カイロへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 00:15 UTC 版)
「ウォルフガング・ロッツ」の記事における「カイロへ」の解説
1961年1月にエジプトのカイロに着くと、ロッツは「ドイツ国防軍将校出身の馬の調教師」としてエジプト警察庁長官が会長を務める乗馬クラブに入会し、たちまちエジプト政府高官、軍将校、警察官僚などの上流社会、そしてドイツ人科学者グループに浸透することに成功し、モサッド工作員として数々の機密情報を本国に流した。 1961年6月、エジプト上流社会とドイツ人科学者グループに接近することに成功したロッツは、上司への報告のためパリに向かい、トランスポンダーを受け取った(このとき彼の指揮権はイスラエル諜報特務庁に移っていた)。そこからミュンヘンへ向かう途中のオリエント急行の列車内で、ロサンゼルスでレストランの支配人をしていたウォルトロード・ニューマンというドイツ人女性に出会い、そのまま結婚した。ロッツはこのことに関して上司に報告しなかったがイスラエル諜報特務庁(モサッド)はこの事実を掴んでおり、彼女が他国の工作員でないことが確認されたのでこの結婚を認めることにした。 ロッツはウォルトロードに自分の身元と任務を明かすとともに、夫婦で様々なパーティーに参加し、政府高官や軍将校に対して高価なプレゼントを贈るなどして人脈を広げた。
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