曳山とは? わかりやすく解説

山車

(曳山 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 15:02 UTC 版)

山車(だし、さんしゃ)は、日本祭礼の際に引いたり担いだりする出し物の総称。花や人形などで豪華な装飾が施されていることが多い。地方によって呼称や形式が異なり、曳山(ひきやま)・祭屋台(まつりやたい、単に屋台とも)などとも称される。神幸祭などの行事では、この山車が町の中をねり歩き行列となることもある。


  1. ^ 山車と屋台の見分け方”. 夢・dreamsギャラリー. 2003年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  2. ^ 『大辞泉』
  3. ^ 戦国時代の祇園祭カトリック大阪教会管区部落問題活動センター事務局、2008年9月
  4. ^ 女子も奮闘 大阪・生根神社 夜空を焦がす巨大「だいがく」THE PAGE, 2015.07.29
  5. ^ 牧村史陽・編『大阪ことば事典』講談社(講談社文庫)1998年、415,416頁。
  6. ^ 架線を撤去し山車通過 世界に認められる祭りを支える鉄道会社の心意気 乗りものニュース編集部、2016年11月29日(2023年6月19日閲覧)。
  7. ^ https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index 国指定文化財等データベース 文化庁
  8. ^ http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/pdf/unesco_jyoyaku_140313.pdf 文化庁報道発表
  9. ^ http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/pdf/mukeibunkaisan_ichiran_140327.pdf 文化庁報道発表
  10. ^ 「ユネスコ無形文化遺産 登録審査16年に先送り」北日本新聞 2014年(平成26年)6月5日31面
  11. ^ 「文化審議会の答申内容」北日本新聞 2015年1月17日6面
  12. ^ 「山・鉾・屋台 無形文化遺産 18府県の祭り33件一括 ユネスコ補助機関勧告 県内から3件」北日本新聞 2016年11月1日1面
  13. ^ 「高岡御車山 魚津たてもん 城端曳山 無形文化遺産に登録、山 鉾 屋台 18府県33件一括 ユネスコ委」北日本新聞 2016年12月2日1面
  14. ^ https://www.youtube.com/watch?v=pGoDws0zxg0&feature=youtu.be 第11回政府間委員会審議録音
  15. ^ 『ユネスコ無形遺産 新湊曳山・築山 候補に 25年に審査・決定』北日本新聞 2023年12月19日1面
  16. ^ 『ユネスコ無形遺産 新湊曳山・築山追加申請』北日本新聞 2024年1月27日29面
  17. ^ http://www.dinamani.com/tamilnadu/article1046568.ece
  18. ^ http://hinduism.about.com/od/rathyatra/a/rathyatra.htm



曳山(鉾形式)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/24 21:34 UTC 版)

亀岡祭」の記事における「曳山(鉾形式)」の解説

鍬山 - くわやま - (平成17年に舁山から曳山に復元新調八幡山 - はちまんやま - 武内山 - たけうちやま - 三輪山 - みわやま - 高砂山 - たかさごやま - 難波山 - なんばやま - 羽衣山 - はごろもやま - (平成14年復元新調) 翁山 - おきなやま - ※上記8基の山(或いは山鉾)は、伝承されている「囃子」がある。

※この「曳山(鉾形式)」の解説は、「亀岡祭」の解説の一部です。
「曳山(鉾形式)」を含む「亀岡祭」の記事については、「亀岡祭」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/09 16:23 UTC 版)

