いすゞ自動車として再出発
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「いすゞ自動車」の記事における「いすゞ自動車として再出発」の解説
1949年(昭和24年) - いすゞ自動車株式会社と改称。最初の日本国外輸出先として香港へ進出。 1950年(昭和25年)2月 - 長野工場(疎開工場)を閉鎖。 1950年(昭和25年) - タイへの輸出開始。 1952年(昭和27年) - 台湾への輸出開始。 1953年(昭和28年) - イギリスのルーツ・グループと提携し、乗用車「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産する。 1957年(昭和31年)1月 - 三菱商事とタイ向け車両輸出販売代理店の契約を締結。 1958年(昭和33年) - 川崎工場(旧川崎製造所)に隣接する神奈川県営の埋立地(多摩川河口の約6万坪)の払い下げを受ける。これにより川崎工場は拡張され、バス・トラックなど大型車生産の中心拠点となる。 1961年(昭和36年)11月 - 藤沢工場(旧・藤沢製造所)稼働。 1964年(昭和39年)12月 - ペルーいすゞ自動車を設立(戦後第1号の海外投資案件)。 1966年(昭和41年)4月 - 泰国いすゞ自動車を設立。 1966年(昭和41年)12月 - 富士重工業との業務提供を発表。 1968年(昭和43年)5月 - 富士重工業との業務提供を解消。 1968年(昭和43年)6月 - 三菱重工業と業務提供を発表。 1969年(昭和44年)5月 - 三菱重工業との業務提供を解消。 1971年(昭和46年) - 米国・ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携(伊藤忠商事の仲介による)。 1972年(昭和47年)6月 - 栃木工場(旧栃木製造所)稼働。 1974年(昭和49年) - 1社提供ラジオ番組『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』(TBSラジオ制作)放送開始。 1975年(昭和50年)6月 - いすゞモーターズアメリカを設立。 1976年(昭和51年)8月 - 藤沢市に起震車を寄贈し紺綬褒章を受ける。 10月 - 新社歌の制定。 1982年(昭和57年)7月 - いすゞ自動車海外販売を設立。 1985年(昭和60年) - 日本初の自動車メーカーとして、中国・四川省重慶市で小型トラック (エルフ)の現地生産を慶鈴汽車との間で開始。 1986年(昭和61年) - 富士重工業(スバル)、いすゞ自動車が北米生産合弁基本契約に調印 1987年(昭和62年) - 北米生産拠点としてスバル・イスズ・オートモーティブ(略称:SIA)創立。1989年(平成元年)車両生産開始。 1988年(昭和63年)11月 - 鶴見製造所を川崎工場(旧・川崎製造所)へ統合。 1989年(平成元年)オーストラリアに商用車の輸入・組立・販売会社、現在の「いすゞ オーストラリア」を設立。 GMの欧州子会社、独・オペルの輸入権を取得し、日本国内向けにオペル車の販売を開始(1992年(平成4年)販売終了)。 1991年(平成3年) - 当時、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあったイギリスのロータス・カーズ関連会社であるF1参戦チームチーム・ロータスと共同で、V12エンジンのテストをロータス 102Cに搭載してシルバーストンで行い、高い評価を得た。この計画は、あくまでいすゞ自身のガソリンエンジン開発技術がどこまで通用するかを試すために行われたデモンストレーションであり、レースに出場することは考えられていなかった。当初はベンチテストで終了する予定だったが、ロータスカーズの協力を得て(この時期、ロータスカーズはいすゞと同じくGM傘下であり、自社のFFエラン(2代目)用として、いすゞからパワートレイン(エンジン+トランスミッション)の供給を受ける契約を行っている)テスト走行までこぎつけた。詳細は「いすゞ・P799WE」を参照。 1993年(平成5年) - 小型乗用車の自社開発・製造を中止。ホンダなど他社からのOEM供給のみとなり、商用車、SUVの製造販売などに経営資源の集中を図る。 1994年(平成6年) - 車体工業株式会社との合併により、「いすゞ自動車大和工場」誕生。 1997年(平成9年)1月 - ポーランドにディーゼルエンジン生産会社「いすゞ モーターズ ポルスカ」を設立。 10月 - ドイツに欧州におけるディーゼルエンジン開発会社「いすゞ モーターズ ジャーマニー」を設立。 1998年(平成10年) - GMが出資比率を37.5 %から49.0 %へ引き上げ。 1999年(平成11年) - 神奈川県大和市下鶴間の大和工場(旧・車体工業株式会社)を閉鎖。トラック運転台製造を藤沢工場に集約。 2001年(平成13年) - 1社提供のラジオ番組『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』放送終了。 2002年(平成14年)9月3日 - この年限りで活動休止が決まっていた野球部が、第73回都市対抗野球大会で初優勝を果たす。 9月30日 - さらなる経営資源の集中を図るため、日本国内でのSUV(ビッグホーン、ミュー、ウィザード)の製造販売、セダン型乗用車(アスカ)、ミニバン型乗用車(フィリー)のOEM供給を受けることを中止。この日をもって日本国内での乗用車部門から完全撤退し、商用車に専念する(整備・部品供給は続行)。 10月1日 - いすゞ自動車と日野自動車のバス部門の経営統合に伴う合併準備会社として、ジェイ・バスを設立。 10月2日 - 北海道胆振管内むかわ町のいすゞ自動車北海道試験場を株式会社ワーカム北海道(現:株式会社いすゞ北海道試験場)へ、北海道苫小牧市のいすゞ自動車北海道工場をいすゞエンジン製造北海道株式会社へ分社。
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