コーデックスVII
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「ナグ・ハマディ写本」の記事における「コーデックスVII」の解説
コーデックスVIIの作成時期は、カートナージの分析から四世紀半ば以降であることがわかっている。同様にカートナージの分析から、コーデックスVIIはパコミオス修道院で作成されたものとみられる コーデックス番号題名備考VII 1 セームの釈義 題名は本文の冒頭に書かれている。ただし、本文中にセームはごくわずかしか現れず、内容はむしろ「セームへの釈義」というべきである。ギリシア語原本からのコプト語訳であることは本文より明白である。翻訳はかなり稚拙もしくは杜撰である。保存状態はきわめて良好で、わずかな欠損があるにすぎない。本文書は、内容の理解が難しいことで知られる。理由として、文体上の問題や、神話論で重要なキーワードが様々に言い換えられて用いられること、それらが時々で積極的にあるいは否定的に使われること、更に文書に論理的な構成が存在しないことなどがあげられる。おそらくは未完成な文書だと考えられる。ヒュッポリトスの「全異端反駁」の中に「セツの釈義」という名の文書に関する報告がある。初期の研究ではこの「セツの釈義」と「セームの釈義」は同一の文書か直接的な関係があるとの説が優勢だったが、その後は、より複雑な関係にあるとの説に変わってきた。ギリシア語原本の成立時期については、コーデックスVIIの成立時期(四世紀半ば)以前ということ以上はわからない。内容は、最初に至高神の御子デルデケアスが啓示を語り、その後に啓示された「証し」に解釈を加えたあと終末論と倫理に関する啓示が続く。更に、セームによる啓示があったあと、再びデルデケアスによる啓示があって、そこで終わる。 2 大いなるセツの第二の教え 題名は本文の最後にギリシア語で書かれている。保存状態は極めて良く、事実上完全に保存されている。本文書に関する古代の記録はないので、ナグ・ハマディ写本発見によって初めて知られた文書である。ギリシア原本からのコプト語訳である。題名から容易に、「第一の教え」が存在したのではないかと考えたくなるが、現在では失われてしまったか、あるいは元々そのような文書はなかったのだと考えられている。ナグ・ハマディ写本所収の「セームの釈義」、あるいはヒッポリュトスの「全異端反駁」に報告されている「セツの釈義」が「大いなるセツの第一の教え」であるという仮説が唱えられたことがあったが、それを支持する研究者はほとんどいない。また、題名に「セツ」と書かれているにもかかわらず文書にセツは登場しない。また、セツ派に特徴的な思想・観念も現れない。なぜ、題名にセツの名を冠したのかは不明で、セツの名があるにもかかわらずセツ派の文書に含めないのが普通である。 3 コプト語ペトロ黙示録 題名は本文の最初と最後にギリシア語でそれぞれ書かれている。ギリシア原本からのコプト語訳であることは本文より明白である。誤訳や写し間違いの部分以外に、筆写した人物がオリジナルのテクストを改変している可能性も指摘されている。保存状態は非常によく、事実上完全に残っていると言ってよい。古代には「ペトロの黙示録」という名の文章はたくさん作られたことがわかっており、本文書もその中のひとつである。最も有名な「ペトロの黙示録」は、アレクサンドリアのクレメンス等が引用している書物で、エチオピア語訳やギリシア語訳の断片が残されているが、本文書はそれとは別物である。古代の伝承で「ペトロの黙示録」について書いた書物はたくさん存在するが、それらがどの「ペトロの黙示録」について書いているのかの手がかりはないので、少なくとも一義的に本文書について記録した古代の証言は存在しない。ギリシア語原本の成立時期に関する手がかりはなくはっきりしたことはわからないが、二世紀後半より後に成立していた可能性が高い。イエスの逮捕直前に忘我状態でペトロが見た幻を書いた文書で、イエスの逮捕と処刑に関する内容である。仮現論的キリスト論が展開されている。地上・天上ともに徹底的に二分されて書かれており、自分達と敵対する勢力を非難する内容である。敵対勢力とは、正統教会だけでなく、自分たちとは異なるいくつかの異端勢力だったと考えられる。グノーシス主義の通常の文書では、ペトロ以外の人物に「真の啓示」や「真の教え」を語らせ、それによってペトロの権威を否定・相対化しているが、本文書はそれとは異なり、ペトロ自身を利用して正統教会を否定する手法が特徴的である。グノーシス主義の文書であることは明瞭に見てとれる。 4 シルヴァノスの教え 本文書に関して古代の文献に記録はない。ただし、「シルヴァノスの教え」という名前では記録に現れないだけで、ナグ・ハマディ写本以外の異本が存在する。1つは『大英博物館所蔵のコプト語手稿のカタログ』(1904年)にNo.979との整理番号で収録されている羊皮紙に書かれた文書(題名は書かれていない)で、「シルヴァノスの教え」の1部であることが1975年にわかった。他に、砂漠の隠遁生活の創始者として有名な聖アントニウス作と伝えられた一連の偽作文書をまとめたアラビア語写本(8-9世紀制作と推定)にも伝わっている。また、後者のラテン語訳がミーニュのギリシア教父全集(ルーブル博物館蔵)第40巻1073-1080欄に収録されている。これらの諸文書の写本伝承関係については仮説の域を出ない。ナグ・ハマディ写本収録の「シルヴァノスの教え」の保存状態はほぼ完全である。ギリシア語原本をコプト語に翻訳したもので、題名は本文の最初に置かれている。ナグ・ハマディ写本の多くがグノーシス主義の文書であるのに対して、「シルヴァノスの教え」の基本的な立場はアレクサンドリア神学にありしたがってグノーシス主義の文書ではなく、1部反グノーシス主義な議論を含んでいるとも言える。 5 セツの三つの柱 古代の伝承に記録はなく、ナグ・ハマディ文書の発見によって初めて知られた文書である。題名は文書の最後に記されている。原本がギリシア語であることは確実である。コーデックスVIIの保存状態は写本全体の中でも最良であり、本書もほぼ完全な状態で残されている。原本の成立時期は、3世紀中頃から4世紀半ば以降と考えられる。ただし、3世紀半ばよりももっと以前という可能性も残されている。本書は、ドーシテオスという人物が、セツによって記されたという3つの碑文の内容を「そこに書かれてあった通りに」述べる、という形式によっている。碑文にはそれぞれ、セツによる高次の神的存在への賛美が書かれている。第3の柱の内容には、至高神を認識することが人間の救済であるというグノーシス主義の表明が見られる。オリゲネスの「偽クレメンス文書」その他によると、異端の始祖だと正統教会から非難された魔術師シモンには「サマリア人ドーシテオス」なる先生がいると書かれているが、本書の著者がこの「サマリア人ドーシテオス」と同一人物であるとの見方には否定的な研究者が多い。文書の名前の通り、セツ派の要素・哲学が支配的であり、キリスト教の要素は全くない。ユダヤ教・旧約聖書的要素も希薄である。本書は、特に「ツォストリアノス」「アロゲネス」「マルサネス」との並行箇所が多くこれらの4文書はプロティノスと接触のあったキリスト教徒哲学者が書いたものであるとの推測が研究者間では一般的に受け入れられている。
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