コーデックスI
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「ナグ・ハマディ写本」の記事における「コーデックスI」の解説
コーデックスIは、四世紀の第二・四半世紀に筆写されたものと推定されている。 コーデックス番号題名備考I 1 使徒パウロの祈り 「使徒パウロの祈り」に関する古代の伝承記録はないので、ナグ・ハマディ写本の発見によって初めて存在の知られた文書である。題名は本文の最後にギリシア語で書かれていることから、ギリシア語の原本からのコプト語訳だと考えられる。わずか2ページの文書で、パピルスにはページがふられていない。コーデックスIの「ヤコブのアポクリュフォン」から最後の「三部の教え」まで筆写したあとに「使徒パウロの祈り」を書き写し、その後製本した際にコーデックスIの最初に綴じこんだ、というのが定説である。「ヨハネの福音書」からの引用と見られる部分があるので、オリジナルのギリシア語版は新約聖書成立後からコーデックスIの制作時期(4世紀前半)までに成立したと見られるがそれ以上のことはわからない。ヴァレンティノス派の作品だったかもしれないと考える研究者もいる。 2 ヤコブのアポクリュフォン 古代の文献に記録はないので、ナグ・ハマディ写本の発見で初めて知られた文書である。本文書に題名は記されておらず、「ヤコブのアポクリュフォン」という呼び名は通称である。その他「外典ヤコブの手紙」という呼び方をされる場合もある。「ヤコブの黙示録」という呼び方をする文献もあるが、内容と一致しないので不適当な呼び方である。アポクリュフォンとは、「秘密の教え」あるいは「秘密の書」という意味で、手紙の差出人であるヤコブが、自分とペトロだけに啓示されたイエスのアポクリュフォンを、それを知りたいとの願いに応えて受取人に伝えた手紙という体裁で書かれている。ギリシア語原本からのコプト語訳であると考えられる。簡単な手紙の挨拶文の後、アポクリュフォン本体が書かれ、最後に結びとして手紙の受取人に向けた祈りと勧告が書かれている。当時の手紙は、冒頭に差出人と受取人の名前を書くのが慣習になっていたが、この部分が欠損しているため共に推測に頼るしかない。手紙の差出人はヤコブという名であったと推測されるが、義人ヤコブ(または、主の兄弟ヤコブとも呼ばれる)のことだろうとの仮説が研究者間の多数意見である。言うまでもなく、これは架空の設定に過ぎず、実際に義人ヤコブが書いた手紙ではない。受取人については議論があり不明である。ギリシア語原本の成立年代を特定する手がかりはなく、いくつかの仮説が出されているにとどまる。イエスの復活の550日後に12弟子が集まっているところへイエスが出現し、ペトロとヤコブを脇に連れて行き二人と対話した内容がアポクリュフォン本体部分に相当するが、その内容にはとりとめがない。ペトロ・ヤコブという弟子を通してではあるが、イエスの直弟子よりも、本文書を担ったグループを上位に置いて正統教会に対立する見解を見せることと、殉教を高く評価する点が特徴的である。なお、当時の正統教会の論者は、一般的にグノーシス主義者が殉教を忌避していると非難しているが、現在の研究では受け入れられていない。 3 真理の福音 題名は本文の最初にも最後にも書かれていない。文書の書き出しが「真理の福音」で始まるので、これを用いた通称である。保存状態は比較的良好で、一部を除いて欠損部分の修復は容易である。原本はギリシア語であったとみられる。シリア語原本、コプト語原本を唱える仮説もあるが定説には至っていない。コーデックスIの他に、コーデックスXIIにも別の異本(パピルス六葉分)が収録されているが、後者は保存状態がきわめて悪く、パピルスの順序を示す字母(ページ数)さえ確認できない。コーデックスXII所収の「真理の福音」は断片でしかなく、欠損部分が非常に多く、コーデックスIを利用して復元する以外にない。ただし、1か所だけだが、コーデックスXIIの断片を利用してコーデックスIの「真理の福音」が復元可能な場所がある。