国民ラジオの開発と急速な普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 02:28 UTC 版)
「国民ラジオ」の記事における「国民ラジオの開発と急速な普及」の解説
ラジオが持つ強大な宣伝力に着目していたナチス・ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは、1933年にナチスが政権に就くと直ちに帝国放送協会を国営化し、その管轄を内務省から国民啓蒙・宣伝省に移して一般国民向けのプロパガンダ放送を開始した。しかし、こうしたナチスのプロパガンダ政策にとって大きな課題となったのがドイツにおけるラジオ受信機の普及の遅れだった。当時、ラジオ受信機は非常に高価であり、ドイツの一庶民が簡単に購入できる製品ではなかったのである(もちろんドイツに限った話ではなく、世界的に当時のラジオはまだ「先端技術が使われた高額な商品」のひとつであった)。 ラジオ受信機の迅速な普及が持つ意味の重要性を感じたゲッベルスは、電気工学者オットー・グリーシンクに低コストで大量生産が可能な受信機の設計・開発を要請するとともに、シーメンス、AEG、テレフンケンをはじめとする国内電機メーカーに対し「国民ラジオ」を他に優先して生産するよう指示した。 こうした経緯を経て開発された最初の国民ラジオVE-301型は、1933年8月18日にベルリン国際無線展示会で紹介された。キャビネットの素材にベークライトを使用し、内部構造を簡略化することなどによりコストの圧縮に成功したVE-301型は、76ライヒスマルク (RM) という比較的手頃な価格で入手可能なモデルだった。しかし依然としてドイツの平均世帯には高価であったため、多くの企業が分割払いとして、頭金7.25RM・月額4.40RMの18ヶ月払いで購入可能にした。後には、より廉価な35RMのモデル・DKE38型(このモデルは、一般国民から『ゲッベルスの口』と呼ばれた)も生産された。国民ラジオ計画の進展とともにドイツでのラジオ受信機の普及は急速に進み、1939年にはラジオ受信機を所有する世帯が全体の70%を占めるまでに至った。この普及率は、当時において世界一だった。1933年から1939年までの間に製造された国民ラジオの累計台数は700万台を超えている。 国民ラジオ VE301の内部構造 国民ラジオ DKE38 労働戦線ラジオDAF1011
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