ワシントン侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 03:54 UTC 版)
「ワシントン焼き討ち」の記事における「ワシントン侵攻」の解説
ロバート・ロス少将が指揮する2,500名の部隊が、戦列艦HMSロイヤルオーク、3隻のフリゲート艦、3隻のスループ艦、その他10隻の船舶でバミューダに到着した。 イギリス海軍と陸軍の合同部隊はパタクセント川を遡り、川の南岸にあり見張り拠点と民兵の兵舎に使われていたプランテーション、「ザ・プレーンズ」からメリーランド州の民兵を排除した。この「ザ・プレーンズ」でのイギリス海軍と陸軍の合同部隊の行動は、1814年8月19日に予定されるイギリス軍上陸に対して、メリーランド州の民兵による抵抗を無力化する動きの一部だった。イギリス軍士官が上陸して、民間資産を破壊すると脅した。その脅迫が功を奏して、地元メリーランド州民兵が侵略に対抗するのを躊躇わせることになった。メリーランド州民兵が退却した農園はおそらくチェスリーの丘陵だった。 既にコックバーンとロスの指揮下にあったイギリス海兵隊は、アメリカの抵抗を無力化した後、8月19日にメリーランド州ベネディクトで上陸した。その部隊は8月24日のブラーデンスバーグの戦いで、アメリカ海軍のチェサピーク湾戦隊、アメリカ海兵隊の分遣隊および経験の無い民兵隊を潰走させた。 この戦闘の直後にイギリス軍はキャピトル・ヒルまで前衛部隊を派遣した。ロス少将は条件を整えるために休戦の旗の下に部隊を派遣したが、メリーランド・アベニュー、コンスティチューション・アベニュー、2番通り北東の角にある家屋からゲリラの攻撃を受けた。これはイギリス軍が市内で遭遇した唯一の抵抗だった。その家屋が燃やされ、イギリス軍はワシントン市の上にユニオンフラッグを掲げた。 アメリカ合衆国上院と下院を収容する建物、すなわちアメリカ合衆国議会議事堂は、中央のロタンダの建設がまだ始まっていなかった。ここに火が付けられた。議会図書館のある建物内部が破壊されたが、壁が厚くハリケーンがもたらした滝のような雨が降ったために、外面は保たれたままだった。後にトマス・ジェファーソンは、議会図書館の蔵書を補うために6,000巻以上の私蔵図書を政府に販売した。 ジェームズ・マディソン大統領と政府の軍関係閣僚は、イギリス軍の攻撃の後で市内から逃亡した。その夜はモンゴメリー郡の小さな町ブルックビルで隠れ家を見つけた。そこがアメリカ合衆国に1日首都と呼ばれるようになった。ジェームズ・マディソン大統領は、ブルックビルに住み働くクエーカー教徒ケイレブ・ベントリーの家でその夜を過ごした。ベントリーの家はマディソンの家屋と呼ばれ、現在も建っている。
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