クラブの概要・歴史
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「浦和本太レディースFC」の記事における「クラブの概要・歴史」の解説
1980年当時の浦和市長中川健吉による「サッカーの街浦和に女子サッカーチームを」との構想により、本太地区で「ママさんサッカーチーム」として発足。1985年ごろ、水間百合子(のち日本女子代表)ら6人の中学生の加入により「ジュニアチーム」へ登録変更。地域のクラブチームとしては異例の年間300日にもおよぶ練習と試合を重ねた結果、1992年から「JLSLチャレンジリーグ」に参加した。 翌1993年にリーグ首位となり、この年限りで廃部となった日産FCレディースに代わり1994年に「浦和レディースFC」としてL・リーグ入りを果たす。 しかし、当時のL・リーグは海外からトップクラスの選手を呼んだ企業チームを中心とする「世界最高の女子サッカーリーグ」と呼ばれ、また水間百合子など実力のある選手が既に流出していたこともあったため、入れ替え戦を経ずに参加した唯一の草サッカーチームの挑戦は18戦全敗の最下位。回った入れ替え戦でも田崎ペルーレFCに2敗してわずか1年で降格となり、翌年からチャレンジリーグに活躍の場を移すことになる。 その後もL・リーグへの復帰を図るべくチャレンジリーグ(チャレンジマッチ)への参戦を続けたが、ほどなくしてチーム分裂の危機が訪れ、復帰していた水間百合子や中国人留学生選手など数選手とスタッフの一部により1998年に浦和レイナス(現・浦和レッドダイヤモンズ・レディース)が発足。のちにL・リーグ参加まで果たす新チームの活躍を見ることになる。 残ったメンバーを中心としたチームは再び「浦和本太レディースFC」として編成され、関東女子サッカーリーグでは上位に位置するチームとして活躍する時代もあったが、次第に大学勢となでしこリーグ下部組織が台頭するようになると下位に甘んじるようになる。 2005年には関東第3代表として第27回全日本女子サッカー選手権大会に出場した。JLSLチャレンジリーグへの降格や浦和レイナスの分離独立などもあり、その後は関東女子サッカーリーグで活動していた。しかし、2008年2月9日に行なわれた早稲田大学ア式蹴球部女子との入れ替え戦に敗れ、2008年シーズンは埼玉県リーグに降格も人数不足となった。 「少女団」への指導により地域に根付いたチーム作りを行い、将来的な日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)への復帰は諦めていないが、人数不足の状態となったことから当分の間は女子サッカー大会の開催や選手育成などを行っていた。なお、現時点で活動しているかどうかは定かではなく、公式ホームページは2010年1月を以て更新を停止している。
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クラブの概要・歴史
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1972年に誕生した日本の女子サッカーで初のクラブチーム。日本サッカー協会(JFA)の女性事務局員が「週刊サッカーマガジン」(ベースボール・マガジン社)誌上でのメンバー公募などにより呼びかけ、これを見た高校生や社会人などにより結成された。 名称のジンナンは東京都渋谷区内にあり、NHKの所在地としても知られる地名「神南」に由来するが、当時はこの地に在った岸記念体育会館内にJFAの事務局が置かれていたため、ここの職員による男子チーム「FC神南」の許可を得た上で命名された。 結成当時は女性用のサッカー用具がなかったため、ジュニア用スパイクに、男子Sサイズのサッカーパンツをダボダボで身に付け、またなかなか練習場が見つからない状態ではあったがサッカー好きの集まりということもあり、楽しく行っていたといわれる。 1977年には第2回AFC女子選手権(チャイニーズタイペイ)に日本代表チームとして参加。1979年3月に日本女子サッカー連盟が誕生し、翌1980年に開催された第1回全日本女子サッカー選手権大会では初代女王となった。 「女釜本」と呼ばれた石川通子(いしかわ・みちこ)や山田弥生などのスター選手を続々と誕生させ、後には日本女子代表(なでしこジャパン)の中心選手となり2020年現在監督としてなでしこジャパンを率いる高倉麻子も中学校・高校時代は週末に福島県から通っていた。また、同チームで活躍した岡島喜久子はその後に日本サッカー協会の女子部門で要職を務め、2021年に開始される女子のプロサッカーリーグ、WEリーグの初代チェア(代表者)となった。 1989年から女子にも全国リーグ(日本女子サッカーリーグ)が作られることになったため、FCジンナンは1986年から日産自動車をスポンサーとする「日産FCレディース」となり、発展的解消を遂げた。 ただし、男子チームの日産自動車サッカー部が横浜マリノスとして新設の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に参加が決まると、レディースチームは経費削減の対象となり、Jリーグ開始初年の1993年限りで解散したため、FCジンナンの歴史を直接受け継ぐサッカーチームは存在しなくなった。
