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げんじ 0 【源氏】

(1)(みなもと)姓の氏族の称。814年嵯峨天皇皇子に賜って臣下としたのに始まる。特に、清和源氏村上源氏宇多源氏花山源氏著名源家

(2)源氏物語」の略。また、その主人公
源氏物語
(3)〔源氏・平氏旗色から〕紅白の意を表す。


防府歴史用語辞典

防府市教育委員会防府市教育委員会

源氏 (げんじ)

天皇からもらった姓の1つで、もらった天皇ごとにいくつかのグループにわかれ、一部武士になっていきます。その中で最も力が強かったのが清和源氏せいわげんじ]で、平氏を倒して、鎌倉幕府かまくらばくふ]を開きました。



地名辞典

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源氏

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。


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源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/27 22:09 UTC 版)

源氏
家紋
笹竜胆(代表的な家紋
※ 各、源氏によって異なる。
本姓 朝臣
家祖 天皇皇子諸王
宮家諸王
種別 皇別
出身地 山城国
主な根拠地 山城国 ほか
著名な人物 源氏の人物一覧を参照。
支流、分家 嵯峨源氏
村上源氏
清和源氏
花山源氏
宇多源氏
正親町源氏 など

その他の源氏については、二十一流を参照。
凡例 / Category:日本の氏族

源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「」を・姓(本姓)とする一族である。日本においては皇族臣籍降下する際に名乗る氏の一つであった。姓(カバネ)は朝臣。もっとも有名なものは、幕府を開き将軍の家柄となった清和源氏であるが、家格が最も高いのは村上源氏であるとされる。流派はこのほか多数ある。

また、平安以降臣籍降下が頻発すると源、平の二姓ばかりになるが、最近の研究では、一世王、二世王が源、三世以降が平だった事が判明している。

源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞれ別の苗字を号しているため、現在「源」を今日的な意味のとして名乗る例はそれほど多くなく、推定人口は4,000人程である。

著名な源姓の人物に関しては、源氏の人物一覧を参照。

目次

概要

起源

源氏は源の姓を持つ氏族であるが、嵯峨天皇が生まれた子らにその姓を与え、皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて与えた。

嵯峨天皇に皇子皇女が増え、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道であった。親王ながら、皇位を望めない場合や、諸王にあって親王宣下を望めない皇族が自ら降下を求める場合と、朝廷から一方的に降下させる場合とがあり皇別氏族を取り巻く状況は朝廷の財政事情と常に連動する要素が強かった。

嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、嵯峨天皇を祖とする源氏を嵯峨源氏と称する様になり、以後源氏はそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって氏族の称とした(仁明源氏、文徳源氏清和源氏、宇多源氏など)。また、朝廷が皇族を臣籍降下させ源氏とした背景としては、上級貴族として皇室の藩塀とすることという理由もあったが、実際には3代目以降も上級貴族であり続けた例はほとんどなく、大半は受領階級として地方へ赴任しそこで土着して武士化するか、中央で中下級貴族として細々と生き延びた。他に、皇族に対して賜った姓としては、他に在原朝臣平朝臣などがある。

また、代表的な家紋である「笹竜胆」は北条氏の家紋である三角形が並んでいる「三つ鱗」より古く、日本最古の家紋であると言われている。

武家源氏と公家源氏

清和源氏は、二十一流あるといわれる源氏における一家系であるが、武家源氏として歴史上に名を馳せたことにより、清和源氏をして源氏と称することが多い。

この一族は清和天皇の皇子を祖とする。武家源氏として名を馳せた清和源氏においては畿内に始まり各地に土着しており、源満仲の子から摂津源氏大和源氏河内源氏とに分かれ、河内国を本拠地とした河内源氏源義家(八幡太郎義家)はその主流で、その子孫は鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される武門として栄え、さらに河内源氏からは石川源氏甲斐源氏常陸源氏下野源氏足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派している。摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏美濃源氏その他が分派しており、いずれも清和源氏一門であり、いわゆる「武家源氏」である。

清和源氏以外に武家となった源氏としては、嵯峨源氏の源融を祖とする「融流嵯峨源氏」があり、嵯峨源氏の武家として系譜を伝えた代表は、摂津国を基盤とした渡辺氏とその分流の松浦氏であり、また宇多源氏の中で武家として近江国を基盤とした系統は近江源氏(佐佐木源氏)と称し、佐々木氏として有力武士団に成長していく。

中央貴族として栄えた源氏として村上天皇の皇子を祖とする村上源氏がある。同じ源氏でも公卿として繁栄する系統や、武士や神官となる系統に別れるのは、政治情勢や臣籍降下する者、母方の勢力や身分がその後の官途に大きく左右する為である。特に天皇の皇子が降下することを、「一世の源氏」といい、任官の上で大いに優遇された。皇孫に至って臣籍降下することを「二世の源氏」といい、一世の源氏よりも家系的には不利を蒙った。

