コーデックスIII
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:13 UTC 版)
「ナグ・ハマディ写本」の記事における「コーデックスIII」の解説
アーマドが殺されたことをアル・カスル村の住人は喜び、警察の捜査でも目撃者が証言しようとはしなかったが、警察はムハマンドに目をつけ、毎日夕方になると殺害に使った武器が見つからないかと家にやってくるようになった。ムハマンドは写本が警察に見つかることを恐れた。 壷から発見された本がコプト語で書かれていたことから、キリスト教のものであると言われたムハマンドは、村のコプト正教会の司祭、アックンムス・バシリユス・アブド・アッマシー (al-Qummus Basīlīyūs 'Abd al-Masih) に相談して、これらの本のうち1,2冊を司祭の家で預かってもらえないかと頼んだ。(なお、別の文献の説明では、村を離れることになったときに司祭に文書を託したことになっている。) バシリユスは結婚しており、義兄のラジブ・アンドラウス (Rāghib Andrawus) が、コプト正教会の学校で英語と歴史を教えていた。村々を巡回して生徒たちに教えており、アル・カスル村にやって来てバシリユスの妻の家に泊まったときに、バシリユスは現在コーデックスIIIと呼ばれている写本を見せた。 その価値に気づいたラジブは司祭を説得して写本のうち1冊を手に入れカイロへ持っていき、友人でコプト語に興味を持っていた医者ジョージ・ソビイ (Goerge Sobhi) に見せた。コーデックスIIIを三百ポンドで買い取ることで話はまとまったが、支払いは遅れに遅れた。最終的にはラジブに二百五十ポンド、コプト博物館へ五十ポンド寄付することで決着がつき、コーデックスIIIはコプト博物館に収蔵されることになった。収蔵されたのは1946年10月4日のことである。13冊ある写本の中で、最も早くコプト博物館に収められたのがこのコーデックスIIIである。
※この「コーデックスIII」の解説は、「ナグ・ハマディ写本」の解説の一部です。
「コーデックスIII」を含む「ナグ・ハマディ写本」の記事については、「ナグ・ハマディ写本」の概要を参照ください。
コーデックスIII
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:13 UTC 版)
「ナグ・ハマディ写本」の記事における「コーデックスIII」の解説
コーデックスIIIは、四世紀から五世紀にかけて筆写されたものと推定されている。 コーデックス番号題名備考III 1 ヨハネのアポクリュフォン 2 エジプト人福音書 「エジプト人の福音書」という名前は本文書の通称である。文書の最後に書かれている本来の題名は「大いなる見えざる霊の聖なる書」である。文書の最初の部分に「…なる書」(…の部分が欠損している)と書かれているのだが、文書の最後に、写字生による後記が書き込まれており、その部分に「エジプト人の福音書」という言葉が書かれていることから、欠損部分を「エジプト人の聖」と推測して復元している。いずれにしても、「福音書」という言葉を欠損部分に詰め込むだけの空白的な余地はない。アレクサンドリアのクレメンスなどが引用している「エジプト人の福音書」は本文書とは別ものである。原本はギリシア語である。コーデックスIIIとIVにそれぞれ1部筆写されているが、保存状態は前者の方が良好である。ただし、コプト語訳は後者の方が理解しやすい。コーデックスIVの「エジプト人の福音書」は、後記二の途中までしか残っていないので最後がどのように終わっているのかは不明である。破損箇所が多かったり、コプト語訳の文意がはっきりしない所も多く、写本の写し間違いが避けられないなどから、不明点も多い。それぞれの文書の欠損部分は両者を比較して推測により補うしかないが、共に同じ原本からのコプト語であるかどうかを決定的にする証拠があるわけではない。本文の前に簡単な序文が置かれており、また、本文が終わったあとに、賛美(洗礼式文)一、賛美(洗礼式文)二、後記一、後記二、写字生による後記が書かれており、これらの最後に表題が書かれている。また、2つの賛美の部分には古代の魔術文書に見られる呪文が書かれている。本文は2部に大別される。第1部では、「大いなる見えざる霊」を出発点にしてさまざまな存在が生み出されていく天界成立の神話が書かれている。第2部は、セツの誕生と救済活動を扱っている。「エジプト人の福音書」はセツ派の文書で、セツ派に属する著者が、セツ派の読者に向けて自分たちの自己理解と救済論を、神話の中に織り込んで説明したものである。 3 聖なるエウグノストスの手紙 題名は、コーデックスIIIに収録された文書の方には本文の最後に「祝されたエウグノストス」、コーデックスVの方には本文の末尾に単に「エウグノストス」と書かれている。書簡なので当時の慣習通り、冒頭に手紙の差出人と受取人の名が書かれており、差出人と題名はコーデックスIII、V共に一致している。一般に、コーデックスIIIの文書を「聖なるエウグノストス」、コーデックスVの方を「エウグノストス」と呼んでいる。原本はギリシア語だったと推測される。原本の成立年代については諸説あり不明である。確実なことは、ナグ・ハマディ写本に収録されている「イエスの知恵」よりも前に書かれた文書であるという点だけである。教師エウグノストスが弟子に送った書簡という形式で書かれている。コーデックスIIIの方にはキリスト教グノーシス主義者によって改変された部分がある。 4 イエス・キリストの知恵 題名は本文冒頭と最後に書かれている。最初に書かれている題名は「イエス・キリストの知恵」、最後に書かれているのは「イエスの知恵」である。ギリシア語原本からのコプト語訳だと考えられている。本文書の前に収録されている「エウグノストス」と本文書は内容が酷似している。「エウグノストス」をもとにして、それに新たに文書を付け足して作ったのが「イエスの知恵」であるという仮説が一般的に受け入れられている。したがって、「イエスの知恵」の成立年代の方が「エウグノストス」よりも後であろうと推測される。原本の成立時期については研究者によって様々で、一世紀末から三世紀初めまでと幅広い。ナグ・ハマディ写本の発見以前に、ベルリン写本の中にも同一の文書 (BG 8502) があることが知られていた。また、オクシリンコス・パピルス (OP 1081) にもギリシア語断片が残されている。「エウグノストス」にはキリスト教的要素がほとんどないのに対して、「イエスの知恵」はキリスト教グノーシス主義の文書であると言える。キリスト教徒をグノーシス主義に導くというよりも、非キリスト教グノーシス主義者をキリスト教グノーシス主義に引き込むことが主目的で書かれた文書であるらしい。 5 救い主の対話 題名は、本文の冒頭と最後にそれぞれ書かれている。古代の文献に記録はなく、ナグ・ハマディ写本発見によって初めて知られた文書である。ギリシア語原本からのコプト語訳だと考えられる。内容は、主とその弟子たちとの対話である。題名に「救い主」とあるが、本文ではほとんどそのように呼ばれることはなく、もっぱら「主」と呼ばれている。また、弟子として登場するのは、ほとんどの場合、ユダ、マタイ、マリアの3人で、登場する救い主は復活前のイエスである。文書全体としては、対話形式にまとめられたイエスの語録集と言える。ただし、「トマスによる福音書」とは異なり、共観福音書伝承との関係が深いわけではない。また、すべてが資料に基づいてまとめられたものでのなく、一部に著者による筆が加えられていると考えられている。ギリシア語原本の成立時期の推定に対する明確な証拠はないが、二世紀前半であると推測されている。
※この「コーデックスIII」の解説は、「ナグ・ハマディ写本」の解説の一部です。
「コーデックスIII」を含む「ナグ・ハマディ写本」の記事については、「ナグ・ハマディ写本」の概要を参照ください。
- コーデックスIIIのページへのリンク