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クラブの概要・歴史
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「清水第八プレアデス」の記事における「クラブの概要・歴史」の解説
国の青少年教養育成機関である「清水第八青年学級」を前身に、1947年から「第八総合スポーツ青年団」という名称で発足する。当時は男子メンバーが中心であったが、清水市内の入江小学校にあった女子サッカーチームに所属していた選手が1978年に第八中学校に進学にあわせて加入し女子部が誕生。のち女子チームが主体となっていった。 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会(男子サッカーの天皇杯に相当)には1980年の第1回大会から参加。翌1981年の第2回大会から1987年の第8回大会まで7年連続して優勝。1988年の第9回大会でも準優勝を成し遂げ、日本女子代表を数多く輩出する黄金期を迎えた。 しかし1989年に誕生する日本女子サッカーリーグには不参加を決めたため、主力選手であった木岡二葉、半田悦子、山口小百合、山田千愛が同じ清水市を拠点とする清水FCレディースに移籍。また本田美登里は読売ベレーザに移籍した。 その後も静岡県の県リーグに参加して全日本女子サッカー選手権大会に東海地区代表としてほとんどの年に進出をし、また1992年からJLSLチャレンジリーグに参加してJLSL(→L・リーグ)入りの準備をしたが昇格ができずにいた。 やがて2001年にL・リーグ入りを果たし、一次リーグ(東地区)では最下位に終わるものの決勝リーグ(下位リーグ)で浦和レイナス、スペランツァF.C.高槻を下して2位となり総合で6位の成績を残した。しかしその後は主力選手の移籍、故障者の続出で苦戦が続き、二部制となった2004年から2部リーグ(当時のL2)に所属、2007年からは日本女子サッカーリーグ所属のチームを清水第八プレアデスと改名した。 2010年は2部リーグの機構改革により「プレナスチャレンジリーグ・イーストディビジョン」に参戦し、1部リーグなでしこリーグへの昇格権利が与えられる「なでしこリーグ準加盟」になった。イーストディビジョンの準加盟はAC長野パルセイロ・レディースと2チームだけであり、規定により5位以内ならなでしこリーグ入れ替え戦出場決定戦 に参加できるところだったが、年間で2勝(11敗2分け)しか挙げられず最下位の6位で終わったため、なでしこリーグへの挑戦権は得られず、チャレンジリーグ入れ替え戦 にチャレンジリーグ残留をかけることとなった。しかし、そのチャレンジリーグ入れ替え戦でも吉備国際大学に2試合合計1-3(第1戦0-3、第2戦1-0)で敗れ、チャレンジリーグから東海リーグへの降格が決定した。これによりなでしこリーグ準加盟の資格も抹消された。 2011年のチャレンジリーグ入れ替え戦出場チーム決定戦でつくばFCレディースと1回戦で対戦するが、1-1の同点で迎えたPK戦で4-5で敗北し、復帰はならなかった。2012年のチャレンジリーグ入替戦予選大会で益城ルネサンス熊本FCに3-2で勝利し、3年ぶりにチャレンジリーグ復帰を果たした。 しかし2014年シーズンは僅か1勝しかあげられず最下位の16位となり、入替戦に回ったが、2年前と同じ対戦となった益城ルネサンス熊本FCに2試合合計で0-5で敗れ、3年ぶりに東海リーグへの降格が決まった。 1年でのチャレンジリーグ復帰を目指した2015年の東海1部リーグでは、さらにチームが低迷し、1勝(1分け8敗 勝ち点4)しか挙げられず、チャレンジリーグ入れ替え戦出場も認められなかった うえ、東海2部リーグに降格となった ^ 東西それぞれの地区の準加盟チームの中で成績上位2チームずつまでに出場権が与えられるが、その地区の準加盟が2チーム以下であっても最下位チームは規定によりなでしこリーグ入れ替え戦には出場できず、チャレンジリーグ入れ替え戦に回る ^ 日本女子サッカーリーグに新規参入を希望する地方のクラブを対象に主催者が審査し、加盟相当と認められたチームを対象に行う「チャレンジリーグ入れ替え戦出場決定戦」の成績上位チームと、チャレンジリーグの東西それぞれの最下位チームによる対戦 ^ 2015年度から3部制が敷かれ、チャレンジリーグは3部相当に格下げとなった。そのため事実上は2部から2階級降格の形となる ^ 平成27年度(第16回)東海女子サッカー1部リーグ星取表
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