ワシントン会議全権とは? わかりやすく解説

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ワシントン会議全権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)

徳川家達」の記事における「ワシントン会議全権」の解説

1921年大正10年10月原内閣ワシントン会議海軍大臣加藤友三郎駐米大使幣原喜重郎、そして家達全権としてワシントン派遣した海軍大臣駐米大使全権になることに違和感はないが、軍人でも外交官でもない上院議長家達派遣驚きをもって迎えられた。家達選ばれたのはアメリカヘンリー・カボット・ロッジ上院議員全権選んだことが影響しているといわれる。また原内閣貴族院対策だったとも指摘されている。一方徳川家広家達日英同盟廃止論者だったので同盟廃止してアメリカ含めた四か国条約発展させるめだったではないか指摘している。 しかし、全権就任するということは原内閣軍縮などの外交方針従い公的な場においてその立場から政治的発言を行うことを意味し、それによってこれまで無色の上院議長で通してきた家達毀誉褒貶すなわち政治的評価付着する結果になった。それは必ずしも賞賛一辺倒ではなく原内閣政治的に対立している人物から多く批判寄せられるようになった貴族院内でも議長批判の声上がるようになり始めたため、帰国後に河井が対応に奔走することになる。 10月15日加藤友三郎とともに横浜から汽船鹿島丸で出航船内では謡曲歌ったり、デッキゴルフを楽しんでいた。また「十六代様」「貴族院議長公爵」として揮毫を随分依頼されイニシャルのIとTから取った雅号「愛汀」の名前で応じている。 11月2日ワシントン到着ワシントンでの家達旧知英国代表アーサー・バルフォア親しくした。 シカゴでの演説では「吾々は世界に於ける軍備縮小目的達する為め吾々の最善努めたい覚悟である。そしそれは独り吾々の本国たる日本の為と云ふ許ではなく同時に世界の平和を保証するのである信ずる」と語った。また家達共同通信記者に対して日米両国間に横たわる誤解原因払しょくすることに専念するつもりであり、日米お互いをよく理解し協力すべきと日米関係改善試みると発言している。また別の演説の中ではペリー来航の話を絡めて日米外交開始した徳川将軍家の子孫が今更なる日米友好発展期すといった演説行った外務省日本全権団はワシントン会議動向報じる各国新聞論調注視しており、日本全権団も家達中心に新聞記者対象にしたレセプション開催するなど各国報道陣への対応に注意払った海軍軍縮問題ワシントン会議成否分ける重要問題であり、日本海軍主力艦比率対米英7割にするか6割にするかという問題だった。アメリカは6割を要求したが、日本アメリカ交渉海軍軍縮専門委員会でも妥協点が見いだせず、協議難航そうした中の11月28日現地時間)の記者会見家達は7割は海軍随員加藤寛治中将個人意見であって日本海軍問題に関して日本代表海軍力比率に関して執るべき最も件名方策につき目下審議であるから未だ其の態度声明する迄に進んでゐない」と述べており、つまり日本全権団として公式に7割を主張しているわけではない旨を記者団の前で発言し、これが12月2日日本国内新聞報道された。この発言日本全権団内で7割を強く主張し続けていた加藤寛治存在クローズアップさせると同時に日本全権内部不統一期せずして露呈させた。事は会議全体国防方針関わる問題だったため、様々な憶測混乱惹起した報道拡散されて日本国内混乱していたのを受けて12月1日現地時間)に家達は再び記者会見し「余は加藤中将陳述に関して余に質問発した一新記者対し、右陳述は単に海軍専門家等の意見であるといふ意味を伝へる積りであつたのである、余は加藤中将意見反駁する意向は無かつたのである然るに余の言を以て加藤中将意見反駁若しくは否認解する人々あるらしい然し余は毫も此種の観念又は印象を伝へやうとは欲しなかったのである」と弁明している。 しかし日本国内では7割案だったのを米国屈従して6割案に譲ったとする全権弱腰批判する論調日増しに高まり、それは渋沢栄一彼の娘婿貴族院議員阪谷芳郎通じて家達の耳にも入っていた。阪谷は渋沢に「徳川全権当方新聞紙上至テ不評判ナリ」と報告している。 また家達不在中の貴族院内では細川護立侯爵佐佐木行忠侯爵研究会の反幹部派が院内会派無所属第2次)を組織したことで、会派活動活発化して、いきり立った状態になっていた。貴族院書記官長河井はこの貴族院内の不穏な状況早期収める必要性や、これ以上家達ワシントン声望を落とすことを懸念して家達早期帰国提案他国全権一部帰国しはじめていたこともあって、12月下旬外務省家達早期帰国決定した原内閣貴族院対策のために全権になったと言われていた家達は、後続高橋是清内閣貴族院対策のために帰国することになった家達早期帰国の件は貴族院本会議でも質問出ているが、高橋首相他国全権一部帰国していることに触れて徳川公爵帰朝シテモ向フニハ差支ヘナイ」と答弁している。この答弁加藤友三郎幣原喜重郎異なり家達全権としてワシントン遂行する任務なくなったことを証明するものでもあった。 他の全権先駆けて帰国した家達会議への不満を一身に受けざるを得なくなった全権としての家達への評価賛否両論で、6割反対運動をしていた対米同志会は「平和の攪乱宴会使節徳川家達公は何の面目あつて帰るか」「言語道断大失態」と非難する声明出し憲政会所属衆議院議員望月小太郎は「重大な時機不必要な談論を恣にして我が国防安全七割率とは単に日本海軍専門家の私言に過ぎず公言し全権間に一場紛議捲き起こし」たと批判他方外交評論家小松緑家達会議において「円満に事を纏める素地を作」ったことを「成功」としつつ「気の毒にも、その仕事余り表面に出なかつたので、世人から能く諒解されてゐない」と指摘した貴族院内の評価賛否両論であった。まずは議長労をねぎらう議員大半だったが、一部議員から批判起き会議の成果成功とはいえないこと、貴族院議長全権にすることで貴族院からの会議への批判封じ込めようという原内閣計略乗せられたこと、そもそも家達会議議題になっている問題専門家でなかったことなどについて批判があった。ただ家達擁護する政友会研究会批判する憲政会幸倶楽部派といった構図表面上は見られず、目立った批判浴びせたのは対外硬唱える少数派であり、残り少なくとも静観といった感があった。 河井帰国後の家達批判を受ける状況をできる限りらすため家達隠忍自重促す一方内閣貴族院マスコミなど謝意表明して懇話会を開くなど融和尽力した書記官長としての職務範囲はるかに超える河井活動(ゆえに柳田嫌われたが)は家達大きな支えとなった思われる

※この「ワシントン会議全権」の解説は、「徳川家達」の解説の一部です。
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