コーデックスVI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:13 UTC 版)
「ナグ・ハマディ写本」の記事における「コーデックスVI」の解説
コーデックスVIは、四世紀前半に筆写されたと推定されている。 コーデックス番号題名備考VI 1 ペトロと十二使徒の行伝 以前は異論が唱えられたこともあったが、その後の研究者間では「ペトロと十二使徒の行伝」はナグ・ハマディ写本発見により初めて知られた文書であるとの見解で一致している。原本がギリシア語であったことは確実である。題名は本文の最後に「ペトロと十二使徒の行伝」と書かれているが、実際には本文に現れる使徒の数は十二ではない。ユダを除いた十一人であることが本文内に明示されている。二世紀から三世紀に著された一連の外典使徒行伝の中では比較的早い時期に成立しただろうというのが一般的な見解である。語り手のペトロの人称が次々と変わっていることや話の筋にまとまりがないことなどから、複数の資料・伝承を利用して1つの文書にまとめようとしたがうまくいかなかったのだと考えられる。本文書に正統キリスト教と矛盾する要素は見られず、従ってグノーシス主義の文書ではない。 2 雷、全きヌース 題名は本文の最初に飾り記号で囲って書かれている。ギリシア語原本からのコプト語訳だとみられる。原本の成立時期は、二世紀から三世紀と考えられる。「ヌース」とはギリシア語で叡智を意味する。題名にある「雷」(ギリシア語でブロンテー)は、本文には一切出てこない。なぜ、文書に現れない「雷」を題名にもってきたのかは推測以上のことはわからない。私章句(「私は…である。」という定型句)を駆使した自己啓示文書で、語り手は女性的啓示者である。特徴的なのは、語り手が、自身をアンビヴァレントな存在として語る点である。たとえば、「私は最初にして最後の者。私は尊敬されるものにして軽蔑される者。私は娼婦にして崇敬される者。」などがあげられ、その他にも多数現れる。「この世の起源について」「アルコーンの本質」と並行する箇所が含まれており、本文書もセツ派に由来する文書、もしくはセツ派の視点から編集された知恵文学だと考えられる。「雷・全きヌース」の思想的・宗教的位置づけは、研究者間で意見が分かれている。プレーローマ界からの「私」の脱落が書かれていない、反宇宙的・反身体的二元論が見られない、人間の創造神と思しき者が積極的に評価されている、などグノーシス主義の要素がないことからグノーシス的ではなく、ユダヤ教の知恵文学に近いという評価もあれば、「私」の両性具有的性格が既にグノーシス的神話を前提として書かれているとの意見もある。 3 真正な教え 題名は、本文の最後に書かれている。本書の冒頭部分が破損しているため、本来、本文冒頭に題名が書かれていたのか否かは不明である。書かれている題名を直訳すると「真正なロゴス」である。ロゴスは幅広い対象を表す言葉だが、文書の中ではグノーシスまたは認識可能性として言われているので、通常は「真正な教え」と訳されている。保存状態は比較的良好である。成立年代を特定するための手がかりはないので、不明である。ユダヤ教・キリスト教との関連はごくわずかであり、ヘルメス文書を示唆するものもない。魂の起源、その堕落と物質世界に対する勝利について述べた文書で、人間の誕生から死までの順で書かれている。 4 われらの大いなる力の概念 題名は、本文の最初と最後にそれぞれ書かれている。若干の欠損はあるがほぼ完全に残存しており、ナグ・ハマディ写本中最良の保存状態である。明らかに原本はギリシア語だったことがわかる。ナグ・ハマディ写本の発見によって初めて存在の知られた文書である。この文書は理解しにくいことで定評がある。個々の文章や小さな段落ごとの意味はとれるが、段落間の意味をとろうとすると意味がわからなくなる、更には文書全体として何を言いたいのかわからないからである。