山車とは? わかりやすく解説

さん‐しゃ【山車】

読み方:さんしゃ

「だし(山車)」に同じ。


だし【山車/花車】

読み方:だし

祭礼のとき、引いて練り歩く屋台人形や花などを飾りつける。やま。ほこ。だんじり。《 夏》


やま‐ぐるま【山車】


山車

読み方:ダシ(dashi)

神社の祭礼のときに引く、種々の飾り物をつけた屋台


山車

読み方:ダシ(dashi), ダンジリ(danjiri)

祭に引出される屋台祭礼における曳物


だし 【山車】

日本の祭礼に、神輿とは別に人形・花などで飾った引いた担いだりする屋台総称起源平安時代京都の諸祭礼までさかのぼるという。ダシの語は「出し物」の意で、神の依代として突き出した飾り由来するという。「山車」と当て字するのは、神霊を招くための〈作り山〉に由来するとの説がある。→ 檀尻

山車(だし)

祭礼時に種々の飾り物をつけて、曳いたり、担いだりする車又は台車神輿には神座があるが山車には無く御幣などが神の依代となっている。

やまぐるま (山車)

ヤマグルマのほかの用語一覧
ヤマグルマ:  山車

山車

読み方:ヤマグルマ(yamaguruma)


山車

読み方:ヤマグルマ(yamaguruma)

モチノキ別称
モチノキ科常緑高木園芸植物

学名 Ilex integra


山車

読み方:ヤマグルマ(yamaguruma)

ヤマグルマ科常緑高木薬用植物

学名 Trochodendron aralioides


山車

読み方:ダシ(dashi)

祭り使われる種々の飾り物をつけて引いて歩く車

季節

分類 宗教


山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 15:02 UTC 版)

山車(だし、さんしゃ)は、日本祭礼の際に引いたり担いだりする出し物の総称。花や人形などで豪華な装飾が施されていることが多い。地方によって呼称や形式が異なり、曳山(ひきやま)・祭屋台(まつりやたい、単に屋台とも)などとも称される。神幸祭などの行事では、この山車が町の中をねり歩き行列となることもある。


  1. ^ 山車と屋台の見分け方”. 夢・dreamsギャラリー. 2003年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  2. ^ 『大辞泉』
  3. ^ 戦国時代の祇園祭カトリック大阪教会管区部落問題活動センター事務局、2008年9月
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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 14:05 UTC 版)

花巻まつり」の記事における「山車」の解説

元々は高さ十三メートル豪壮な屋形山車を引き、東北屈指の山車として名声をはせた。ルーツ仙台市という説もある。 町に電線張りだされる様になると高さのある屋形山車は消え、丈の低い優雅な風流山車に姿を変えた開町四百年にあたる平成四年(1992)、高さ十三メートル総重量約三トン、総づくりで屋形山車が再現された。祭り間中公開されている。 花巻と同じ作法伝える山車は、北上市(黒沢尻江釣子二子)・一関市(千厩)・宮城県登米市宮城県石巻市などに見られるちなみに花巻市内には旧石鳥谷町など、これと全く違う作法伝え風流山車行事もある(「盛岡山車」を参照)。

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山車

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吉原祇園祭」の記事における「山車」の解説

東海道東西文化交流点らしく、「山車タイプ」「屋台タイプ」そして「両者巧みに組み合わせたタイプ」と、全国でも珍しい取り揃え21台の山車が町練り歩く万治三年1660年)、無理難題押し付けられ問屋場主人天神様に願をかけ、無事仕事終わったお礼社殿寄進した。その年の天神祭礼で、依田橋住人が船に車輪をつけて引き回し、大練りとなったのが始まりとされている。

