うじこ 【氏子】
氏子
氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 19:57 UTC 版)
大屋都姫神社は、鎮座地宇田森を始め弘西・北野・永穂(なんご)・西田井・北の6地区の産土神とされ、戦前までは6地区それぞれに宮座が結成されていたが、現在は永穂地区に残るのみである。 『紀伊続風土記』では、かつては6月1日と9月21日(いずれも旧暦)の祭礼で流鏑馬に猿楽や田楽が催されたという。また同書では、10月末日と11月16日(いずれも旧暦)の祭礼では伊太祁曽神社の社人が奉仕するといい、10月は小豆飯や柿餅・魚・酒などを供え、11月は伊太祁曽神社の神輿が当社へ渡御したという。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/12 02:31 UTC 版)
中心市街地の44町内を氏子としている。 富桑校区 行徳一区・行徳二区・行徳三区・千代町一区・千代町二区・千代町三区 明徳校区 行徳四区・南行徳・有楽町・今町一丁目・今町二丁目・瓦町・瓦町クローバークラブ・太平町・棒鼻 日進校区 弥生町・弥生町一区・栄町昭和通・本通商店街・末広温泉町・永楽温泉町 遷喬校区 元町・川端一丁目・川端二丁目・川端三丁目・戎町一区・新町・元魚町一丁目・元魚町二丁目・二階町二丁目・二階町三丁目・本町三丁目 醇風校区 寿町一区・寿町二区・新品治町・川端四丁目・内市・川端五丁目・元魚町三丁目・元魚町四丁目・二階町四丁目・本町四丁目・茶町
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 00:41 UTC 版)
旧奥沢本村の鎮守である子安稲荷神社を合祀して奥澤神社となった当時、氏子は奥沢村の全戸であった。1935年(昭和10年)頃から転入者が増えて戸数が3,000戸ほどになったときも、転入者は氏子の義務として年1円の維持費を負担していた。1985年(昭和60年)の『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』によれば、2,000戸の氏子が年600円の維持費を納めていた。『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』では、氏子の減少の理由について当時の禰宜の話として「年寄が亡くなり、世帯主が代わった事、特定の宗教に入信したこと」を挙げることが多いと記述していた。 神社の当番は、「カミ」、「ナカ」、「シモ」の各ズシが1年交替で務めていた。氏子の総代は「宮大将」とも呼ばれ、1985年(昭和60年)の時点では14人いた。以前は旧奥沢一丁目 - 三丁目から選ばれていたが、その後現在の奥沢一丁目-八丁目から原則2名ずつ選出されていた。ただし、2名というのは流動的なものであり、手薄になった場合は補充こともできる。総代の選出方法は選挙などではなく、人望や経済状態、そして家柄などを考慮の上で選ばれるため、「世襲」の形になるという。氏子総代の上には責任総代がいて、1985年(昭和60年)の時点では2名がこの役を務めていた。責任総代には定員は特になく、宮司や氏子総代の監督、税務署に提出する神社の財政決算書の確認、総会での決算報告などを行う。 奥沢地区では、子供が生まれた家は奥澤神社への宮参りを行っていた。誕生後に男の子は31日目、女の子なら33日目に参拝し、これは「氏子入りを果たす」という意味での参拝であった。宮参りに子供を連れていくのは姑か実家の母親であり、父親や仲人の妻などが付き添う場合もあった。ただし、太平洋戦争前頃までは、母親は「産後75日を過ぎなければ参拝をしてはいけない」とされていたため、たとえ一緒に行っても神社境内の外で待たされていたという。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:03 UTC 版)
通常、氏神と氏子という関係は、生家の氏神や地元にある神社にて氏子入りをすることにより生じる。お宮参りが産土神(うぶすながみ)という、生まれた土地の神に対して行われる様に、多くの場合において、産土神を氏神とすることが多い。 お宮参りと氏子入りの儀式は必ずしも同一ではないが、前述の通り、氏神と産土神の区別がなくなって以降、お宮参りが氏子入りを意味する場合が多くなった。よって、お宮参りにおいて、氏子である証明の氏子札を授与されることが一般化している。一方で代々に渡って氏神を崇敬したり祭事に従事したりする家系でない者は、お宮参りをただ慣例的に行っている場合が多く、氏子の意識や自覚を持たない場合も多い。 また、婿入りや嫁入りにより、改めて婚家の氏神に氏子入りの儀式をする場合も多い。最近では、祭事に従事する人口も高齢化し、祭事に加わる氏子も減っているためか、氏子の務めである神事祭事と崇敬への取り組みも形式的となっているが、神棚に神璽や氏子守を納め、家中でお供えすることに留めることも多い。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 09:03 UTC 版)
