かい‐ほう〔‐ハウ〕【介抱】
かい‐ほう〔クワイ‐〕【会報】
かい‐ほう〔クワイ‐〕【回報/×廻報】
かい‐ほう〔クワイ‐〕【壊崩/潰崩】
かい‐ほう〔クワイ‐〕【快報】
かい‐ほう〔クワイハウ〕【快方】
かい‐ほう〔クワイハウ〕【懐抱】
かい‐ほう〔‐ホフ〕【戒法】
かい‐ほう【改封】
かいほう【海北】
かい‐ほう【海×堡】
かい‐ほう〔‐ハフ〕【海法】
かい‐ほう〔‐ハウ〕【解放】
かいほう〔カイハウ〕【解放】
かい‐ほう〔‐ハフ〕【解法】
かいほう【開封】
読み方:かいほう
中国河南省、黄河の南岸にある工業都市。戦国時代は魏(ぎ)の都、のち五代の後梁・後晋・後漢・後周・北宋の都、一時は金の都ともされ、大梁・東都開封府・東京(とうけい)・汴京(べんけい)などとよばれ、栄えた。絹織物など工芸も盛ん。カイフォン。
かい‐ほう〔‐ハウ〕【開放】
かい‐ほう〔‐ハフ|‐ハウ〕【開法/開方】
クラヤ薬品
(カイホウ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 00:05 UTC 版)
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クラヤ薬品株式会社(クラヤやくひんかぶしきがいしゃ)は、かつて存在した医薬品・医療機器の卸売を扱う企業である。本社を東京都千代田区紀尾井町に置いていた。
概要
創業者である熊倉利三郎は戦前「荒川薬局」に、同じく内匠屋栄は「芙蓉堂薬局」に勤務していた。招集を経て、終戦後内地に帰還した後、東京・上野広小路付近で闇屋で生計を立てていたが、1946年(昭和21年)8月に解散し、熊倉芳次郎・利三郎の兄弟と内匠屋の3人で「クラヤ薬品商会」を設立した。社名は熊倉兄弟の倉と内匠屋の屋をとり、また漢字よりも人目につくカタカナにしたものである。
創業後の約10年は戦後の物不足の時代で、医薬品も商品さえあればすぐに売れた。自転車の後ろに石油箱を載せ、これに品物を積み、医者周りを始める。設立当初、クラヤ商会は商品の大半を茂木薬品商会から仕入れていた。
1955年(昭和30年)ころからワクチンの販売を手掛け、その独占的な販売を足がかりに積極的な営業を展開し、1961年(昭和36年)には売上高で東京都でトップに躍進した。1959年(昭和34年)以降は地域密着の営業を展開し、相次いで営業所を開設、1963年(昭和38年)からは東京の近県にも進出し横浜・千葉等に営業所を開設した。
会社概要
沿革
- 1946年8月 - クラヤ薬品商会を設立
- 代表取締役社長は熊倉芳次郎、代表取締役専務は内匠屋栄(後の2代目代表取締役社長)、代表取締役常務は熊倉利三郎
- 茂木薬品商会との取引開始
- 1947年12月 - 出資額19万5000円で合資会社クラヤ薬品商会を設立
- 1949年1月 - 資本金30万円でクラヤ薬品株式会社に商号変更
- 1955年 - 本社を新築移転。この年から田辺製薬・大日本製薬・山之内製薬・鳥居薬品・中村滝商店・稲畑産業・武田薬品工業・藤沢薬品工業・日本衛材との直接取引を順次開始
- 1963年1月 - 県外営業所第一号店となる横浜営業所を開設。埼玉県・栃木県に順次営業所を開設
- 1968年4月 - 千葉営業所開設
- 1969年 - 新座市に物流センターを開設
- 1972年10月-医療機器の販売を開始
- 1974年 - 日本ヘルス・インダストリー(NHI)に加盟
- 1979年 - 3代目代表取締役社長に野口耕平が就任
- 1981年 - 名誉会長の熊倉芳次郎が死去
- 1984年
- 1985年 - 取締相談役の熊倉利三郎が死去
- 1986年
- 1988年
- 1989年 - 4代目代表取締役社長に熊倉貞武が就任
- 1990年
- 7月 - 三星堂との支店長意見交換会を開催
- 10月 - 米国IBRD社へ経営参加。三星堂との光ファイルの薬業情報を提供開始
- 1991年
- 4月 - 大手メーカー6社の新仕切制導入にともない、新価格体系に移行
- 10月 -「スーパーKOS」開発
- 1992年
- 7月 - IBRDジャパンを設立。出資比率はクラヤ薬品85%・三星堂15%
- 11月 - ミスターKOSを販売開始
- 1993年 - 山形営業所を開設
- 1994年
- 4月 - IBRDジャパンから三星堂が撤退し、クラヤ薬品の完全子会社となる
- 7月29日 - 東京証券取引所一部上場
- 1995年
- 米国子会社のIBRD社を通じ、英国の医薬品臨床開発受託会社であるROSTRUM社を12億円で買収。
- 英国MCRC社へ経営参加。IBRD社との一元化を図り、IBRD-ROSTRUM GLOBAL社に商号変更
- IBRD-ROSTRUMグループとして、日米欧三極開発支援体制をとる
- 1995年
- 1996年
- 米国子会社のIBRD社の赤字が拡大し、採算ラインを割りこむ
- 福島営業所・郡山営業所・いわき営業所を開設
- 4月 - 静岡営業所を開設
- 5月 - 山形支店および平塚営業所を開設
- 9月 - 健康科学検査研究所を2億円で譲渡
- 10月 - 北海道支社、大阪物流センター、大阪営業所および富田林営業所を設立
- 1997年
- 広島営業所、岡山営業所、神戸営業所、埼玉物流センター、加須物流センターおよび有明物流センターを開設
- 7月 - KURAYA (USA) CORPORATIONを設立
- 10月 - カワイを合併
- 1998年
- 1999年8月1日 - 株式会社やまひろの全株を取得し、完全子会社化
- 2000年
主な取引メーカー
営業地域
東京都・北海道・宮城県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県・新潟県・長野県・静岡県・愛知県・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県・岡山県・広島県
大株主
関連会社
栃木クラヤ薬品
- 本社 - 栃木県宇都宮市平出町4303
- 設立 - 1969年(昭和44年)7月
- 資本金 - 2000万円
- 株主 - サクラヤ薬品株式会社
- 従業員 - 63名
- 営業所 - 栃木・石岡・宇都宮
- 主要取引メーカー - 藤沢薬品工業・エーザイ・山之内製薬・武田薬品工業・田辺製薬
セルメスタ(旧・クラヤ商事)
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