名称と範囲
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「ヴィクトリア・ピーク」の記事における「名称と範囲」の解説
現地名称広東語発音(粤拼)意味太平山頂(たいへいざんてい) taai3 ping4 saan1 deng2 平和な山 山頂(ざんてい) saan1 deng2 英語の「ザ・ピーク」の直訳 扯旗山(ちぇきざん) ce2 kei4 saan1 旗を振る山 爐峰 lou4 fung1 烽火をあげる峰 維多利亞山(ヴィクトリアザン) wai4 do1 lei6 aa3 saan1 英語の「マウント・ヴィクトリア」より 柯士甸山 o1 si6 din1 saan1 英語の「マウント・オースティン」より イギリス人は、中国人が太平山と呼んでいた山の頂上に、ヴィクトリア女王の名にちなんでヴィクトリア・ピークと名付けた。ヴィクトリア・ピークあるいは太平山には多数の別名があるが、その名が示す地理的範囲には違いもある。 かつて太平山とは、龍虎山より東、薄扶林より北、馬己仙峡より西の一帯の山塊全体を指していた。上環には太平山街という通りがあるように、山頂だけでなく山麓も太平山と呼ばれていた。後に山麓部分は分割され中環および上環となり、香港の中心市街地へと発展した。中環・上環より高い中腹は半山区と呼ばれる高級住宅地となった。それより高い部分は山頂(ヴィクトリア・ピーク、ザ・ピーク)と呼ばれ、最初は富裕な西洋人と外国政府関係者だけの別荘地に、後には観光地となり現在に至っている。 普通ヴィクトリア・ピーク(広東語で「山頂」、あるいは「太平山頂」)と呼ばれるのは実際の太平山の頂上ではなく、ピークトラムの山頂駅とその一帯のことである。山頂駅は爐峰峡(Victoria Gap, ヴィクトリア・ギャップ)という場所にあり、実際の山頂より下にあたる。 「太平山頂」はさらに多くの峰に分かれている。主な峰には最高峰で通信施設や山頂公園のある扯旗山(Victoria Peak)、その東方の歌賦山(Mount Gough)、奇力山(Mount Kellett)、観龍角などがある。爐峰峡は扯旗山と歌賦山の間に位置する鞍部である。 扯旗山には旗を掲げた山という意味があるが、その由来には諸説ある。 清朝時代の海賊、張保(張保仔)が香港島を拠点にしていた時期、この峰を見張り台に使っており、島の周囲を通る船に旗を振って信号を送っていたという説 1842年に香港島がイギリスの統治下に置かれた際、英国人が主権を示すために山頂にイギリスの国旗を掲げたという説 イギリス統治初期は馬己仙峡に展望台があり、ヴィクトリア・ハーバーに船が入るたびに山頂から手旗信号を送っていたという説
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西インド諸島周辺の地形図 西インド諸島の名は、1492年10月12日にクリストファー・コロンブスが上陸したバハマ諸島グァナハニ島の住民アラワク人の肌の色を見て、インドに到達したと誤解したことに由来する。なお、ここで言う「インド」とはインダス川以東のアジアを指す。この上陸のときコロンブスは、偉業達成を神に感謝して、この島をSan Salvador(スペイン語で「聖なる救世主」の意味)と名づけた。この島は現在のサン・サルバドル島(1926年にワットリングス島から改称)とする説が有力だが、他に約100km南のサマナ島説もある。 カリブ諸島(カリブしょとう)、カリブ海諸島(カリブかいしょとう)(英語 Caribbean Islands、スペイン語 islas Caribes、フランス語 Espace Caraïbe、オランダ語 Caribische eilanden)とも言うが、西洋ではカリブ海やその沿岸を含めカリブ(英語 Caribbean、スペイン語 Caribes、フランス語 Caraïbe、オランダ語 Caraïben)と言うことが多い。フランスやオランダでは、やや範囲が狭い「アンティル諸島」を使うことが多い。
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リヴィエラという名称はイタリア語で「海岸」や「湖岸」を意味するrivieraから来ている。リグーリア海岸のうち、現在のインペリア県のサンレーモ、ボルディゲーラなどが国際的な観光地として開発された時期に、その海岸地域が「リヴィエラ」の名で呼ばれるようになった。のちにその範囲がフランス側(コート・ダジュール、フレンチ・リヴィエラ)にも拡大されたことで、イタリア側を「イタリアン・リヴィエラ」と呼ぶようになった。 今日、リグーリア海岸と呼ばれる範囲は東にラ・スペツィア湾東限のカーポ・コルヴォ(イタリア語版)まで拡大されている。その結果、西はフランス国境から東はトスカーナ州との境界に近いラ・スペツィアまで、リグーリア州の海岸がほぼすべて含まれることとなった。