海老江曳山祭」の記事における「曳山」の解説

3基の曳山は放生津新湊曳山祭の曳山と同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた鉾山である。上山下山二層構造上山中央の鉾心柱の上部にはひげこといわれる竹籠付け、その周りに3色の和紙(またはナイロン)で出来た菊の花を5個付けた割竹放射状広げた花傘鉾山で、鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いており、王様といわれる御神体供えている。また前人といわれるからくり人形供えられている。下山には幔幕まんまく)または御簾(みす)が掛けられている。夜には約200から300もの提灯付けた提灯山となる。車輪4輪大八車外車様式で、板車または輻車(やぐるまスポーク式〕)である。 曳山3基に供えられ前人形は自慢からくり人形であり、中でも西町の「唐童子とうえんどうじ)」は人形師7代目玉屋庄兵衛(たまやしょうべえ)作の本からくり人形傑作で、1979年昭和54年)に新調され小太鼓叩きながら歩いた走ったり、顔が一瞬唐子の顔に変化するもので、22本の絹糸操作して作動させる。また中町からくり人形唐子懸垂廻転」も7代目玉屋庄兵衛作である。1980年昭和55年4月には東京銀座松屋行なわれた「からくり人形世界展」に出展実演行った夜に3基が一堂会して競演する時間クライマックスになっている。「曳山木遣り」などが各町内から披露されるのだが、この時、必ず北島三郎禁断デビュー作「ブンガチャ節」〔作詞星野哲郎採譜船村徹編曲船村 徹〕が披露される

※この「曳山」の解説は、「海老江曳山祭」の解説の一部です。
「曳山」を含む「海老江曳山祭」の記事については、「海老江曳山祭」の概要を参照ください。


曳山(高砂山)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 17:29 UTC 版)

高砂山願念坊祭り」の記事における「曳山(高砂山)」の解説

曳山は、八尾町(現 富山市)で現在も続く越中八尾曳山祭氏子町である今町が、二代目の曳山を1862年文久2年)に造り替えた際、初代の曳山を古物商介し同年譲り受けたもので、安永年間1775年頃)に創建されたものといわれ、高さ・6.1m、長さ・約4.61m、一階部分2.36m、幅・屋根部分3m一階部分1.9mの二層構造屋台形式彫刻山(棟覆山)で屋根入母屋造前後の軒は唐破風である。屋根四隅には瓔珞ようらく)が提がっている。上層高欄囲み屋根支える4本には紋が入った天幕張られ中には祭り(曳山)の名前の由来でもある御神体人形)の尉(じょう)と姥(うば)が供えられる今町時代天神様であった譲り受けたあと変更された。後方見越(けんけし)は供えられていない下層には御簾三方掛けられており、天幕御簾には梅鉢紋が入っている。かつてはここに「楽人といわれる囃し方が入っていたが、現在は囃し専用屋台があるため中では演奏していない。曳くための梶棒長柄)は前方だけに備わっている車輪直径60cm、幅15cm の4輪地車内車様式で釘などの金具使用していないなど、八尾曳山の江戸時代当時の姿を色濃く残しており貴重なのである夜には曳山上部提灯付けられ提灯山となる。 曳山は1876年明治9年)から1887年明治20年)にかけて修理が行われており、修理費は頼母子講たのもしこう)によって工面された。1976年昭和51年)の復興時には寄付募り曳山の修復などを行った

※この「曳山(高砂山)」の解説は、「高砂山願念坊祭り」の解説の一部です。
「曳山(高砂山)」を含む「高砂山願念坊祭り」の記事については、「高砂山願念坊祭り」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 23:43 UTC 版)

