インディラ・ガンディー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:27 UTC 版)
「インド国民会議」の記事における「インディラ・ガンディー時代」の解説
その後、1966年のシャーストリーの死去後、今度はネルーの娘であるインディラ・ガンディーが首相に就任した。インディラは「シンジケート」といわれた長老グループや党内右派を強力なリーダーシップで排除。1971年には第三次印パ戦争の勝利でインディラ時代は絶頂を迎えた。 しかし彼女自身の選挙違反事件に対して1975年、非常事態(英語版)を宣言し反対勢力を強権で排除、野党を弾圧したことに対して批判が集まり、1977年のローク・サバー(下院)総選挙で急きょ結成されたジャナタ党に大敗。インディラ自身も落選し、国民会議は独立から独占してきた政権を初めて失うこととなった。 その後の1980年の総選挙ではジャナタ党が分裂・崩壊状態にあったため国民会議は政権に復帰。インディラも首相に返り咲き、以後1984年に暗殺されるまで彼女の政権が続いた。
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