氏子の組織として、各町内から氏子総代が1名ずつ出る。古川町は東西に2分されて、東古川町自治会と西古川町自治会がある。茂福地区自治会と北村町自治会も入るので、氏子総代は36名となる。氏子総代は8月に行われる富田の鯨船行事の責任者になる。全部の氏子総代会長が1名選ばれる。氏子総代会長は町の有力者がなった。ハマの納屋方の祭礼は以下の自治会組織で開催される。 南島(6町) 中島(2町) 北島(6町) 以上の南島・中島・北嶋と云う3つのシマ(祭礼組)に区分されるが、祭礼の決算は氏子総代の家で行われる。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:41 UTC 版)
以下に示す15自治会が氏子となっている。 1丁目(いっちょうめ) 2丁目(にちょうめ) 3丁目(さんちょうめ) 4丁目(よんちょうめ) 宮前(みやまえ) 日吉町(ひよしちょう) 柳町(やなぎちょう) 新通(しんどう) 初咲町(はつざきちょう) 西通り(にしどおり) 緑ヶ丘(みどりがおか) 日之出町1丁目(ひのでちょういっちょうめ) 日之出町2丁目(ひのでちょうにちょうめ) 東町(あずまちょう) 栄町(さかえちょう) ※ 日之出町2丁目は六郷小学校区、ほかは堀之内小学校区。※ 柳町と日之出町2丁目は菊川東中学校区、ほかは菊川西中学校区。※ 東町と栄町は合同で活動することが多く、あわせて東栄町(とうえいちょう)と称する。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 03:47 UTC 版)
「氷川神社 (渋谷区東)」の記事における「氏子」の解説
昔の下渋谷村、下豊澤村で、今の渋谷区の南端の地域を占め、区内の神社中最も広い町内を有している。北は大体もとの鎌倉街道の辺を境として、金王八幡宮の氏子町内と隣り合い、東は笄ヶ谷をもって今の麻布と接し、西丘陵の峯をもって目黒区と分かれ、南はやや開けて麻布、芝、品川に続いている。 並木橋より天現寺橋に至る其の間、渋谷川が中央を北から南に流れ、その流域は平地になっているが、笄川、井守川、代官山、長谷戸の流れ、向山、伊達の流れなど、ささやかな流れの本川にそそぐ中を山笄宮代十豊分地域、羽澤上智、代官山猿楽、長谷戸衆楽、向山伊達、と自らそれぞれ壷地になっている。この様に高低起伏の多い土地であるため住み付きやすい所であるのか、先住民の遺跡や遺物等も所々に発見されていることは、その地名表に示されてある所である。 しかし山林や畑地の多い所のため、江戸が開けるようになってからも広尾町や渋谷橋辺を除いては、町屋として発達した所が少なく、大名屋敷等が多かったようである。明治2年の記事に「氏子諸侯ノ内島津家、黒田家、宇和島家、堀田家、渡辺家、戸澤家、氏子内ナレバ武運長久ノ祈願仕リ、毎年ノ祭禮ノ節ハ弊畠料奉納アリシ由紀セリ」とある。 近年では市街地もあり、住宅地もあり、小工場のある地域もあり、町名も旧渋谷町の大半と麻布に一部で40余町に呼び分られるほどで、終戦前一時は世帯数も一万六千戸を数えたこともあった。また終戦前までは東伏見宮家、久邇宮家、同別邸、李鍵公等の宮家をはじめ華族、名士等の邸宅も多く、大日本神祇会、國學院大學など棋界の機関もあって神社の氏子町内としての性格から見る時は、他に類例を見ない地域であった。終戦後はこの有様もやや変わったが、それでも東宮仮御所や、渋谷文教地区をその氏子町内に持っていることは大きな特色である。
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氏子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 01:44 UTC 版)
高砂神社の秋季例大祭に登場(神輿型太鼓台を持ち上げて入場する地区)をここにて著す。特徴として、旧高砂町の町内に位置する地区が氏子に入っている。 木曽町(高砂町の北西部に位置する住宅地) 農人町(高砂町の西部に位置する住宅地名・サンモール高砂の西側の地区) 藍屋町(高砂町の中部の加古川沿いに位置する地区・相生橋の西詰に位置する) 鍵町(高砂町の中部に位置し、木曽町・農人町・西畑に接する地区・地区内に高砂市立高砂幼稚園がある) 西畑(高砂市の南部に位置する地区。地区内に兵庫県立高砂南高等学校がある) 戎町(高砂町の南部に位置し、カネカ高砂工場の北に位置する。高砂町内の漁師町である) 中部 浜田町(高砂町の北部に位置する地区。地区内に山陽電鉄本線高砂駅がある) 東宮町(高砂町の南部に位置する地区。高砂神社が建立されている場所でもある)
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