国民主権の宣言の歴史と「要綱」の作成経緯とは? わかりやすく解説

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国民主権の宣言の歴史と「要綱」の作成経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 19:17 UTC 版)

憲法草案要綱」の記事における「国民主権の宣言の歴史と「要綱」の作成経緯」の解説

小西によれば国民主権規定は、アメリカ見逃していた、日本国憲法核心部分である。 1776年6月12日バージニア権利章典採択され、その中に「すべて権力人民存し、したがって人民由来するものである」と記される1789年8月26日フランス人間と市民の権利の宣言採択され、その中にあらゆる主権原理は、本質的に国民存する」と記される1793年6月24日フランスでジャコバン憲法採択される。 18世紀から19世紀にかけて、アメリカの各州の憲法権利章典等として、権力人民people)に存在することが記される1868年までに、アメリカ合衆国憲法権利章典が、各州批准される。(主権に関する記述はない。) 1876年3月、「草莽そうもう雑誌第一号にジャコバン憲法人権宣言紹介される1881年植木枝盛は、草莽雑誌記載されジャコバン憲法国民主権規定を基に、東洋大日本国国憲按小西著書では「日本国国憲案」とされている)に、国民主権規定設ける。 1889年大日本帝国憲法公布される。 1940年頃遅くとも1941年2月より前)、鈴木安蔵による明治研究会エドガートン・ハーバート・ノーマン参加する1944年から1945年マイロ・ラウエルダグラス・マッカーサー側近としてフィリピン駐在しマッカーサーから「天皇制存置が必要」、「日本側から自主的な憲法改正案提出させ、尊重する」と聞かされる1945年9月22日GHQ/SCAP対敵諜報部調査分析課長となっていたノーマン鈴木宅を訪れ国体護持継続は適切ではないとの見解を示す。 1945年10月2日鈴木は「憲法改正原稿を書く」と日記書いた日としている。 1945年10月8日国務陸・海軍三省調整委員会SWNCC)の下部組織極東小委員会による、日本降伏後統治体制改革方針研究結果をまとめた、「日本の統治体制改革」という文書作成される。この文書が後に「SWNCC-228」として採択される。 1945年10月8日マッカーサー政治顧問であるジョージ・アチソン近衛文麿12項目の憲法改正指針与える。この指針には「権利章典」を設けることが含まれる小西によれば、この指針には、主権所在については、まったく述べられていない1945年10月9日幣原喜重郎が第44内閣総理大臣に就任1946年5月22日まで)。 1945年10月11日マッカーサーが、GHQ訪れた幣原首相に対して、「明治憲法自由主義化する必要がある旨」を示唆1945年11月1日GHQが「近衛憲法改正委ねてはいない」と声明出し憲法研究会岩淵辰雄落胆するとともに民間から輿論挙げることを考える。 1945年11月5日ノーマンアチソン覚え書き送り、それがマッカーサー近衛見捨てるきっかけとなったGHQでのノーマン任務は、「軍国主義導いた権力勢力根絶」を目指すことであった1945年11月5日憲法研究会初会合が開かれる1945年11月21日憲法研究会第三回会合開かれる第一次案として国民主権立憲君主国規定を含む案が鈴木から示される会合において、室伏は「...天皇は...儀礼的代表としてのみ残る。...」と発言し森戸は「天皇は...君臨すれども統治せず原則により...国家元首として国家代表し...」と発言する1945年11月29日鈴木第二次案をまとめる。天皇元首宣言されている。 1945年9月から12月時期ノーマン鈴木訪問を受ける。鈴木は、コンスティチューショナル・モナーキーの案を示して「これで行く他はないと思う」と言うノーマンは「それで日本民主化出来だろうか」と懐疑を示す。 1945年12月岩淵GHQ憲法顧問コールグローブに会い、コールグローブから「天皇どうするか」と質問を受ける。岩淵はこれについて、GHQも案がなかったのだと述べている。 1945年12月6日ラウエルが「日本の憲法についての準備的研究提案レポート作成1945年12月6日近衛文麿対す逮捕令が出される1945年12月11日鈴木第三次案を作成する元首規定含まれず、天皇国家的儀礼司るとされる1945年12月16日近衛文麿自決する。 