姫
姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/05 07:40 UTC 版)
姫、媛(ひめ)は、皇室から公卿、将軍家、大名など高貴な身分にあった人の息女の敬称として広く用いられた。特に内親王、女王は姫宮と呼んだ。
本来「姫」という呼称には年齢制限はなく、江戸時代までは高齢の者も姫と呼んでいた。この一方で、史実を再現しなくてもよいとされる童話やファンタジー作品の影響から「幼い・若い女性」というイメージが定着したため、歴史上の人物においても年表や家系図で齟齬が生じることとなった。
古語においては、ヒメ(「比売」「毘売」とも表記)は女性であることを示す語で、男性のヒコ(彦、比古、毘古)に対するものである。なかでも由緒正しい伝統ある祭神は、神名にヒメのつくものが多い。[1]
英語のプリンセス(princess)に対する訳語としても用いられる(王女も参照)。
字源
由来については、先秦時代の男子は氏を称し、女子は姓を称した。姫姓の諸国(周・晋・衛・魏 ・魯・呉など)の王女・公女は「○姫」と呼ばれた(この頃女性は姓を後に書く風習があった。「姫」とはもちろん「姫姓」を意味する)。それ以外にも
- 子姓の国(殷・宋)の公女は「○子」(例:南子)
- 嬴姓の国(秦・趙)の公女は「○嬴」(例:懐嬴)
- 嬀姓の国(陳・田斉)の公女は「○嬀」(例:息嬀)
- 姜姓の国(姜斉)の公女は「○姜」(例:荘姜)
- 姒姓の国(褒)の公女は「○姒」(例:褒姒)
など
国姓によって呼び方が異なるが、その中で一番有名なものに姫があり、南北朝時代まで皇城に仕えた女性(宮人)の汎称になった。北宋の徽宗の治世で、皇女は周王朝風の呼び方だという「帝姫」の称号を用いていた。しかし、皇族の氏である趙氏は嬴姓の末裔とされ、当時の大臣たちから「帝姫」の称号は後世の誤解であり「帝嬴」の称号こそ正しいと指摘されている。結果的にこの称号は不吉とされ人々の反感を買い徽宗は金に連行、間もなく南宋で公主に戻された。
姫氏国
日本はかつて「姫氏国」という倭漢通用の国称[2]をもっていた。日本紀私記の丁本によれば、野馬台詩には日本のことを「東海姫氏國」と称し、また日本神話において皇室の始祖は天照大神とされ、女帝・神功皇后を輩出していることから姫氏の国と呼ぶという。
なお、漢の文化における「姫」は、黄帝と周王の姓、そしてその継承者の姓を意味し、こちらに関連する逸話もある。
王朝をたてた初代武王の三代前の時点では、周は殷の支配下にある一勢力であり、古公亶父がその首長であった。彼には年長順に太伯、虞仲、季歴という三人の息子がいたが、季歴の息子・昌(後の周文王)が生まれたときに様々な瑞祥があったため、古公は「私の子孫で栄えるものがいるとすれば昌であろうか」と述べた。太伯と虞仲は、古公が季歴から昌へ家督を継がせたいと思っている(が、彼ら兄二人がいなくならないかぎり季歴は後継者になれない)ことを察し、みずから出奔して荊蛮の地で独自に句呉国を興した。
この太伯・虞仲が日本人の祖先とする説が中国から日本にかけて存在し、そのため日本は周王家(姫姓)から分かれた国、すなわち姫氏の国と呼ばれたとされる。
脚注
- ^ 『広辞苑』(7版)岩波書店、2018年。「姫項より」
- ^ 『日本書紀神代講述』早稲田大学図書館蔵
関連項目
- 爵位
- 内親王
- 女王 (皇族)
- 公主
- 周 - 国姓は姫(き)
- 王
- 皇女
- 王女
- 姫街道
- 歌姫(曖昧さ回避)
- 舞姫(曖昧さ回避)
- 「姫」で始まるページの一覧
- 「媛」で始まるページの一覧
- ウィキペディア内を「お姫様」で検索
- ウィキペディア内を「お姫さま」で検索
- タイトルに「姫」を含むページの一覧
姫 (姓)
本来の表記は「姬 (姓)」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 |
姫 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 姬 |
簡体字: | 姬 |
拼音: | Jī |
注音符号: | ㄐㄧ |
ラテン字: | Chi |
広東語発音: | Gei1 |
上海語発音: | Ci1 |
台湾語白話字: | Ki |
姬(き)は、中国の姓で、上古八大姓の一つである。姬と姫とは本来別文字である。日本語では姬を姫に流用する慣習となっている。
