刑場
処刑場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 01:55 UTC 版)
ゲモニアの階段での処刑は、罪人を階段の上で絞殺し、遺体を階段下へ転げ落とすというのが一般的であった。時には、ローマの他の刑場で処刑された遺体をこの階段に持ってきて晒すこともあった。フォロ・ロマーノからよく見える階段下の遺体はそのまま放置して犬などが食らうのに任せられ、最終的にテヴェレ川に投げ捨てられた。 ゲモニアの階段で処刑されることは恐ろしく不名誉なこととされているが、歴史上何人もの元老院議員や、時には皇帝までここで殺される憂き目にあっている。特に有名なのが、ティベリウス期の近衛隊長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスと、皇帝アウルス・ウィテッリウスである。セイヤヌスはティベリウスの親友であり腹心だったが、31年に反逆の陰謀を企てたと告発された。カッシウス・ディオによれば、セイヤヌスはゲモニアの階段で絞殺されたうえで投げ落とされ、遺体は3日間にわたり群衆に辱められたという。間もなく、セイヤヌスの3人の子どもたちも同様にゲモニアの階段で処刑された。 ウィテッリウスはローマ軍団長を務める将軍だったが、69年の四皇帝の年に名乗りを上げた。4月16日に前任のオトが自殺したのを受けてこの年3人目の皇帝に即位したが、その治世はわずか8か月しか続かなかった。自軍がウェスパシアヌスに敗れるとウィテッリウスは降伏することに同意したが、近衛隊は彼をローマから逃そうとしなかった。ウェスパシアヌス軍がローマに入ってきたとき、ウィテッリウスは隠れ家から引きずり出され、ゲモニアの階段から投げ落とされた。「それでも私はいったんはお前たちの皇帝だったのだぞ」というのが最期の言葉だった。 106年には、トラヤヌスに敗れ自殺したダキア人の王デケバルスの首級と右手が階段から投げ落とされている。
※この「処刑場」の解説は、「ゲモニアの階段」の解説の一部です。
「処刑場」を含む「ゲモニアの階段」の記事については、「ゲモニアの階段」の概要を参照ください。
「処刑場」の例文・使い方・用例・文例
- 処刑場のページへのリンク