唯一はっきりしていることは、被造世界全体の歴史が「肉のアイオーン」「心魂のアイオーン」「来るべきアイオーン」の3時期に区分されていることである。「肉のアイオーン」の時代は巨人族と共に生じノアの洪水で終わる。「心魂のアイオーン」では救済者が現れる。これは明らかに新約聖書のキリストに相当するが、キリストと呼ぶことは慎重に避けられており、また磔刑にも処せられない。この時代は、アルコーン間の戦争で終わる。アルコーンの外見はアンチ・キリストのようであり、炎によって世界を焼き尽くす。物質は炎で焼き尽くされるが魂はかえって浄化され、聖人たちと共に「来るべきアイオーン」の時代を永久に生きる、というのがおおまかな筋である。 5 プラトンの『国家』の一部 本来グノーシス主義とは無関係だが、ここに収められている版はかなりグノーシス寄りに改変されている。ギリシア語版とは異なる部分が、コプト語訳をした者の訳が下手だったのが原因によるものなのか、意図してグノーシス化したのかを見極めるのは難しい。 6 第八(オゴドアス)と第九(エンネアス)に関する談話 写本に含まれている文章には題名が書かれていないが、トリスメギストゥスやヘルメスの名が書かれていることや、以前からヘルメス文書として知られているものとの強い類似性があるので、ヘルメス文書の一部だと考えられている。タイトルにある第八、第九とは、古代において地球を取り巻くと考えられていた天体の番号である。太陽、月、惑星からなる最初の7つの天体は人間の生活を支配する低級の力を、第8、第9の天体は聖なる世界の始まりをそれぞれ表しており、死後、魂は7つの天体を巡った後、第8、第9の天体に達し、そこで真の祝福を受けると考えられていた。この文書では更に10番目の天体の存在を暗に仮定しているようだが、その点はあまり明白ではない。 7 感謝の祈り 題名は冒頭に書かれているが、書かれている題名は「これが彼らが唱えた祈りである」である。したがって、「感謝の祈り」というのは通称である。ただし、この呼び名は研究上定着している。なぜ題名としてはふさわしくない「これが彼らが唱えた祈りである」を題名として書いたのかについては推測の域を出ない。本文書「感謝の祈り」は、次に収録されている文書「アスクレピオス」の最後に置かれている第41章に相当する。古代のかなり早い段階で、「アスクレピオス」とは独立の祈りとして盛んに転写されて流布していたらしい。なぜ「感謝の祈り」を「アスクレピオス」の前に収録したのかについても推測の域を出ない。原本がギリシア語であることは、他に残されている複数の資料から明らかである。ただし、ナグ・ハマディ写本収録の「感謝の祈り」「アスクレピオス」は、既にコプト語に訳されたものを筆写したものと推定されている。ラクタンティウスの「聖なる教え」の中にギリシア語の「完璧な教え」に関する記述が残されており、したがって原本は三世紀までには成立していたことははっきりしている。本写本以外に、ミモーパピルス(ルーヴル美術館所蔵、ギリシア語)にも収録されている。 8 アスクレピオス21-29 ヘルメス思想に属する教説。ヘルメス文書の1つ。以前は「完璧な教え」と呼ばれていた。オリジナルはギリシア語で書かれていた文書だが、完全な形で残されているのはラテン語訳のみである。ナグ・ハマディ写本のアスクレピオスは、中間部分をコプト語訳したもので、いくつかの部分でラテン語訳版とは大きく異なっている。コプト語訳版は、ラテン語訳版よりもギリシア語版に近い。始めにも終わりにもタイトルが書かれておらず、この点で他のナグ・ハマディ文書とは異なっている。
※この「コーデックスVI」の解説は、「ナグ・ハマディ写本」の解説の一部です。
「コーデックスVI」を含む「ナグ・ハマディ写本」の記事については、「ナグ・ハマディ写本」の概要を参照ください。
- コーデックスVIのページへのリンク