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「南西諸島」という名称は、海上保安庁の前身である日本海軍水路部が中心となって1887年(明治20年)頃に命名した地名とされ、翌年発行した海図『石垣泊地 日本・南西諸島・石垣島』にその名称が初めて記載されている。1894年(明治27年)発行の『日本水路誌』以降の海図から本格的に使用され、また国土地理院の前身の一つである日本陸軍陸地測量部による1937年(昭和12年)発行の陸図にも記載されている。しかし、「南西諸島」の名称は水路部など限定された組織で使用されたためか、太平洋戦争が開始されるまで、一般には知れ渡ることは無かった。日本の降伏に前後する米軍統治下の沖縄でも、公文書のごく一部に「南西諸島」が記載されているだけで、後に日本復帰した沖縄県でも使用例はほとんど無い。 現行の国土地理院の地方図と海上保安庁の水路図誌では「南西諸島」が使用されている。これは1965年10月25日の第4回「地名等の統一に関する連絡協議会」において「南西諸島」の使用合意がなされ、それ以降の国土地理院の陸図と海上保安庁海洋情報部刊行の海図で、正式名称として使用されている。 また、「地名等の統一に関する連絡協議会」では以下の名称も合意されている。 「地名等の統一に関する連絡協議会」により合意された決定地名 1965年10月25日(第4回) - 「南西諸島」 1971年2月5日(第17回) - 「尖閣諸島」、「大東諸島」 2010年2月15日(第72回) - 「奄美群島」 2011年5月26日(第73回) - 「琉球諸島」 国土地理院の地方図による区分および名称南西諸島 薩南諸島 大隅諸島 鹿児島県 吐噶喇列島 奄美群島 琉球諸島 沖縄諸島 (沖縄島、久米島、硫黄鳥島など) 沖縄県 慶良間列島 先島諸島 宮古列島 八重山列島 尖閣諸島 大東諸島 海上保安庁の水路図誌による区分および名称南西諸島 (薩南諸島)※ 大隅群島 吐噶喇列島 奄美群島 琉球諸島 沖縄群島 先島諸島(尖閣諸島を含む) 大東諸島 ※薩南諸島については第65回「地名等の統一に関する連絡協議会」で保留になっている。
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「青年トルコ人」という呼称は、この運動の活動家たちが英語で Young Turks、フランス語で Jeunes Turcs と呼ばれたことに由来している。トルコ語では Genç Türkler あるいは Jöntürkler といい、いずれも同様の意味である。 もともと「青年トルコ人」というのは他称で、彼らの多くが亡命していたフランスで、マッツィーニの青年イタリアなどになぞらえて呼ばれるようになった。 「青年トルコ人」という場合の「トルコ人」は現在の西アジア・ヨーロッパに分布する民族の「トルコ人」とは違い、その中にはアルバニア人やクルド人、アラブ人などの非「トルコ人」も数多く参加していた。当時のオスマン帝国はヨーロッパではトルコ帝国と呼ばれており、その支配層であるエリートたちは出身のエスニシティにかかわらずトルコ人と漠然と呼称されていたためであるが、こうした事実はオスマン帝国の持つ多民族性の反映でもある。 「青年トルコ人」、あるいは「青年トルコ党」という言葉は、しばしば青年トルコ人革命の主体となった「統一と進歩委員会」を指す言葉として使われるが、厳密には誤りである。「青年トルコ人」と呼ばれる人々の中にはいくつもの政治的なグループがあり、「青年トルコ人」という名称の組織があったわけではなく、また「青年トルコ人」の中の「統一と進歩委員会」が「青年トルコ人」を組織名として称したこともない。
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「Cornwall」は、日本語では「コーンウォール」のほか「コンウォール」「コーンワル」などの表記が行われている。イングランドの行政区分であると同時に、地質・地理上の概念でもあり、歴史的に独特の文化を擁する地方でもある。 地理的な概念としては「コーンウォール半島」(コンウォール半島、コーンワル半島、英: Cornwall Peninsula)と呼ばれることもあり、この文脈ではデヴォン(デヴォン州)地域も含めたより広い範囲を指すこともある。
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