インディペンデント期とマッドラブ: 1988–1993
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「アラン・ムーア」の記事における「インディペンデント期とマッドラブ: 1988–1993」の解説
メジャー出版社に背を向けたムーアは、自分の書きたいテーマはSF冒険ものやスーパーヒーローのジャンルには収まりきらないと公言し、それらのジャンル作品で確立したポストモダンな作風を社会的な作品に適用し始めた。しかし大手出版社・取次から離れた執筆活動は多くの困難に見舞われることになる。 1988年、AARGH (Artists Against Rampant Government Homophobia)(→猖獗を極める政府の同性愛嫌悪に抗議する芸術家集団)というチャリティ・コミックを出版するため、妻フィリス、夫妻共通の愛人デボラ・デラノの3人で個人出版社を設立してマッドラブと名付けた。サッチャー政権が提出した、地方議会や学校に「同性愛を奨励すること」を禁じる「第28条(英語版)」法案に抗議する刊行物だった。ムーアはゲイマン、ミラー、スピーゲルマン、ハービー・ピーカー、ロバート・クラムら錚々たるコミック作家の原稿を集め、自身は同性愛の歴史を綴った詩 The Mirror of Love を提供した(作画リック・ヴィーチ、スティーヴン・ビセット)。収益1万7千ポンドはレズビアン・ゲイ団体に寄付された。ムーアは AARGH の出版によって法案成立を阻止することはできなかったが、一般大衆の抗議の声に加わることはできた。その声が、問題の法案に立案者が望んでいたような悪辣な効果を発揮できないようにさせたのだと述べている。 続いて、米国中央情報局 (CIA) を相手取った連邦訴訟に関わっていた公益法律事務所クリスティック・インスティチュート(英語版)の依頼を受けて、CIAの非合法活動を告発する Shadowplay: The Secret Team(作画ビル・シンケビッチ(英語版))を書いた。内容はクリスティックが提供した大量の調査資料に基づいていた。徹底した取材によって実在の事件を作品化する経験はその後の執筆活動に影響が大きかった。Shadowplay はクリスティックが一般の支持を集めるため刊行したアンソロジー Brought to Light(→白日の下へ)(1988年、エクリプス刊)で発表され、さらに1998年にムーアと作曲家ゲイリー・ロイド(英語版)の手でスポークン・ワードとしてCD化された。 1990年、コミック自己出版の伝道者デイヴ・シム(英語版)に触発され、AARGH 1号限りのはずだったマッドラブから Big Numbers を発刊した。生地ノーサンプトンをモデルにした英国の地方都市を舞台に、巨大ビジネスが一般人に与える影響とカオス理論の概念を組み合わせた社会的リアリズム作品だった。ムーア自身は『ウォッチメン』からスーパーヒーローの要素を除いて「偶然性と無秩序が支配する」世界観をさらに掘り下げた作品だと語っている。読者を選ぶ題材だが、全12号×大判40ページという大部の構想で、ビッグネームのビル・シンケビッチが作画を担当するとあってファンの期待も高かった。しかし2号が出た時点でシンケビッチがフォトリアリスティックなペイントアートという方針を維持できなくなり、作画を降りた。続刊は出ずに終わった。この失敗はファンの失望を招き、ムーアにも大きな金銭的損失をもたらした。 1991年、書籍出版社ビクター・ゴランツ(英語版)から書き下ろしグラフィックノベル A Small Killing(→ア・スモール・キリング)(作画オスカー・サラテ(英語版))が刊行された。広告会社の重役が理想家だった少年時代の自分自身に取りつかれ、一線から退いて新しい目的を探すという物語である。この時期のほかの長編と比べると個人的な作品で、ティム・キャラハンによるとムーアが直面していた苦闘を反映したムーアの殿堂の中でも鍵となるテクストである。ジャクソン・エアーズは、商業主義にいったん膝を屈した芸術家が主人公であるのは、ムーアの中で過去の自作に対する見方が変わったためだと分析している。80年代のスーパーヒーロー作品とは方向性の異なる A Small Killing は、コミックではなく書籍の取次から販売されたこともあって部数が伸びず、「もっとも過小評価されているムーア作品」とされることがある。 過去の共作者スティーヴン・ビセットが自己出版するアンソロジーコミック誌 Taboo では、内容に制約を受けることなく性や暴力、政治や宗教といった題材を自由に追求することができた。ムーアが同誌で行った連載の一つ目は、1880年代に起きた切り裂きジャック事件をフィクション化した『フロム・ヘル』(1989年–)である。