しば‐い〔‐ゐ〕【芝居】
読み方:しばい
1 《5などに由来》歌舞伎などの興行物。しばや。「—好き」「—通」
2 役者などが演技をすること。また、その演技。「いい—をする」
3 計画的に人をだますためのこしらえごと。狂言。「ひと—打つ」
「搦手(からめて)は—の長酒盛(さかもり)にてさてやみぬ」〈太平記・九〉
5 勧進の猿楽・曲舞(くせまい)・田楽などで、舞台と桟敷との間の芝生に設けた庶民の見物席。〈日葡〉
6 歌舞伎など有料の興行物の見物席。特に桟敷に対して、大衆の見物席をいう。
[下接語] 操り芝居・田舎芝居・大芝居・御伽(おとぎ)芝居・戯(おど)け芝居・女芝居・陰芝居・歌舞伎芝居・紙芝居・絡繰(からく)り芝居・草芝居・首掛け芝居・小(こ)芝居・子供芝居・薦(こも)張り芝居・猿芝居・地(じ)芝居・書生芝居・素人芝居・壮士芝居・旅芝居・辻(つじ)芝居・道化芝居・緞帳(どんちょう)芝居・人形芝居・初芝居・一人芝居・宮芝居・村芝居
しば‐や【芝屋/芝▽居】
芝居
芝居
芝居
芝居
芝居
芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:29 UTC 版)
上述の通り新国劇(脚本・行友李風)、大衆演劇の定番である。 演歌歌手の公演でも演じられる。たとえば北島三郎の特別公演では、この話を劇に使ったことがある。 大衆演劇では、2011年5月に、西条晃(現・曾我廼家晃)が、国定忠治の処刑場の場までの長編の芝居を上演した。
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芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:15 UTC 版)
「佃 (東京都中央区)」の記事における「芝居」の解説
『佃の渡し』 - 作者と演出は北條秀司、演者は花柳章太郎。佃の渡しが舞台の芝居の演目であり、「花柳十種」の一つ。前述の楽曲『佃の渡し』とは舞台が同じだけであり、無関係。
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芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 03:10 UTC 版)
酒とともに、こよなく愛したのが能楽と「操り(人形浄瑠璃)」であった。暇さえあれば悪友たちと連れ立って出かけていき、上方に公用で出張した時など、同じ歌舞伎の演目を3日連続で見に行くなど、重度の中毒と言っても過言ではない。 「若宮にて操り。日親上人徳行記。太夫、笹尾平太夫、また側に踊りあり。太夫、隼桐之助八歳、軽業、物まね、大阪踊。」(元禄5年9月9日) 「予、石川三四郎、中野勘平(ともに友人か)と誘引し、若宮にて踊りおよび操りを見る。浄瑠璃の面白さ、からくりの奇妙さ、千花金字落五色、彩雲流廻背楽心実盛。」(元禄5年9月10日) 「予、若宮へ行き踊および操りを見る。能の加茂、但し中入りより帰る。」(元禄5年9月13日) 「予、若宮へ行く。踊りおよび操りを見る。能は田村なり。」(元禄5年10月15日) 「予、相応寺下神明にて神楽能を見る。」(元禄5年10月16日) 「予、若宮へ行き、操りを見る。能は高砂。中入り後、出る。」(元禄5年10月17日) 「予、若宮へ行く。踊および操りを見る。能は高砂。中入りより帰る。今日にて操り、仕廻(興業の終わり)なり。」(元禄5年10月18日) と、ひっきりなしに通っているのが分かる。内容にもうるさく、つまらなかった場合はダメ出しをしている。 「平左(加藤平左衛門)、分内(都築分内)、太田忠左(太田忠左衛門、それぞれ遊び仲間。加藤は同僚(御本丸御番)でもある)と児玉へ操り見物に行く。富士の牧狩。太夫は名人といへども、浄瑠璃古めかしく面白くなし。」(元禄8年4月10日) 「快晴。辰八刻(午前9時ごろ)、予、横長右(横長右衛門)、加平左(前述の加藤平左衛門、それぞれ遊び仲間)と共に日置へ行く。操り浄瑠璃を見る。御供米御蔵開く。太夫は加太夫流なり。みな善しと称す、然れども予を以ってこれを見れば、義太夫は入室、佐太夫は升堂を欲す。」(元禄10年2月9日)
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芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:41 UTC 版)
「アマド・V・ヘルナンデス」の記事における「芝居」の解説
彼の芝居脚本は、ほとんどが刑務所での経験に基づいている。 Muntinglupa, 1957 Hagdan sa Bahaghari (Stairway to the Rainbow), 1958 Ang Mga Kagalang-galang (The Venerables), 1959 Magkabilang Mukha ng Isang Bagol (Two Sides of A Coin), 1960
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芝居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 03:52 UTC 版)
コントの経験は豊富なものの、シリアスな芝居をさせると途端に大根役者になる。『ダウンタウンのごっつええ感じ』では彼の演技力を鍛えるためのコーナー(コーナー名は「龍としのぶ 俳優養成テレビ小説」)まで作られた。この企画では東野がセリフを言うシーンにだけ、台本に書かれている本当のセリフを字幕スーパーにして、画面下部に表示していた。これにより、ストーリーだけを見ればギャグの無いシリアスな筋書きのドラマだが、本人が劇中で発するセリフが台本のそれとは全然違うことがわかり、視聴者の笑いを誘発するという仕掛けが施されていた。 その後2001年に『明日があるさ』で久々のドラマ出演を果たしたが、演技力は全く成長しておらず、挙句には彼の演技のあまりの酷さに他の共演者のNGを誘発する始末となった(撮影初日のシーンで出したNGは8回)。そのため、本来ならNG同然の箇所も見受けられるが「これ以上の演技力は求められない」として放送されている部分もある。ガチガチの動きは浜田曰く「東野だけ時代劇だった」とのこと。 若手の頃Vシネマに出演し、ベッドシーンで騎乗位を行ったが、ガチガチで「高い高い」のようになっていた。 2004年に子供向け特撮ドラマ『戦隊シリーズ』の司令官役での出演オファーが来ていたことを自身の番組内で公表していたが、これは東映制作のスーパー戦隊ではなく、松竹制作の『魔弾戦記リュウケンドー』だった。後にこの役は諸処の事情から辞退し、同じ吉本興業所属の清水圭が演じる事となった。 尊敬する役者は萬屋錦之介である。
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「芝居」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女は芝居が大好きです
- その芝居はその劇場で上演される
- 幕が上がる,芝居が始まる
- 幕が下りた,芝居が終わった
- 退屈な芝居
- いたるところでユーモアが光る芝居
- その芝居の上演期間がもう1か月延長された
- 「昨夜のお芝居は楽しかった」「いや,ひどいもんだったよ」
- 芝居で主役を演じる
- 芝居が終わったらコーヒーを飲もうよ
- その芝居は複数のギリシャ神話をもとにしている
- こちらの役者は以前の芝居の役者よりもよかった
- 彼の話を額面どおりに受け取ってはいけない.彼はいつもお芝居をしているのだから
- 私たちはその人気のある芝居を上演しようと決めた
- 人形芝居
- 彼は私の最新作の芝居の中で医師の役を演じます
- 私に芝居のチケットを2枚取ってもらえませんか
- 芝居の脚本を書く
- 彼はよく芝居を見に行く
- 芝居の成功は結局は演技のよさにかかっている
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