唐津くんち」の記事における「曳山」の解説

曳山は「乾漆」という技法製作されている。その製法は、まず粘土で型を取った後、その上から良質和紙200くらい張り重ねて厚みを作ってから中の粘土取り外す。その和紙の上から漆を塗るが、下地7、8塗ってから、中塗り上塗り重ねその上に金箔銀箔施して仕上げている。 14町の曳山に共通する基本的な構造は、上記のようにして製作された曳山の主要部分である獅子頭や兜などの巨大な工芸品を、車輪のついた、造り台車の上載せるのである台車前方には100mほどの長さになる2本の綱に数十人の曳子がついて曳山を前方に曳いていく。また、台車後方には2本の梶棒かじぼう)が突き出ており、この棒を操作することで曳山の進行方向操作する(なお、大石町鳳凰丸には台車前方にも2本の梶棒がある)。 各曳山には製作順に番号付されており、「○番曳山」あるいは「○番ヤマ」と呼ばれている。14町の曳山は、以下のとおり刀町赤獅子(製作 1819年文政2年中町青獅子1824年文政7年材木町の亀と浦島太郎1841年天保12年)※浦島太郎ではなく宝珠乗せられていた期間があった。 呉服町九郎判官源義経の兜(1844年天保15年魚屋町1845年弘化2年大石町鳳凰丸1846年弘化3年新町飛龍1846年弘化3年本町金獅子1847年弘化4年木綿町(きわたまち)の武田信玄の兜(1864年元治元年)元9番曳山(消滅): 紺屋町黒獅子 平野町の上謙信の兜(1869年明治2年米屋町酒呑童子源頼光の兜1869年明治2年京町の珠取獅子1875年明治8年水主町(かこまち)の1876年明治9年江川町七宝丸(1876年明治9年唐津市の子供たちがこの曳山の順番覚えるのに「10人のインディアン」の曲の替え歌用いる。その歌詞以下のとおり。「赤獅子青獅子浦島太郎義経鳳凰丸(この歌では「ほうまる」と発音する飛龍金獅子武田上杉頼光、珠取七宝丸」 曳山 刀町赤獅子 中町青獅子 材木町の亀と浦島太郎 呉服町源義経兜 魚屋町の 大石町鳳凰丸 新町飛龍 本町金獅子 木綿町武田信玄の兜 平野町の上謙信の兜 米屋町酒呑童子源頼光の兜 京町の珠取獅子 水主町 江川町七宝

※この「曳山」の解説は、「唐津くんち」の解説の一部です。
「曳山」を含む「唐津くんち」の記事については、「唐津くんち」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 06:52 UTC 版)

放生津曳山祭」の記事における「曳山」の解説

13基の曳山は高さ約8m長さ約6-7m(長手間)、重さ約3.5tで、高岡御車山同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた鉾山車である。上山下山二層構造上山中央の鉾心柱の上部にはひげこといわれる竹籠付け、その周りに赤・白・黄3色の和紙(またはナイロン)で出来た菊の花を5個付けた割竹放射状広げた花傘鉾山で、鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いており、王様といわれる御神体供えている。また前人といわれるからくり人形供えられている山もある。下山には幔幕まんまく)が張られている山と戸帳の山がある。車輪4輪大八車外車様式で、輻車(やぐるま[スポーク式])または板車である。昼の花山に対して夜には約200から300もの提灯付けた提灯山となり、狭い街角を急曲がりする時の勇壮さと提灯揺れ風情見ものとなっている。 立町(たてまち)にある「川の駅新湊1階の曳山展示室には、2基の曳山が常設展示されており、1基はこちらを山倉とする紺屋町(こんやまち)、もう1基は毎年入れ替えされている。また2階曳山ギャラリーには、曳山の歴史紹介ミニチュアの曳山模型展示されている。

※この「曳山」の解説は、「放生津曳山祭」の解説の一部です。
「曳山」を含む「放生津曳山祭」の記事については、「放生津曳山祭」の概要を参照ください。


曳山(ぎゅう山)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 15:19 UTC 版)