2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず[1]、台湾の2018年の統計では「姬」が276番目に多い姓で、788人がいる。「姫」が477番目に多い姓で、157人がいる[2]。
概要
中国史では、姬姓は元々、禹の姒姓と同祖であり、黄帝、帝嚳の別姓とされる。嚳の子孫の后稷はこの姬を姓として使ったという。后稷の子孫とされる古公亶父が周の始祖であり、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたためその国姓となった。
周王室から分家した姬姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随[3]・韓(戦国の韓とは別国家)・劉[4]などが挙げられる。
その後、春秋戦国時代の激動の時代の中で次第に姓は氏(例えば公孫氏など)を用いることが多くなり、周およびその分家の国が滅んでいく中で姬姓と称する者は徐々に消滅していった。
史料によると、その後の姬姓に該当する人物としては、漢の武帝が封禅を行おうとした際に、周の末裔を探したところ庶流筋の姬嘉という人物を発見し、周子南君に封じて、周の祭祀を奉じさせたと記載されている。この人物は、衛の公族筋で、以後時代の変遷と共に何度か転封を繰り返しながら、西晋期間中まで存続し、少なくとも咸康2年(336年、東晋代)までに戦乱のために断絶したと記録されている。
それ以後では例えば『新唐書』において王羲之で有名な琅邪王氏などが姬姓に出自すると書かれているが、おそらくは後世の付会である。また避諱によって改姓した事例もあり、中唐の玄宗(李隆基)の治世、「姬」は「基」と発音が同じことから、当時の姬姓は周姓に改めるよう要求された。
しかし、北宋時代に作られた当時の中国人の姓を一覧にした詩『百家姓』には姓のひとつとして紹介されており、姬姓の中国人は、現代でも少数ながら存在する。
(ただし、戦国末期以降、姓と氏は同一化し、一部の中国人は姓を以って氏としており、現代の姬姓は詐称や改姓でない限りは、その名残であろう。したがって、古代周時代の定義による「姬姓」の人は、姬姓から分かれた周氏、魯氏、管氏、蔡氏、霍氏、曹氏、衛氏、滕氏、畢氏、万氏、魏氏、原氏、毛氏、雍氏、応氏、韓氏、唐氏、凡氏、蔣氏、邢氏、茅氏、祭氏、鄭氏、劉氏などを含むと伝わる)
著名な人物 (古代を除く)
脚注
姫(ひめ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:23 UTC 版)
第一部の最終話で正式に雇われた助手2号。「帝国」と呼ばれる殺し屋集団のボスの娘であり、育ちが悪いせいで色々と感覚がズレている。暗殺が得意らしい。小柄で動物的だが、マリーを抱えて走ったりゲルを出し抜いたりと身体能力はかなり高い。現在はマリーの部屋の押し入れに住み着いている模様。
※この「姫(ひめ)」の解説は、「少年探偵犬神ゲル」の解説の一部です。
「姫(ひめ)」を含む「少年探偵犬神ゲル」の記事については、「少年探偵犬神ゲル」の概要を参照ください。
姫
姬
姬 |
|
「姫」の例文・使い方・用例・文例
- お姫さまがカエルにキスをするとのろいが解けた
- 姫達が心より皆様のご来店をお待ちしております
- 網に姫鱒がたくさんかかった。
- 彼女は織り姫と呼ばれ、きれいな布を織った。
- 娘をお姫様のように育てたかった。
- お姫様になりたかった。
- さてさて、みなさんは舞姫というアニメを知っているでしょうか?
- うるさいなっ!少しの頭痛くらい我慢しろ。余は魔力がすっからかんだ、それもこれも姫のせいだぞ。
- 姫君は皇帝に寛恕を請いました。
- あたし、最初は女の子がいいな!ほら、一姫二太郎っていうじゃない。
- 姫路駅で降りなさい。
- 姫路にはたくさんの橋がある。
- 姫は目を閉じて、横たわっておられた。
- 彼女は白雪姫のように美しい。
- 彼らは、姫路城に行く。
- 誰がお姫様の役を演じるの。
- 第二子は男の子だって。これでめでたく一姫二太郎ってわけだね。
- 赤坂あたりのホテルにステイして、おいしい食事ができれば、さぞかしお姫様気分だろうな。
- 昔々ある所に美しいお姫様が住んでいました。
- 乙姫様は浦島太郎に美しい玉手箱をくれました。
- >> 「姫」を含む用語の索引
- 姫のページへのリンク