1945年12月26日憲法草案要綱首相秘書官渡されGHQにも渡された。鈴木は、草案英訳されなかったと述べている。 小西によればGHQ には杉森英訳し翌日1945年12月27日GHQ届けた推測される。ただし、小西によれば杉森英訳GHQ無視された、とされる小西によれば首相官邸提出される直ちアチソン情報伝わりアチソン政治顧問事務所英訳させた、とされる1946年1月1日人間宣言1946年1月2日アチソン米国国務長官に、この草案注目すべき内容であるとの書簡を書く。書簡には、12月27日幣原首相に提出され憲法翻訳同封する、と記される。(古関彰一によれば米国国務長官宛の書簡アチソン特別補佐であったロバート・アップルトン・フィアリーよるものとされる1946年1月7日アメリカ政府における日本の憲法改正に関する公式な指針「SWNCC-228(国務・陸軍・海軍三省調整委員会文書二二八号)」採択1946年1月11日、「SWNCC-228」がマッカーサー送付される1946年1月11日ラウエルGHQに「私的グループによる憲法改正草案対す所見」を提出するその中で、「国民の権利及び義務」の部分高く評価し、それが権利章典をなすものである、との見解を示す。一方で修正する点として、憲法改正には国民投票が必要である等を挙げる1946年1月24日マッカーサー幣原首相会談幣原が「戦争武力保持禁止する条文」を新憲法起草の際に入れるようマッカーサー提案マッカーサー賛同する1946年2月1日毎日新聞が、松本委員会による、明治憲法を微修正しただけの保守的な内容憲法改正草案スクープ1946年2月3日マッカーサーが、GHQ民政局GSに対して独自の憲法草案マッカーサー草案作成着手するよう命じる。 1946年2月3日マッカーサー3原則(「マッカーサー・ノート」)には、「天皇国家元首地位にある」"Emperor is at the head of the state." と書かれる。 1946年2月6日GHQ民政局会合で、ケーディス大佐は「アメリカの政治イデオロギーと、日本の憲法思想中の最良ないし最もリベラルなものとの間には、ギャップ存在しない」と述べる。 1946年2月8日日本政府GHQに、松本私案に基づく「憲法改正要綱」を提出1946年2月12日マッカーサー草案が(2月3日から)9日間で作成される1946年2月13日GHQ松本私案に基づく「憲法改正要綱」を拒否マッカーサー草案日本政府松本委員会)に提示される1946年3月6日日本政府GHQとの協議基づいた改正要綱発表1946年 春から夏、GHQ日本政府駆け引きにおいて、GHQは、天皇儀礼的形式的機能をもつような表現とするように要求する小西によればGHQ要求はこの草案に基づく。 1946年6月20日第90回帝国議会改正案提出1946年11月3日日本国憲法公布1947年5月3日日本国憲法施行1947年8月16日アチソン搭乗機燃料切れにより墜落しアチソン死亡推定される1957年4月4日ノーマンアメリカから「共産主義者」との疑いかけられ赴任先のカイロ飛び降り自殺する。 1961年4月ラウエル憲法調査会高柳会長質問に対して私的グループ草案入手した経緯について正確なことは知らずアチソンの方の総司令部外交局から民政局回付されてきたと思っている、と答える。 小西によれば日本国憲法は、明治以来日本の伝統的なデモクラシー思想結実したものであり、核心部分である国民主権象徴天皇日本人生み出したのである小西はその根拠として、アメリカ合衆国憲法にはバージニア権利章典にある国民主権記述引き継がれず、国民主権宣言存在しないこのためアメリカ関係者国民主権宣言重要性思いつかなかった、としている。 バージニア権利章典が後のバージニア憲法組み入れられ今日でも法的に有効であるということは小西によれば否定される同様に18世紀後半以降アメリカの各州の憲法に(一部の州では権利章典として)政府権力人民由来する旨の記載がされており、それらが今日でも有効であることは、小西によれば否定されるか、アメリカ関係者には意味のないこととされる。

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