これら2つの異本の原本が同一なのかそれとも別々なのかを決定する決め手は乏しい。エイレナイオスは「異端反駁」の中で、ヴァレンティノス派の人々が「実際に存在している福音書よりも多くの福音書を所有していて」現在(180年-185年頃)よりも「あまり古くない時代に彼らによって著された福音書に、使徒たちの諸福音書と内容的一致が全くないにも関わらず『真理の福音書』という表題を付している」と述べている。ここで言及されている「真理の福音」と、ナグ・ハマディ写本収録の「真理の福音」が同一のものであるとの説が古くからあるが、「異端反駁」にその内容が引用されておらずたんなる憶測にすぎない。ただし、広い意味でヴァレンティノス派に属する文書であることは既に定説になっている。全体は序言とそれに続く三部で構成されている。第1部はプラネー(迷い)の生成から始まる。その後、啓示者・教師としてのイエスとその働きについて説明される。第2部は、イエスのもたらした啓示の効果の、第3部は父への再統合に至るプロセスの説明である。典型的なグノーシス主義の文書であるが、一方でそのキリスト論は、グノーシス諸派のそれよりは正統教会の諸文書におけるキリスト論に近い。 4 復活に関する教え 本文書に関する古代の記録はなく、ナグ・ハマディ写本発見によって初めて知られた文書である。題名は本文の最後に書かれているが、内容が書簡であるのに「教え(ロゴス)」という題名が付くのは奇妙なので、題名は写字生か製本した者が事後的に付け加えたもので、元は無表題だっただろう、というのが研究者間の定説である。保存状態は良好で、欠損部分の復元は容易である。コーデックスIでは、この「復活の関する教え」のみが他の文書の写字生とは別の人物によって書き写されたことが書体学的に裏付けられている。文章の一部に新約聖書の正典化がある程度進んでいることをうかがわせる部分があるので、成立時期は二世紀後半と考えるのが一般的である。形式的には書簡の体裁で書かれているが、実際に書簡として送られたものなのか、それとも、単に書簡の形式を借りただけなのかは不明である。ただし、実際に書かれた書簡であるとの説が有力になりつつある。「わが子レギノスよ」という呼びかけで始まっており、レギノスという人物に宛てた手紙の形式で書かれているが、この人物の歴史的実在性は実証されていない。 5 三部の教え 本書に関する古代の証言は残されていないので、ナグ・ハマディ文書発見によって初めて知られた文書である。本文に題名は書かれていないので、「三部の教え」という名前は通称である。この呼び名は、本文書が記号によって三部に明確に分離されていることからきている。文書の保存状態は非常に良好である。ただし、写字生による筆写は粗雑であり、コプト語訳も稚拙である。そのため、内容の読解は簡単ではない。また、文書の表現が暗示的・抽象的である点も内容の理解を困難にさせている。間違いなくギリシア語原本からのコプト語訳である。ただし、写字生が訳したのではなく、それ以前に誰かがコプト語訳を行い、それをそのままコーデックスIに写し取ったものである。原本の成立年代は、三世紀から四世紀初頭だろうとの推測が研究者間での一般的な見解である。本文書は三部分に分けられており、第1部はプレーローマ界の生成の次第、第2部は人間の創造について、第3部は地上に存在する三種類の人間種族の終末論的運命について書かれている。全体として、プレーローマ界から地上の世界までの空間にどのような存在が、そのような位階関係で存在するのか、どのようにして生成されてきたのかを説明する文書だといえる。理由を表す接続詞tscheが絶え間なく出現する特徴のある文書で、世界の構成・様々な存在に3層構造を課す点にも特徴がある。キリスト教を前提にして書かれており、ヴァレンティノス派に特有の用語を含むことから、研究者間では広い意味でヴァレンティノス派の中で生み出された文書だというのが定説である。
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