平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていたが、江戸時代に入って一家が生まれた(広幡家)のを最後に源氏賜与は途絶えた。嵯峨天皇以来、21代の天皇の子孫に源氏が与えられたと言われている(源氏を与えられた当人やその子の代で断絶・消滅した家も含めて)。

おもな源氏

嵯峨源氏

52代嵯峨天皇の子孫。嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。この内、源信源常源融左大臣となり、平安時代初期に朝廷の一大勢力をなした。また、源融の系統は地方に土着として武家となった。子孫に渡辺氏松浦氏蒲池氏など。

仁明源氏

54代仁明天皇の子孫。仁明天皇の子、源多源光右大臣となった。また、源光の子孫に、清和源氏の源満仲の妻の父であり、嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)の養父である源敦がいる。

文徳源氏

55代文徳天皇の子孫。左大臣となった源能有の子孫に北面武士となった坂戸氏がある。

清和源氏

56代清和天皇の子孫。もっとも栄えたのは第六皇子・貞純親王の子・六孫王経基の系統。河内源氏源義家が武家の棟梁となり、その子孫から鎌倉将軍家を輩出したことから武家棟梁の家柄とされ、嫡流の新田氏や、室町幕府を興した足利氏を初めとして、極めて多数の武家が清和源氏の子孫を称した。また、徳川氏など本来清和源氏ではない一族が源氏を自称した例もある。

陽成源氏

57代陽成天皇の子孫。清和源氏の祖とされる源経基は陽成天皇の孫とする説があり、この説に賛意を示す学者もいるが、広く学界の承認するまでには至っていない。 (参照→貞純親王

光孝源氏

58代光孝天皇の子孫。第一皇子である是忠親王の曾孫・源康尚仏師となり、この系統から仏工の各流派を輩出した。(七条仏所

宇多源氏

59代宇多天皇の子孫。第八皇子である敦実親王の子、源雅信源重信兄弟はいずれも左大臣となった。特に源雅信の子孫が栄え、公家としては堂上家5家を、武家として近江源氏佐々木氏や分流出雲源氏の諸氏が派生した。

醍醐源氏

60代醍醐天皇の子孫。第十皇子の源高明は左大臣となったが後に安和の変にて失脚した。源高明の子孫に岡本氏・河尻氏がある。他に、第一皇子・克明親王の子に管弦の名手として有名な源博雅がいる。

村上源氏

62代村上天皇の子孫。第七皇子の具平親王の子で藤原頼通の猶子となった右大臣・源師房の子孫が栄えた。その子孫からは多数の堂上家を輩出し、室町時代に足利氏に奪われるまで源氏長者は師房一族が独占した。

冷泉源氏

63代冷泉天皇の子孫。源氏二十一流に含まれるが具体的に源姓を賜与された子孫の名は伝わらない。

花山源氏

65代花山天皇の子孫。堂上家の白川伯王家となり、神祇伯を世襲して神道を統括した。

三条源氏

67代三条天皇の第一皇子・敦明親王の子孫。嫡流は源通季以降、正親正を世襲し、五位の王氏に復した。

後三条源氏

71代後三条天皇の第三皇子・輔仁親王の子孫。輔仁親王の子・源有仁は左大臣となった。源頼朝の家臣で平家物語にも登場する田代信綱は源有仁の孫とされる(『源平盛衰記』)。

後白河源氏

77代後白河天皇の第二皇子・以仁王(高倉宮)。以仁王は親王宣下がなされず、ついに治承4年(1180年)、最勝親王を名乗り安徳天皇平氏政権の排除を唱えて源頼政とともに挙兵するが、敗死した(以仁王の挙兵)。その際、後白河院から源姓を賜与されて名も「源以光」と改められ、流罪が下された。

順徳源氏

84代順徳天皇の第五皇子・忠成王、第六皇子・善統親王の子孫。善統親王の孫・源善成は四辻を号し足利義満の応援も受けて左大臣に昇った。

後嵯峨源氏

88代後嵯峨天皇の孫・源惟康。後嵯峨天皇の第二皇子・宗尊親王が第6代鎌倉将軍を退いた後、その長男で7代将軍に就任した惟康王に対し、源姓が賜与されて「源惟康」となった。ただしその後、鎌倉幕府が惟康を京へ追放し、代わりに久明親王を将軍に迎えるため、その下準備として幕府の要請により朝廷より惟康に対して親王宣下がなされ、惟康は皇族に復帰。すなわち「後嵯峨源氏」は惟康一代で終わった。なお、宗尊親王の孫にあたる宗治が後醍醐天皇の猶子となって源姓を賜与されている。

後深草源氏

89代後深草天皇の皇子で、鎌倉幕府8代将軍となった久明親王の子孫。久明親王の子守邦親王(9代将軍)・久良親王が源姓を賜与されたとされる[1]。また、久良親王の猶子(実は二条道平の子)源宗明は権大納言に昇った。

正親町源氏

106代正親町天皇の子孫。当初は武家だったが後に堂上家となり、広幡家清華家)を興した。


  1. ^ 守邦親王は『尊卑分脈』、久明親王は『本朝皇胤紹運録』に源姓を賜与されたとの記載がある。


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