ムーアはダグラス・アダムズの小説『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所(英語版)』に触発され、犯罪を「全体論的に解き明かす」には、社会や歴史の全体にわたって張り巡らされた些細な事実の連なりを完全に解き明かす必要があるというアイディアを持っていた。そうして書かれた本作は、グレッグ・カーペンターによると女王の玉座から売春婦の寝床に至るまで、すべての社会階層にわたるヴィクトリア朝の歴史を描いており、ミソジニー、反ユダヤ主義、ジンゴイズム、陰謀論、建築理論(英語版)、時間の理論、暴力の本質、イギリス史、モダニズムの起こりのような大テーマを数多く織り込んでいた。作画のエディ・キャンベル(英語版)は作品によく合った冷たく緊迫したペン画を提供した。Taboo は短命に終わり、『フロム・ヘル』は小出版社からコミックブック形式で続刊が出た。しかしDC期のように締め切りに束縛されなくなったことで各号の執筆期間は延びていき、内容は重厚の度を強め、新刊を追い続けるのが困難な状況にファンも離れていった。評論誌『コミックス・ジャーナル』の論説によると、カジュアルな読者を拒絶するかのようなムーアの行動は半ば意図的なもので、作中で表現される表層的な20世紀文化への嫌悪もそれと通底していた。1999年、10年越しに完結した『フロム・ヘル』はキャンベルの個人出版社から単行本化された。後に映画化と再刊を経て名作としての評価が確立している。ベン・ディクソンは巨大な構想と野心に基づく、コミックというメディアを定義する作品の一つと評している。 Taboo で開始されたもう一つの作品 Lost Girls(1991年–)はムーアによると知的なポルノグラフィだった。作中では、セックスのアンチテーゼとしての世界大戦の前夜、成長した児童文学の女主人公たちが互いに性の目覚めを物語る。原典の内容は性体験のメタファーとして解釈される。ムーアはティファナ・バイブルやロバート・クラムを例に挙げて非主流のコミックにポルノの伝統があると主張しており、芸術的価値のあるポルノ・コミックを作ることを一つの挑戦と考えていた。 たいていのポルノに付き物の問題を避けながら露骨に性的なコミックを書くにはどうすればいいか、アイディアはいくらでもあった。問題とは、たいていのポルノが不快で退屈な代物であり、創意に欠けることだ。水準がないのだ。 —アラン・ムーア(2003年) Lost Girls は Taboo などで一部が発表された後に出版の当てがないまま書き続けられ、2006年に完成するとトップシェルフから箱入りハードカバー3冊組の豪華本として刊行された(作画のメリンダ・ゲビーとムーアはその翌年に結婚した)。豪華な装丁にされたのはわいせつ物ではなく芸術作品だという印象を与えようとした版元の意図もあった。児童ポルノと受け取られうる内容を含むものの、おおむね芸術的価値が認められて各国で出版・販売が実現し、高い評価を得た。コミック批評家や文学研究者からも注目を受け、ジェンダー学やクィア理論、「子供」の社会的構築、コミックのストーリーテリング形式など多くの観点から分析が行われた。出版と同年にムーアはポルノグラフィの歴史をたどる論説を発表し、ある社会が活力を持つかどうか、うまく回るかどうかは性的な事柄をどれほど許容するかによると論じ、公の評価に耐え公益をもたらすような新たなポルノの必要性を訴えた。このテーマは2009年の評論本 25,000 years of Erotic Freedom(→性の自由の2万5千年史)に発展した。同書は美術評論家ジョナサン・ジョーンズによってとんでもなくウィットの利いた歴史講義と評された。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output 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img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} Lost Girls の主人公の一人、アリス(不思議の国のアリス)は老齢の貴婦人として登場する。ジョン・テニエル画(1865年)。 中流階級出身のウェンディ(ピーター・パン)は家庭の主婦である。オリバー・ハーフォード(英語版)画(1907年)。 エネルギーに満ちた田舎育ちのドロシー(オズの魔法使い)。ジョン・R・ニール(英語版)画(1908年)。 1996年には初の小説本 Voice of the Fire(ビクター・ゴランツ刊)が出た。青銅器時代から現代まで数千年の間の出来事を描いた短編連作で、時代は異なれどすべてムーアの生地ノーサンプトンが舞台となっている。言語や文化の発展を再現した異例の語り口で書かれており、全体として想像力と「幻視」が私たち自身をどのように形作ってきたかについてのストーリーとなっている。
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