城端曳山祭」の記事における「曳山(ぎゅう山)」の解説

地元でぎゅう山といわれる6基の曳山は、高さ5.54m〜6.52m、長さ約4.5m〜5.2m(長柄間)、2層構造入母屋作り軒唐破風屋根屋台様式高欄囲まれ上層神座)には御神像供え一部の曳山にはからくり人形配している。上層下層の間には2段分かれた彫刻などの装飾がされている。創成期御神像からくり人形は、人形師木屋五郎右衛門(別名・木仙人)、城端焼の創始者人形師彫刻師でもある荒木和助(別名・唐津屋和助)、現在も受け継がれている城端塗(城端蒔絵)の塗師小原五右衛門などによって手掛けられたものである他所の曳山にはあまり見られない特徴一つとして、狭い路地すり抜けるように進むため、家屋等にぶつからない様に屋根の軒が可動式になっており紐で操作し幅を縮めることができる。殆んどの曳山は跳ね上げ式だが、西下町曳山の屋根だけは軒を上部せり上げるという特殊な仕組みになっている。また屋根支え根元の穴にゆとりをもたせ移動中屋根が20cm〜30cm程揺れるようにできている。これも狭い路地を進むさい建物ぶつからないためと回転する時にバランスをとるための工夫で、神座乗る紋付・袴姿の男衆4人が持ち屋根動き制御する。現在は巡行路となる道路のほとんどが拡張されており、屋根可動させる場所は大工町路地だけとなり、逆に見所一つとなっている。天井金箔張りとなっており、東下町曳山のみが格天井で他は平天井である。 車輪4輪大八車外車様式の輻車(やぐるまスポーク式〕)または板車で車輪にも漆や彫金などが施されている。もう一つ特徴として曳山を曳く車輪からギューギュー軋り音がなるので「ぎゅう山」といわれるが、この音は車軸心棒)と車軸受けの間に、鳴り板と呼ばれる油(現在は灯油)に浸した厚さ約3mmの薄木を噛ませ、車軸にも油を塗り意図的に出しており毎年取り替えられるまた、180度回転するための装置唐子山(からこやま)を除き設置されているが必ずしも使用されるものではない。 夜に提灯山になるが、よく見られる何百もの提灯周りを囲むのではなく手に持つ弓張り提灯を曳山に挟みぶら下げ様式になっている巡行路内で昼巡行では西下町出丸町提灯になってからは新町での計3ヶ所で180度ターンがあり、大きな軋り音をたてなが一気廻すところが見所でもある。また、城端曳山会館横の所望所では庵屋台・曳山の説明、庵唄の披露のほか、からくり人形屋根可動デモンストレーションが行われる。

※この「曳山(ぎゅう山)」の解説は、「城端曳山祭」の解説の一部です。
「曳山(ぎゅう山)」を含む「城端曳山祭」の記事については、「城端曳山祭」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 00:57 UTC 版)

土崎神明社祭の曳山行事」の記事における「曳山」の解説

(曳山の構造と外観については後述。) 「曳山」の本来の読みは「ひきやま」であるが、土崎では単に「やま」と読む。ただし、「曳山行事」・「曳山祭り」は、「やまぎょうじ」・「やままつり」とは読まず、「ひきやまぎょうじ」・「ひきやままつり」と読む。あるいは、「山車」(標準語では「だし」と読む)と書いて「やま」と呼ぶこともある。 曳山は土崎神明社氏子町内として奉賛会ほうさんかい)に加盟する町内ごとに組立てられ奉納される平成期入ってからは毎年20台前後の数が奉納されており、かつてより大幅に増えている(各年の奉納曳山の項を参照)。

※この「曳山」の解説は、「土崎神明社祭の曳山行事」の解説の一部です。
「曳山」を含む「土崎神明社祭の曳山行事」の記事については、「土崎神明社祭の曳山行事」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 14:44 UTC 版)

石動曳山祭」の記事における「曳山」の解説

11基の曳山は高さ約5.9m〜6.5mで、高岡御車山同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた花山(花鉾山車である。上山下山二層構造で鉾心柱)の周りに赤・白・黄3色の造花出来た菊の花付けた割竹放射状広げた花傘鉾山だか、他の富山県西部花山車が鉾心柱)が中央にあり、御神体心棒後方置かれるのに対し石動山車は鉾心柱)が後方にあり祭神といわれる御神体がその前方供えられる。鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いている。また今町の曳山には相座としてあやつり人形供えられている。下山には幔幕まんまく)が張られている。車輪4輪大八車外車様式で、直径は1.3〜1.4mである。

※この「曳山」の解説は、「石動曳山祭」の解説の一部です。
「曳山」を含む「石動曳山祭」の記事については、「石動曳山祭」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:54 UTC 版)

