会を見たことなどから着想を得、昭和41年春に陶芸展で金賞受賞する昭和44年2度目の窯焚き失敗して続け意志喜美子に反対して家を出、役場近く部屋借りる。空き出た京都陶磁器研究所柴田から紹介され京都暮らし愛媛での生活を経て昭和53年時点では名古屋の「中部セラミック」に勤務陶芸創作辞めて休んで)いる。 最終回にて、長崎異動する川原武志かわはら たけし) 演 - 伊藤健太郎幼少期又野暁仁→中須翔真喜美子と八郎長男昭和36年1961年生まれ滋賀県甲賀第一高等学校普通科では美術部在籍昭和54年八郎母校でもある「京都市美術工芸大学」に現役進学し陶磁器専攻科卒業卒業した昭和58年春に信楽戻り、「信楽窯業研究所研究科1年通って恩師の掛井から釉薬をさらに学び続けアパート暮らし始める。ある日研修室テストピース亜鉛結晶釉出会って惹かれ研究開始しデザイン化に成功。それを「次世代展」に応募する(が落選)。年末までに慢性骨髄性白血病発症し昭和59年には入院経験アパート引き払って実家に戻る。地元ゲームコーナーヤングのグ」でしていた時給500円アルバイト辞める昭和41年正月八郎喜美宛て届いた深野からの年賀状の絵に魅せられ、それをモチーフにした陶芸作品作りに励む。最終回にて26歳誕生日前にして逝去する。

※この「川原家の人々」の解説は、「スカーレット (テレビドラマ)」の解説の一部です。
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