御柱祭
(御柱 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 04:40 UTC 版)
御柱(おんばしら、みはしら)または御柱祭(-さい、-まつり)は、長野県諏訪地方で行われる祭である[1]。諏訪大社における最大の行事である。正式には「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」といい、寅と申の年に行われる式年祭である[1]。長野県指定無形民俗文化財[2]。日本三大奇祭のひとつとされる[3]。
注釈
出典
- ^ a b c d e 御柱祭公式ホームページ 御柱について
- ^ 茅野市公式ホームページ
- ^ 関東の旅 関東観光情報ポータルサイト
- ^ a b 小宮の御柱
- ^ 『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 107-111。
- ^ a b 『古事記の本』 学研
- ^ 宮坂光昭『諏訪大社の御柱と年中行事』郷土出版社、1992年、91-93頁。
- ^ 宮坂光昭「古墳の変遷から見た古氏族の動向」『古諏訪の祭祀と氏族』 古部族研究会 編、人間社、2017年、79頁。
- ^ 宮坂光昭 『諏訪大社の御柱と年中行事』 郷土出版社、1992年、154-156頁。
- ^ “御柱の歴史〜諏訪市博物館「御柱とともに」より〜”. 御柱祭いくぞやい. 2019年3月31日閲覧。
- ^ 寺田鎮子、鷲尾徹太 『諏訪明神―カミ信仰の原像』 岩田書店、2010年、53頁。
- ^ 寺田鎮子、鷲尾徹太 『諏訪明神―カミ信仰の原像』 岩田書店、2010年、50-52頁。
- ^ a b c d 「春宮一」建て御柱で転落事故 2人死亡2人けが 信濃毎日新聞 2010年5月9日
- ^ 最終章の御柱祭 建て御柱で転落事故 2人死亡2人けが[リンク切れ] 信濃毎日新聞 2010年5月9日
- ^ 御柱祭で転落、男性死亡 垂直に立てた柱から 産経新聞 2016年5月5日
- ^ 諏訪大社「御柱祭」で転落死は「宮司の犯罪」? 弁護士「告発」に賛否 J-CASTニュース(2016年5月27日)
- ^ “御柱祭転落死:宮司を不起訴 /長野 - 毎日新聞” (日本語). 毎日新聞 2018年5月6日閲覧。
- ^ “諏訪・御柱祭(1998年)”. NHK. 2021年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月11日閲覧。
- ^ オペラ「御柱」 (operaonbashira) - Facebook
御柱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)
諏訪大社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。 一之御柱(社殿右手前) 二之御柱(左手前) 三之御柱(左奥) 四之御柱(右奥) 下社秋宮・春宮では御柱先端の御幣が正面(裏面は曳行により削れている)を向いているが、上社本宮・前宮では諏訪大社奥宮のある八ヶ岳の方向を向いている。諏訪地方では、大きい神社から小さい祠に至るまで、諏訪大社にならってこの御柱を設ける社が多い。御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している。 諏訪大社の御柱は寅と申の年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。『諏方大明神画詞』(1356年)には平安時代初期の桓武天皇年間(781年~806年)に御柱祭実施の記載があり、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされる。
※この「御柱」の解説は、「諏訪大社」の解説の一部です。
「御柱」を含む「諏訪大社」の記事については、「諏訪大社」の概要を参照ください。
「御柱」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「御柱」を含む用語の索引
- 御柱のページへのリンク