各国の食文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:07 UTC 版)
民族や宗教、地域、国家等々によってそれぞれの多様な食文化が存在する。固有のものがある一方で、麺類のように地域・国境を越えて食文化が伝播している場合もある。 たとえばユダヤ教には「カシュルート」や「コーシェル」と呼ばれる食物規定がある。これはもとをたどれば旧約聖書において、食べてよいもの、食べていけないもの、一緒に食べてはいけないものの組み合わせ、動物の屠り方、調理法などに関すること細かに記述・規定されていることによる。厳格な教派においては現在でもこれを厳格に守っているユダヤ教徒が多い。Pesaḥ(ペサハ。過越祭、すぎこしのまつり、ニサン月14日の夜。太陽暦の3月か4月の移動日に始まり一週間つづく)には、先祖がエジプト人の奴隷であった時代にモーセに率いられエジプトを脱出しようとした際、神はエジプト中の赤子を殺したが、小羊の血を家の入口に塗ったヘブライ人の家だけは「過ぎ越した」(殺さなかった)という故事を思い起こし、過越祭の最初の晩には「セーデル」と呼ばれる正餐を催す。小羊・苦菜・マッツァー(種なしパン、膨らますための酵母を入れないパン)を食べる。そして「ハガダー」という、出エジプトに関する物語・詩篇を読み、先祖がエジプトでの奴隷の身分から救出されたことを記念する。 ムスリム(イスラーム教徒)は、豚肉は不浄のものとして食べない。豚、血、アルコールを含むものは口にしない。鶏、羊などは食べることができるが、さばき方が決められており、神(アッラー)の名を唱えながら鋭利な刃物でさばく、と定められている。イスラム法にかなっている食べ物を「ハラール」という。中東では、ハラールに関して寛容になっているムスリムも増えたが、インドネシアのムスリムの中にはハラールに関して厳密な人も多い。 ムスリムはラマダーン月(イスラム暦の月のひとつ)には、日の出から日没まで断食を行う(また、飲むこと、喫煙、性交、みだらなことを考えること、嘘をつくこと、人を騙すこと、等々も禁じられている)。こうした断食はイスラム教の信仰の中でも最重要なもののひとつである。断食によって神が命じたことを行い、逆に禁止された全ての行いを遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる、とされる。断食をすることによって、貧しくて食べるものもない人々の苦しみを感じることができ、そうした人々の気持ちに寄り添うことができるようになる。ラマダーン月になるとイスラーム教徒は皆、仕事を終えるとまっすぐ帰宅し、日没後に家族・親族が集い、一緒にイフタール(断食明けの食事)を仲良く楽しく食べる。それ故、ラマダーン月には街の料理店にはお客はまったくいなくなるという。ラマダーン月には世界中のイスラーム教徒はひとつになっていると実感し、信仰心が高まる。 (インドに多い)ヒンドゥー教徒は牛は聖なるものと考えており、牛肉は食べない(代わりに鶏肉などをよく食べる)。 西ヨーロッパでは中世までキリスト教のカトリックの影響が特に強く、キリスト教はユダヤ教やイスラームのような聖典を根拠にした食物関連の禁止事項は特にはなかった(キリスト教では現在でも、聖書を根拠に特定の食物を禁止するような規則は無い)。ただし、ある修道院で修道院長が禁欲的な生活を好み制定した厳格な規則があり、その修道院が影響力が(たまたま)強かったので、修道院の外の一般信徒の食習慣にまで影響を及ぼす面はあった。具体的には、530年ころにヌルシアの聖ベネディクトゥスによってベネディクト修道会が創始され、ベネディクトゥスは断食を好み、節度ある食事を修道士に求めて基本的に肉を食べない食事を採用した。ベネディクト会の規範が多くのキリスト教会派の基礎として広まった結果、14世紀の(西)ヨーロッパの国々では魚を食べることが一般的になった(その結果、西ヨーロッパで漁業が大産業となった)。当時は淡水魚が贅沢品で、日常的に食べられる海の魚のニシンとタラがヨーロッパ人の蛋白源となっていた。ニシンは脂が多く腐りやすいのであまり保存食にはされなかったが、タイセイヨウダラは脂が少なく淡泊な味の白身魚なので干物に向いており、しっかり塩漬けにし干物に加工されたタラは5年以上保存ができた。中世ではヨーロッパ各地で頭を落とした <<タラの干物>> が日常の食べ物になっており、ストックフィッシュ(保存魚)と呼ばれていた。15世紀にニシンとタラの干物の貿易がハンザ同盟に独占されてしまったため、イングランドの漁師は新たなタラの漁場を求めて、それまで漁をおこなっていた海域から遠く離れたアイスランド南部沖にまで出かけてタラをとるようになった(その結果、北の冬の荒れた海で漁をし、しばしば遭難することにもなった。) その << タラの干物 >>は(上でも説明したが、しっかりと塩漬けしたうえで干物にすれば5年以上も保存できるほど保存性が良いわけなので)腐ることなく赤道を越えることのできる数少ない蛋白源であったので、大航海時代を支える食べ物となった(つまり逆の言い方をすると、西ヨーロッパ人にはたまたま << タラの干物 >>という食品がありそれを食べる食習慣を持っていたから、たとえ旅の途中でタンパク質を全然調達できない場合でも自分たちはタンパク質不足という切迫した状況に陥ることは無いと分かっていたから、長期の大航海に挑戦することができたわけである)。そうして大航海時代に突入すると、「地理上の発見」をしたり(つまり北米大陸・南米大陸を「発見」したり)北米・南米・アジア・アフリカなどに植民地を得たことで、北米・南米・アジア・アフリカなどの植物の種子や香辛料が西ヨーロッパにもたらされることになり、ヨーロッパの食文化はそれの影響も大いに受けた(たとえば南米原産のジャガイモやトマトなどの種子を持ち帰りヨーロッパの地で栽培するようになったことで、それらがヨーロッパの料理の(基本的な)食材として組み込まれてゆくことになった。たとえばスペイン人が持ち帰ったトマトはイタリア料理には欠かせない食材になっており、ジャガイモのほうはヨーロッパ全域で一般的な食材となり特にベルギーではフリッツ(フライドポテト)は主食扱いにまでなっている。) こうして様々な食文化がある。航空機の国際線などでは様々な食文化の人が乗客となりうるので、ユダヤ教徒向け、イスラーム向け、ヒンドゥー教徒向けなど、典型的な人を想定していくつか機内食の献立が用意されていることも多く、予約時にそれを指定すればそれを食べられるようになっている。
※この「各国の食文化」の解説は、「食文化」の解説の一部です。
「各国の食文化」を含む「食文化」の記事については、「食文化」の概要を参照ください。
- 各国の食文化のページへのリンク