動物愛護運動家としてのバルドーとその逸話
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「ブリジット・バルドー」の記事における「動物愛護運動家としてのバルドーとその逸話」の解説
1962年、屠畜場での家畜の殺し方に不満を持ち、ペスクタリアン(肉は一切摂らずに、魚介類、乳製品、卵は摂取する)になる。「ベジタリアンになれとは言わないが一切れの苦しみと恐怖で惨く死んだ動物の肉を食べるのを控えて欲しい。中世時代より悪い !子牛の喉が開いて血まみれで肢が折れた拷問の写真を見て私は長い間泣いた。この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。ビーフステーキは恐ろしい罪のない動物を苦しませた結果の死。」 1962年1月5日に放送されたテレビ番組「Cinq colonnes à la une」においてブリジットは、屠殺用のピストルを持って次の様に語った。「食用牛を処理する際、イギリスやデンマークでは、ピストルで脳頭蓋を撃ち、神経を麻痺させて苦しみを与えないようにしています。フランスではナイフで喉をかき切って意識があるまま3、4、5分もがき苦しみながら出血により死にます。フランスでもピストルで苦しませないやり方をとるよう求めます。」 1964年、農林水産省の大臣エドガール・ピザニがこの問題の政令にサインし、1970年には、大臣エドガール・フォールが兎と鶏も屠畜場での殺し方を人道的にする。この後フランスでの屠殺の法律が厳しくなる。 1966年、パリの郊外にあるジュヌヴィリエの動物保護協会「SPA」で里親募集を企画した解説者ジョン・ポール・ステガーが「酷い状態で10匹位の犬が死ぬ」とブリジットに知らせ見学する。ブリジットは犬5匹と猫10匹を引き取り映画のスタジオに連れてきて、スタッフに里親になってもらう。 1973年、ブリジットが改良するよう頼んだ動物愛護の施設が完成。ブリジットが落成式をする。 1976年、国際動物福祉基金の組織と一緒にカナダのアザラシ狩りの現実を告発する。 1977年、当時の大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンはアザラシの毛皮の輸入を禁止した。これに伴い、カナダの政府にもこの問題に取り組むよう頼む。 1978年、子供用に、アザラシの赤ちゃんの話の本『Noonoah le petit phoque blanc(ヌノア 小さな白いアザラシ)』を出版する。 1983年3月28日、欧州評議会に受け入れられた後、欧州連合内でアザラシの仔の毛皮と、白いアザラシのオーバーコートの輸入が禁止になる。 1980年、テレビ局TF1で、馬の屠畜場での状態を語り、フランスからそれが無くなることを依頼する。 1984年、ブリジットは、「売り上げは動物愛護団体に寄付する」という条件付きで、これまでリリースを拒否していた『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のリリースを認めた。 1985年、その時の大統領フランソワ・ミッテランからレジオンドヌール勲章を与えられるが、ブリジットは行かず『私のレジオンドヌール勲章を苦しむ動物たちに捧げる。』と宣言する。 1986年、ブリジット・バルドーの動物愛護施設を作る。施設のため、ブリジットは宝石、服、ギターなどを競売にかけて売った。 1989年~1992年、番組『S.O.S. Animaux(S.O.S動物)』に出演。象牙の不正取引、動物実験の現状、行き過ぎた狩り、エキゾチックの動物の不正取引、屠畜場の状態など取り上げた。 1994年、ヴァール県で猟師に向けてデモ行進する。 1994年、デザイナーに毛皮をもう使わないよう依頼する。 1996年、馬の尻尾を切ることを禁止するよう依頼する。 1996年、イスラム教の儀式における羊の殺し方を告発し、人種差別とされ罰金を払わされた。 2001年12月3日、韓国メディアの文化放送の番組「ソン・ソクフィの視線集中」で、韓国の犬食文化について「(他の肉だと)だまされない限り食べない。よくうそをつく韓国人とはこれ以上対話できない」「犬の肉を食べるのは野蛮人」と発言し、韓国の犬食文化を批判した。 2006年9月28日、彼女の設立した動物愛護団体が20年の記念を迎える。1973年から動物愛護の活動を書いた本『Pourquoi ?(何のために ?)』を発表。 2009年、シラク元大統領はブリジットを援助し欧州委員会で、アザラシの狩りからの製品全部販売輸入輸出通過を禁止する事を成功する。 2010年6月、仏ランセルとのコラボレーションにより、自身の名前を冠した、動物由来の素材を一切使っていないバッグを発売した。 2011年、東日本大震災に対し、他の動物保護とコラボレーションして支援を表明した。 2012年、リヨンで飼育されていた2頭のゾウに結核の疑いがあり、殺される予定だったが、ブリジットが政府に何度も手紙を書き、いくつか提案を渡した。政府から良い返事を貰えなかったブリジットは「動物の墓場になる国から逃げ、ロシアの国籍を依頼する」と手紙に書いた。結局その2頭のゾウは結核ではなく、ステファニー・ド・モナコの娘がその事を伝え、助けるよう頼み、現在モナコに元気に過ごしている。 2016年3月、ブリジット・バレドー保護団体はタイの犬を救う。アジアの国 韓国、中国、タイ、ベトナムなどの国では犬と猫は食肉とされる。盗まれた犬又は商品と引き換えられた犬が酷い状態で不正取引される。動物愛護の憲法が厳しくなってからタイの政府も厳しく取り締まるようになった。警察と協力しベトナムと中国に食肉として運ばれる途中で地元のsoi dog 保護団体とコラボレーションして約500頭を保護する。長年soi dog と付き合いがあり、薬や食べ物囲いを作る援助している。その中の12匹がフランスに運ばれてノルマンディ地方にある愛護施設で里親待ちになっている。
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