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山車

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田名部まつり」の記事における「山車」の解説

田名部5町(横迎町小川町柳町本町新町)にはヤマ呼ばれる木製黒漆塗りの山車がある。ヤマ2階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方乗り上の階には御神体乗せて運行する金具装飾漆絵屋根形式など細部造り装飾は各ヤマ異なる。 車輪木製4輪である。車輪木製であるだけではなくヤマそのものの高さもあるため、辻を曲がるのは難しく、そのため梃子(テコ)と呼ばれる専門者が辻での回転巧みに操作するヤマには左右一対の綱がつけられ人々曳くようになっているヤマ昼夜飾り替える昼間刺繍施した大水引き幕小水引幕見送り幕、御簾飾られる。これらの幕は古くより京都業者などの制作依頼したり、中国から輸入したものを長崎経由購入したのである一方夜間昼間の幕に替わり地元描き手によって描かれた額(がく)と呼ばれる絵灯籠に付け替えられ中に明かりをともす。夜間の額は毎年描き変えられるヤマ運行は組が取り仕切る。組は男性のみで構成される中学生高校生囃子方乗子その後正式に組の一員となり、厳格な上下関係元にしきたり学んでいく。組は組頭(くみとう)を筆頭とし、副組頭小頭理事幹事評議員)、などが続く。組員はおよそ四十歳定年となる。

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山車

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竹鼻祭り」の記事における「山車」の解説

13基の山車は屋台型の山車で、大幕、見送り幕、水引は、金糸銀糸色糸刺繍施され絢爛豪華なものであるまた、山車の上で奉芸(ぶげい)といわれる子供達踊りや、からくり人形披露される車輪4輪地車内車様式である。

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山車

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五所川原立佞武多」の記事における「山車」の解説

この立佞武多よばれる山車は、禊ぎ祓いとして行われた夏の行事において、燈籠作られいたものいつしか組み人形として作られるようになったのが原形考えられている。明治時代から大正時代にかけて巨大なものとなり、市内豪商集落などで競って作られていた。しかし、電線市街地張り巡らされたことにより、巨大な山車の運行困難になり、立佞武多は低形化された。結果立佞武多そのものが幻となってしまう事となった。 1993年平成5年)、市内のある家庭先祖遺品整理をしていたところ、明治・大正期立佞武多設計図一部写真発見された。この設計図元に立佞武多復活させようとするボランティア運動始まり、彼らの手により、1996年平成8年)に「立佞武多」として80年ぶりに復活した。この時に作られ立佞武多武者」は同年7月1日岩木川河川敷運行7日には古習倣い火が放たれ昇天させられた。その2年後の1998年平成10年)、五所川原市立佞武多支援決め夏祭り運行されるようになった以後立佞武多1年一基ずつ新作制作され現在に続いている。 2004年運行では、『ドラゴンボール』孫悟空立佞武多出陣した。また同年暮れ千葉県幕張メッセ行われた集英社イベントにも出展され、その威容披露した2006年の運行では、ハドソンゲーム桃太郎電鉄シリーズ』の桃太郎たち&キングボンビー立佞武多出陣し話題になった。それに先立って3月25日ゲーム総監督さくまあきらキャラクターデザイン・イラスト担当する土居孝幸青森県庁知事三村申吾訪ね、山車の製作を報告したまた、同年及び2007年発売されPlayStation2WiiXbox 360向けソフト『桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!』のオープニングムービーとして桃太郎電鉄立佞武多出陣様子収録された。 2007年の運行では、『機動戦士ガンダム』立佞武多出陣した。このガンダム立佞武多同年8月18・19日に千葉県幕張メッセ行われたキャラホビ2007」にも出陣した。 これら平成立佞武多は、明治大正期立佞武多とは構造などの面で全く異な現代的なものとなっている。明治大正期には木や竹を骨組みにしてろうそく明かりともしていたのに対し平成のものは鉄骨基礎造られ、その周囲ブロック状に各パーツ据え付けられる。照明にも電気使われている。

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山車

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高岡御車山祭」の記事における「山車」の解説

高さ約8.4m〜9m、長さ2.29m〜2.85m〔前後の轅(ながえ)間5.07m〜5.89m〕の山車は御所車心柱立て心柱の上部には竹籠付け、その周りに3色の和紙出来た菊の花を5個付けた割竹3236本を放射状広げた花傘鉾山で、花山車とも言われ京都祇園祭の山鋒より由来伝承されたものであるといわれているが、形態が独特でかなり異なっておりルーツ定かではない飾り山(上層)と地山下層)の2層構造飾り山には本座といわれる御神体人形)を供え地山箱(下層)には幔幕まんまく)が張られこの中囃し方が数人入り、笛、鉦、太鼓用い優雅な囃子奏でる。山車は高岡工芸粋を集めた彫刻漆工彫金、などの装飾纏い後部には町名入り標旗立てられ桜の花送り花が飾られている。また、本座後部に後塀(こうへい)を設けた山車もある。 鉾(心柱)の先端には鉾留が付いており、これは神が山車に供えられている御神体人形)に降臨するための目印とされている。 車輪4輪大八車外車様式の輻車(やぐるまスポーク式〕)で直径1.60m〜1.67m、車輪にも漆や彫金などが施されている。二番町の山車だけは二輪で2.05mある。富山県内の曳山では大門曳山枇杷首曳山とここ二番町だけである。 各山車には、鈴棒(りんぼうといわれる錫杖原型したもの引きずり、山車の警護巡行路を浄める棒引き先頭に、2名の役員町衆紋付・袴に麻裃を着け、頭には一文字笠足元白足袋草履といういでたちで山車の前後左右供奉する。なお、鈴棒引き曳き手囃し方は山町の人達ではなく近郊の町の人達であり、囃し方は特定の町の人達で受け継がれる世襲制である。また、曳き手衣装半纏法被)は袖と裾に中綿入った厚手のもので、鈴棒引き衣装含め、各町意匠凝らした模様染められている。また足元白足袋昔ながら草鞋着用している。 1904年明治37年)まで隔年提灯山を出していたが、町に電線引かれる様になりそれ以降中止された。 富山県内で最も早く創建された御車山の山車様式は、のちに富山県西部各地創建された曳山影響与え今日御車山様式曳山多く現存している(放生津新湊〕・海老江伏木〔けんか山〕・石動大門福野夜高祭〕・氷見祇園祭〕)。

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山車

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小動神社」の記事における「山車」の解説

7月行われる天王祭でつかわれる山車。 唐破風屋根小型木製車輪、廻り舞台三大特徴とする湘南型山車の元祖である。 昭和36年までは祭礼中、江ノ電龍口寺前付近から腰越駅までの架線撤去し5台の山車が電車通り行進した昭和37年3月起きた山車小屋火災により濱上町、土橋町中原町の山車が焼失し神戸町の山車が半焼した。但し、人形焼失をのがれ現存している。 各町内人形以下のとおり濱上町:源義経弁慶 神戸町八幡太郎義家鎌倉権五郎景政 土橋町源頼朝御所五郎丸 下町神功皇后武内宿禰応神天皇 中原町素戔嗚命 中原町土橋町焼け残った部品一部利用し昭和50年代小型の山車を製作している。 神戸町は、平成1314年修復工事行いほぼ原形復旧した。但し、部品焼失したため、人形取り付け方が、以前の(下から順に)丸座刺繍幕→万灯岩座水垂人形、から丸座刺繍幕に人形という簡略構造になり高さも低くなった。 普段小動神社入ってすぐの倉庫しまってある。

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 14:43 UTC 版)

日立風流物」の記事における「山車」の解説

日立風流物用いられる山車は、高さ15m、幅3-8m、奥行7m、重量5tの巨大なからくり式の山車である。山車の中には10人の囃子方や約30人からくり人形操り方(作者呼ばれる)が乗り込み200人以上で山車を牽引する大きな山を背にした城郭の形を模した六層構造持ち第一層囃子方作者乗り込む部分である。山車の正面第二層から上を「館」と呼び五層唐破風造りになっている。「館」の第二層大手門呼ばれ手前倒れ構造になっている第三層から第六層までは昇降機構(カグラサンと呼ばれる)によってせり上がった後に左右に開いて大きな逆三角形をした五段の雛壇となり、操り人形芝居舞台となる。 各段にはそれぞれ2-3体のからくり人形配されている。人形芝居が終わると「館」は廻り舞台となって回転し最初は山車の後部であった裏山」を舞台として、また別の人形芝居が行われる。これらの操作全て山車内部の綱によって行われ同じく山車内部演奏されるお囃子あわせて演じられる。 この山車は笠鉾(かさほこ)とも呼ばれ2005年現在東町北町西町本町の4台がある。

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 20:25 UTC 版)

本庄まつり」の記事における「山車」の解説

各町の山車 町会名人製作者名山車製作年備考宮本町日本武尊(やまとたけるのみこと) 三代目 法橋 原舟月 1882年(明治15年) 市指定有形民俗文化財 泉町武内宿禰(たけのうちのすくね) 横山友治郎(朝之) 1887年(明治20年)頃 山車は1895年(明治28年)に購入市指定有形民俗文化財 上町神功皇后(じんぐうこうごう) 横山友治郎(朝之) 1902年(明治35年) 市指定有形民俗文化財 照若町桃太郎(ももたろう) 浪速庄田七郎兵衛 1900年(明治33年) 購入時囃子座欄間であった市指定有形民俗文化財 七軒町加藤清正(かとうきよまさ) 町内の人たち 1924年(大正13年)頃 人形1933年(昭和8年)製作。市指定有形民俗文化財 仲町神武天皇(じんむてんのう) 三代目 法橋 原舟月 1872年(明治5年) 当初人形木彫龍女現在の人形1891年(明治24年)新調市指定有形民俗文化財 本町石橋(しゃっきょう) 浪速庄田七郎兵衛 1895年(明治28年)購入 当初人形は翁。現在の人形1928年(昭和3年)から飾られる市指定有形民俗文化財 南本町連獅子(れんじし) 日光兼光 1991年(平成3年) 台町素戔嗚尊(すさのおのみこと) 浪速庄田七郎兵衛 1885年(明治18年) 市指定有形民俗文化財 諏訪町太田道灌(おおたどうかん) 日光兼光 1993年(平成5年)

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山車(でか山)

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青柏祭」の記事における「山車(でか山)」の解説

3台の山車の形は、末広形とも北前船模したものとも言われ、山車の高さ約12m、上部開き長さ)約13m、幅・上部約4.5m、下部車輪間)約3.6m、車輪直径約1.9m、幅約0.6m、総重量20トン舟形の山車で、山車としては日本最大級体積重量では日本一である。 組み立てはまず大きな車輪から舞台部分まで木枠骨組み組み、そこに舟形になるよう前後には丸太斜めに立て横木多くの竹を用い碁盤の目組み立てていく。また舞台裏後方)も丸太と竹で碁盤の目組み立てる。ここまで地山作りという。その後山車全体外装150ものむしろでい、そこに何もの幕を重ねるように覆っていく。また山車前後外側には木遣衆が乗る木遣り台も据えられる。なお組立てには釘や鎹(かすがい)などは使用せず編んだ藤づる藁縄用い搦み(ふじからみ)という技法用いる。これにより山車が揺れて歪み吸収する柔構造となっている。1台で700mもの藤づるが必要で、現代では藤づる手に入れるのは困難になってきており、一部の山車はナイロンロープを使用している。組み立てられでか山の上正面舞台には毎年題材替え御殿や城、神社仏閣など歌舞伎場面合わせ立体的に作られ、そこに何体もの登場人物人形の体と頭を作り着付けをし飾る。 この大きな山は誰でも曳くことができるのも大きな特徴である。でか山からは3本の綱が繋がれており、山の直前地元若衆が、その前方観光客子供たちなどが繋がる。でか山木遣衆が曳き出し唄を歌い終えると前梃子はずされゆっくりと動き出すが、直線区間では次第速く小走りぐらいのスピードとなり、でか山が家の軒や電信柱をかすめ迫るように様に進む。若干軌道修正は中梃子や脇梃子用い50cmほど横滑りをさせる。また辻回し誰でも綱を曳くことができ、大きな山を回すことができる。 近年デカ山の後幕は各町の紋の幕ではなく地域の子供たちが共同制作した幕を使用しているそうである。

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山車

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桶川祇園祭」の記事における「山車」の解説

各地祇園祭では、人形頂いた背の高い鉾山車多く見られるが、この祭りでは屋台型の山車しか存在しないかつては鉾山車存在したが、大正初期町内電線引かれ今までのような高い山車が曳けなくなったことから山車を改修して現在の屋根の形の山車になった当時人形一部現存し会所前公開している町会もある。

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山車(模型)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 14:49 UTC 版)

江差追分会館・江差山車会館」の記事における「山車(模型)」の解説

入口付近に姥神大神宮渡御祭巡行される山車の模型展示されている。

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:36 UTC 版)

久喜の提灯祭り・天王様」の記事における「山車」の解説

8町内から8台の山車が繰り出される廻り舞台形式屋台形山車で、各町内ともほぼ同様な形態である。昼間伝説・歴史上の人物の人形を山車の上飾り立て町内を曳き廻す夜間は、人形取りはずし、山車の四面四百数十個の提灯飾りつけ提灯山車となる。その山車の様子関東一とも言われる。この祭り喧嘩祭りとしての側面あり、かつては勇ましく山車同士をぶつけ合い町内繁栄競い合っていた。現在でも山車を急接近させたり、ぶつけたりする。なお、提灯光源には現在でもろうそく使用している。

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山車(ヤマ)

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姥神大神宮渡御祭」の記事における「山車(ヤマ)」の解説

江差町では山車のことを「ヤマ」と呼び、各町内大事に保存されている。祭においての山車(ヤマ)は御輿渡御続いての山車供奉として位置づけられている。 姥神大神宮祭礼への山車供奉19世紀中頃からとされて、以降現在まで続くが、太平洋戦争後の時代においては以下の理由によって山車巡行が行われなかった年がある。 1971年昭和46年前年発生した、山車の照明電源使われていたエンジン発電機燃料取り扱い不良による火災事故発生受けて中止 1993年平成5年同年7月12日発生した北海道南西沖地震による自粛 2020年令和2年) - 2022年令和4年)現在 2019年令和元年)より発生した新型コロナウイルス感染症関連のために中止2021年令和3年)は、姥神大神宮神職による疫病退散の意味合い込めた神輿渡御行列が行われたほか、江差山車会館内の山車展示継続と、8月9日 - 14日の期間に寳丸以外の町内各所での山車や山車人形展示のみが行われた。 2022年令和4年)は、当初姥神大神宮祭典協賛実行委員会事務局より「お囃子における掛け声」「切り声」「御祝儀集め」「山車参加者への飲食振る舞い」をそれぞれ自粛し、各山車に補助金支給した上で山車巡行を行う方針だったが、各町からの反発感染拡大のおそれによる反対があったために山車巡行中止となった。なお、8月10日 - 11日の期間に姥神大神宮によって町内全域を巡る神輿渡御は、5月時点において開催方向調整中。

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山車

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とちぎ秋まつり」の記事における「山車」の解説

以下は泉町諫鼓鶏の山車と大町武蔵坊弁慶の山車を除けばいずれも鉾台型の山車である。 万町一丁目劉備玄徳 天照大神 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年明治26年万町二丁目関羽雲長 日本武尊 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年明治26年万町三丁目張飛翼徳 太閤秀吉 素盞嗚尊 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年明治26年倭町一丁目獅子頭 制作 - 不明1876年明治9年)頃 倭町二丁目神武天皇 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年明治26年倭町三丁目静御前 制作 - 松雲徳山1848年嘉永元年劣化進んだため、2017年から一年がかりで修繕が行われた。 室町桃太郎 制作 - 大沢銀之丞1905年明治38年大町弁慶 制作 - 不明明治初期嘉右衛門町仁徳天皇 制作 - 中野瓣吉ほか、昭和初期泉町諫鼓鶏 制作 - 不明1874年明治7年)頃

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山車(実物)

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江差追分会館・江差山車会館」の記事における「山車(実物)」の解説

姥神大神宮渡御祭実際に使われる13基の山車のうち、1年ごとに入れ替わりで2基が、毎年8月姥神大神宮渡御祭終了後から翌年8月上旬まで、実際の山車の飾りそのまま展示される

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山車

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新庄まつり」の記事における「山車」の解説

地元の人は「やたい」と呼ぶ。進行方向左側豪華絢爛飾り付けられる山・桜牡丹・滝を必ず飾ることの他は自由で、ハリボテ、ねぶたを思わせる巨大灯篭フラッシュ光など若連によって、様々な趣向凝らす進行方向右側は、左側見栄え良くするために山が配される場合が多い。 以前ドライアイス使った煙、中に人が入って傘回しならぬ回し(分福茶釜)をするなどあったが、今は規定により禁止されている。 山車を動かすために、前面梶棒があり、その梶棒に2本の曳き綱が結び付けられている。当日は、小学生ら小若が山車の曳き手になる。足回りタイヤである。 山車運行の際は、電線にや脇木に山車が引っかからないように、常に左右に4mほどの棒を持った人(「電線上げ」)を配置する。高さが低いアンダーパスを通すために、人形ハリボテ外せ細工行っている若連もある。

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山車

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藤井神社」の記事における「山車」の解説

藤井神社には現在3台の山車がある。広洲長浜から譲り受け垂井経由して持ちたらされたという言い伝えがある。

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山車(囃子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:50 UTC 版)

放生祭」の記事における「山車(囃子)」の解説

山車を披露する区は、浅間区貴船区酒井区生玉区塩竈区飛鳥区竜田区今宮区清滝区9区飛鳥区のみ舞台型山車で、山車の舞台で子どもが舞踏披露しながら道行する。それ以外の区は屋根付き二階造りで、一階には大太鼓小太鼓二階には笛の囃子方ある子どもたちが乗り込み10から20数曲の囃子曲目演奏しながら道行きする。

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/27 00:40 UTC 版)

大畑祭」の記事における「山車」の解説

大畑祭の山車(地元ではヤマ呼ばれている)の序列は、御神輿渡御供奉始めた年代が古い順番だと云われており、八幡山から放生會までが江戸時代豊榮以降の山車は昭和になってから御供するようになった。 山車は、八幡山鞍馬山放生會豊榮會、中島山が車輪含めて木製平山車であり、明神丸天女丸が船山車である。 二階建ての山車の一階には囃子方地元では乗子「のりこ」と呼ばれており、小学校高学年中学生高校生構成)、二階には御神体乗せる。 以下、山車の順番丸数字)、町内会と山車名及び読み仮名渡御への参加年、装飾御神体飾り付け説明)、見送り特徴備考について記載

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 17:19 UTC 版)

常陸國總社宮大祭」の記事における「山車」の解説

石岡お祭りで最も目を引くのが山車であるが、囃子大太鼓大胴)と締め太鼓、笛と鉦で演奏される石岡の山車は少々独特であり、正面踊り場向かって右太鼓等の囃子方踊り場右側に笛師、左側に鉦方が配置される踊り場では、四丁目(おかめ)仁羽(ひょっとこ新馬鹿(きつね)の三つ演目がある。 囃子石岡囃子呼ばれ石岡町時代周辺農村地域祭囃子が元となっている。現在石岡囃子呼ばれている系統では、大きく分ける二つありそれぞれ 三村流(旧三村三村囃子)、染谷流(旧染谷村染谷囃子)と呼ばれている。それほど違いはないが、三村流は新馬鹿(きつね)や笛・鉦が入らない撒喜利で区別が可能。 三村流・染谷流ともに石岡囃子として県指定無形民俗文化財指定されている。 金丸町弁財天および山車(現在は石岡小学校保存されている)は1922年大正11年)に東京日本橋魚河岸より購入したものと言われている。山車人形弁財天古川長延作とされ、江戸天下祭にも数回出展されている。 中町日本武尊明治29年三代目原舟月作で、原舟月最後作品と言われている。金丸町弁財天とともに市指定有形民俗文化財指定されている。

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山車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 18:25 UTC 版)

乙川祭禮」の記事における「山車」の解説

乙川の山車は、乙川八幡社への引き込み順が固定されていることから、番号呼ばれることがある。ここでは、その番号の順に山車の簡単な説明を行う。

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山車

出典:『Wiktionary』 (2020/05/14 05:21 UTC 版)

名詞:だし

サンシャ だし)

  1. 祭礼などで用いられる、装飾された屋台。だし。だしぐるま。やま。だんじり

名詞:植物

やまぐるま

  1. ヤマグルマ科常緑高木

「山車」の例文・使い方・用例・文例

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