川原挺身隊と百武戦車隊の編成
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「百武俊吉」の記事における「川原挺身隊と百武戦車隊の編成」の解説
こうした状況に変化が起こったのは1933年(昭和8年)3月1~4日にかけて行われた熱河作戦であった。この作戦で注目すべきは、作戦開始地点である熱河省東部の町朝陽から目標地点である同省の首都承徳までは鉄道が通じておらず、しかも作戦地域が山岳地帯であることであった。 この状況を受け関東軍は、第8師団内に川原少将率いる自動車化挺身隊(トラックで移動する自動車化歩兵部隊)である「川原挺身隊」を作り、その支援として百武戦車隊(臨時派遣隊全部ではなく、八九式軽戦車5輌、九二式重装甲車2輌の編制)を当てることとした。ここに百武中尉が夢見た戦車の集団運用、しかも自動車化歩兵のおまけが付くという、願ってもない状況が生み出された。 作戦の発動は3月1日だったが、戦場までの悪路のため、八九式軽戦車は次々と落伍していった。その為、結果として活躍したのは機動力に勝る九二式重装甲車であった。以下に主な戦いを挙げる。
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