東映とは? わかりやすく解説

東映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 22:59 UTC 版)

東映株式会社(とうえい、: TOEI COMPANY,LTD.[6])は、日本映画の製作、配給、興行会社。1951年に東京映画配給株式会社東横映画株式会社太泉映画株式会社を吸収合併して設立[7][8]。2023年現在、日本の映画会社では唯一2つの撮影所を保有しており、東宝松竹と共に日本のメジャー映画会社「御三家[8][9]三大メジャー[10]の一社となっている。




「東映」の続きの解説一覧

東映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「東映」の解説

新作2本立て量産体制強行するために子供向け連続活劇形式短編長編併映する中村錦之助東千代之介出演の『新諸国物語 笛吹童子シリーズ1954年三部作)、『新諸国物語 紅孔雀シリーズ1954年 - 1955年五部作)が子供達圧倒的に受ける。また、市川右太衛門片岡千恵蔵月形龍之介大友柳太朗出演の、大人向け時代劇活性化中村錦之助大川橋蔵主演作とともに、東映は時代劇王国としての地位を築く。現代劇でも東映ニューフェイスから、中原ひとみ高倉健水木襄佐久間良子梅宮辰夫千葉真一などの主演スター輩出した今井正監督『米』(1957年)、『純愛物語』(同)などの現代劇秀作ヒット作残した。また1958年10月日本初長編カラーアニメ映画白蛇伝』を公開するなど、日本アニメ映画中興の祖としての役割、東映シネマスコープ導入日本映画ワイド時代招聘した役割なども特筆的である。

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東映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「東映」の解説

観客動員No.1となった東映は、1960年第二東映1年後ニュー東映改称)を設立し、製作本数倍増して日本映画界の売上50%のシェア目指したがうまくいかず、2年解散映画不況始まった1960年代から1970年代初め鶴田浩二高倉健藤純子らを擁して仁侠ブーム作った。このジャンル開祖沢島忠の『人生劇場 飛車角』(1963年)といわれ、義理人情板挟みにあいながら自己犠牲を貫く内容だった。以降、『博徒』、『日本侠客伝』、『網走番外地』、『昭和残侠伝』、『緋牡丹博徒』といった任侠シリーズ人気博し1972年頃まで製作され内藤誠の『不良番長シリーズ』もヒットした一方で1969年にはオールスターキャストの『日本暗殺秘録』(主演千葉真一監督中島貞夫)を封切り公開し東大紛争安保闘争など騒然とした当時の世相反映させている。

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東映(70年代)

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日本映画」の記事における「東映(70年代)」の解説

学生運動衰退に伴い、東映の任侠モノは色あせた映画評されるようになった伊藤俊也の『女囚さそりシリーズ』の公開後1973年には実録路線の『仁義なき戦いシリーズや、格闘映画の『ボディガード牙シリーズなどが大ヒットし、以降次々とシリーズ化され、実録格闘路線経営支え二本となった。特に千葉真一格闘映画欧米東南アジアでも大ヒットした。1975年には日本国内では初めてのパニック映画である『新幹線大爆破』を公開したが、日本ではヒットしなかったものの、海外では高い評価をされて大ヒットした。同年には松竹の『男はつらいよシリーズ対抗したトラック野郎』が、『新幹線大爆破』より日本での興行収入上回ったことからシリーズ化され、菅原文太ヤクザ映画から脱却するきっかけとなった1978年には『柳生一族の陰謀』が大ヒットし、『赤穂城断絶』など次々と時代劇復興掲げた作品製作された。1970年代後半からは角川映画オフィス・アカデミーなどの独立プロ盛んに取り込んだ

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東映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)

時代劇」の記事における「東映」の解説

東横映画大映との提携解消する頃に、当時大映所属していて永田雅一社長衝突していた片岡千恵蔵市川右太衛門引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門は東映となった後に取締役就任した。全くスターがいなかった東横映画にとってはそれこそ観客呼べ看板スター持ったことになり、その後の東映においてスター中心システム作るきっかけとなった戦後それまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズ出演し、右太衛門時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。1950年千恵蔵いち早く従来時代劇復活させて渡辺邦男監督初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『女賊と判官』を出した。右太衛門松田定次萩原遼監督で『旗本退屈男』の『旗本退屈男捕物七人花嫁』『旗本退屈男捕物毒殺魔殿』を出しそれぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった1954年二本立て興行移り毎週新作二本製作体制になり、長編と東映娯楽と言われる中編連続物を組み合わせて、それに日舞出身東千代之介歌舞伎出身中村錦之助デビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じ歌舞伎から大川橋蔵デビューした。 そして1956年(昭和31年)に松田定次監督赤穂浪士』が大ヒットして、この年から業界トップ躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『次郎長三国志』『仇討崇禅寺馬場』、伊藤大輔監督中村錦之助主演反逆児』および『源氏九郎颯爽秘剣揚羽の蝶』、内田吐夢監督片岡千恵蔵主演血槍富士』および『大菩薩峠三部作、そして中村錦之助主演『宮本武蔵』五部作松田定次監督オールスターで『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』などが製作されて、時代劇スター中心プログラム組んで多数時代劇映画量産した。 東映は片岡千恵蔵市川右太衛門両者重役にして、ベテラン月形龍之介大友柳太朗、そして若手中村錦之助(のち萬屋錦之介)、東千代之介大川橋蔵らが育ちきらびやか豪快な東映時代劇を築いていく。片岡千恵蔵市川右太衛門御大呼ばれ千恵蔵が『いれずみ判官』(遠山の金さん)を、右太衛門が『旗本退屈男』といったそれぞれシリーズ持ち月形龍之介『水戸黄門』大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『丹下左膳』『右門捕物帖』、中村錦之助は『一心太助』『殿様弥次喜多『宮本武蔵』東千代之介は『鞍馬天狗』『雪之丞変化』、大川橋蔵『若さま侍捕物手帖』新吾十番勝負』の各シリーズ持ち加えて正月には『忠臣蔵』や『任侠清水港』『任侠東海道』『任侠中仙道』、お盆には『旗本退屈男』(1958年)『水戸黄門』(1960年)など歌舞伎顔見世のようにオールスターキャスト時代劇製作して1950年代後半(昭和30年代前半)は東映時代劇の黄金期であった。そしてこの量産時代の東映にあって作品作り続けた監督には伊藤大輔マキノ雅弘松田定次内田吐夢以外には田坂具隆佐々木康沢島忠加藤泰河野寿一工藤栄一、などがいた。

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