出町子供歌舞伎曳山祭」の記事における「曳山」の解説

曳山3基の構造は、ほぼ同じ造り2層構造となっており、上層白木漆塗り漆工)など各町特色のある御殿造り前部舞台になっている。他地区歌舞伎曳山との大きな相違は、舞台前部2本の柱取り外せるようになっており、演じ手の邪魔にならずに演技が行える事があげられる。曳山上層後部と3基とも白木造り下層楽屋となっているが、下層部は現在使用されていない屋根切妻造り中町以外は二重屋根で、現在のように道幅広くなかったため、家の軒などにぶつからないよう3基とも折り畳み式可動屋根になっているが、西町曳山は1999年平成11年)の改修によって固定式改められた。車輪は3輪または4輪地車内車様式である。 第二次大戦後に、各町に曳山をそのまま保管できるができるまでは、火災による全焼回避のため、祭礼が終わると解体し部材ごとに箱に入れられ町内幾人かの個人宅厳重に保管されていた。なお、曳山には釘や鎹(かすがい)は一切使われていない。現在は、2009年平成21年)に開館した砺波市出町子供歌舞伎曳山会館にて、3基すべてを常設展示している。

※この「曳山」の解説は、「出町子供歌舞伎曳山祭」の解説の一部です。
「曳山」を含む「出町子供歌舞伎曳山祭」の記事については、「出町子供歌舞伎曳山祭」の概要を参照ください。


曳山(南10町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:28 UTC 版)

氷見祇園祭」の記事における「曳山(南10町)」の解説

もともと10基あった曳山は1882年明治15年5月15日起きた大火と、1938年昭和13年9月6日起きた大火多くの曳山が焼失類焼し大きなダメージ受けた明治大火では焼失したすべての町が新たに曳山を建造し再興したが、昭和大火では5町の曳山が焼失南中町1976年昭和51年)に38年の時を経て曳山を新調し再興を果たすが、残りの4町は類焼をまぬがれた本座(主座)人形前立脇立人形などを、修復または新調する町はあるものの曳山そのもの再興することは出来ず、現在大火による焼失のがれたが、老朽化により破損酷く曳き回すことができなくなった下伊勢町合わせ、5基が廃絶し5基が曳き回されている。 その現存する5基の曳山は高岡御車山同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた鉾山車で、上山下山二層構造の曳山は上山中央の鉾周り色とりどりの花を付けた割竹放射状広げた花傘鉾山だが、南中町御座町は現在花笠取り外し付けていない。鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いており、本座(主座)といわれる御神体供えている。また前立人形または脇立人形といわれる人形供えられている。下山には各町意匠凝らした刺繍施された赤い掛幕(胴幕)が張られている。車輪4輪大八車外車様式で、輻車(やぐるま[スポーク式])または板車である。13日夜に御座町南上町南中町のみが上山上部取り囲むように6から7段の提灯付けた提灯山となり曳き回される江戸時代には13日夜に神輿供奉し、昭和大火以前14日夜に10揃って提灯山として曳き回されていた。なお曳山囃子には、笛、三味線太鼓用いるが、担い手減少から2015年平成27年)現在、御座町だけが執り行っている。

※この「曳山(南10町)」の解説は、「氷見祇園祭」の解説の一部です。
「曳山(南10町)」を含む「氷見祇園祭」の記事については、「氷見祇園祭」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 17:23 UTC 版)

越中八尾曳山祭」の記事における「曳山」の解説

6基の曳山は高さ約6.8〜7.5m、長さ約2.5m(前後梶棒間約5.5m)、幅約2.75m(車輪間)、重さ約4t、二層構造屋台形式彫刻山(棟覆山)で屋根は八ツ棟造り屋根四隅には瓔珞ようらく)が提がっている。上層漆塗り彫金施された4本には各町の紋が入った天幕張られ中には京都人形師富山藩大仏師などが手掛けた御神体人形)が供えられる。また神係と言われる神様お世話係、曳山大工と言われる組み立て責任者と言われる4本管理者、そして子供達乗り込む。前、左右に御簾掛けられ下層は他の富山県内の曳山と比べる太く、曳山自体全体的に寸胴見える。これは中に三味線横笛太鼓囃し方が乗り込み曳山囃子演奏するための空間大きく取るためである。 曳山下層後部飾られた大彫、上層御神体後方見越(けんけし)、2枚ずつ4面飾られ八枚彫、小脇彫などほぼすべての彫物には、細かい細工金箔彩色施され、漆や彫金多く用いられており大変煌びやか絢爛豪華そのものである。車輪4輪大八車外車様式西町は板車、残る5町は輻車(やぐるまスポーク式〕)で、車輪にも漆や彫金などが施されている。安永の曳山車騒動影響もあり江戸時代までは地車内車)だった。彫刻はいくつもの部材分かれており、夜に彫刻をはずし各曳山に約400もの提灯付けた提灯山となる。現在の絢爛豪華な曳山は慶応から大正時代掛け井波彫刻高岡彫金城端漆工など、各地優れた工芸技術をもつ名工によって手掛けられ完成されていった。なお曳山の組み立てには釘は一本使わず麻縄(こうぞ)の皮を使用して組み立てていく。 また、坂の町を曳き廻すため上層の4本傾きによって歪まないように、斜度がきつい坂を進む場合、4本係が助け縄を掛け坂上下方から引っ張ることによって保護している。 曳山囃子1770年代より演奏されており、初期には京都祇園囃子などが演奏されていたが、のちに浄瑠璃義太夫長唄端唄などを取り入れ町人たちが芸を磨き、各町が特色のある囃子完成させていった

※この「曳山」の解説は、「越中八尾曳山祭」の解説の一部です。
「曳山」を含む「越中八尾曳山祭」の記事については、「越中八尾曳山祭」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/16 13:46 UTC 版)

四方子供曳山祭り」の記事における「曳山」の解説

曳山(山車)は高さ3〜4m小型のもので、高岡御車山小型にした地車に鉾心柱)を立て、鉾心柱の上部に造花出来た花を付けた割竹放射状広げた花山車(花鉾山)で、鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留があるものもある。車輪4輪大八車外車様式で、輻車(やぐるまスポーク式〕)または板車である。

※この「曳山」の解説は、「四方子供曳山祭り」の解説の一部です。
「曳山」を含む「四方子供曳山祭り」の記事については、「四方子供曳山祭り」の概要を参照ください。


曳山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 19:23 UTC 版)

大門曳山まつり」の記事における「曳山」の解説

4基の曳山は高さ約5.6m〜7m、幅約2mで、高岡御車山同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた花山車(花鉾山)である。上山下山二層構造で、高欄囲まれ上山中央の鉾心柱)の周りに、赤・白・黄3色の造花出来た菊の花5個付けた割竹36本を放射状広げた花傘鉾山で、鉾心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いており、王様といわれる御神体供えている。下山には赤い横幕張られている。車輪4輪大八車外車様式で、輻車(やぐるまスポーク式〕)または板車だが、枇杷首の曳山だけは大きな2輪の輻車で富山県内の曳山では高岡御車山二番町とここ枇杷首だけである。夜に提灯山になるが、花笠などを取り外して何百もの提灯で曳山上部を囲むのではなく花山車花笠内側高欄下部丸型提灯四隅小田原提灯提げる。 なお、現在曳かれていない蓮花寺曳山は解体され蓮華寺井口神社一般民家などに別けて保存されている。

※この「曳山」の解説は、「大門曳山まつり」の解説の一部です。
「曳山」を含む「大門曳山まつり」の記事については、「大門曳山まつり」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「曳山」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曳山」の関連用語

曳山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曳山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの亀岡祭 (改訂履歴)、海老江曳山祭 (改訂履歴)、高砂山願念坊祭り (改訂履歴)、唐津くんち (改訂履歴)、放生津曳山祭 (改訂履歴)、城端曳山祭 (改訂履歴)、土崎神明社祭の曳山行事 (改訂履歴)、石動曳山祭 (改訂履歴)、出町子供歌舞伎曳山祭 (改訂履歴)、氷見祇園祭 (改訂履歴)、越中八尾曳山祭 (改訂履歴)、四方子供曳山祭り (改訂履歴)、大門曳山まつり (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS