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あしかが-よしみつ 【足利義満】
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防府歴史用語辞典 |
足利義満 (あしかがよしみつ)
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足利義満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 12:08 UTC 版)
足利 義満(あしかが よしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。
南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。
義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。
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- ^ 気宇壮大を史書は伝えるが、作家の海音寺潮五郎は単なるわがままであるとしている。
- ^ これを吉例として足利義教の元服では管領畠山持国一門、足利義政の元服では管領細川勝元一門が四役全てを占めて、幼少もしくは還俗直後の新将軍を管領一門が支えることをアピールする場としている。
- ^ 森茂暁『中世日本の政治と文化』(思文閣出版、2006年)P80-100。
- ^ 小川剛生『二条良基研究』(笠間書院、2005年)P87-90
- ^ 桜井、66-67p
- ^ 桜井英治、28p
- ^ この時最終案に残った「洪」のつく案は「洪徳」であったが、これまで永徳、至徳、明徳と「徳」の字がつく元号が連続しており、3回連続「治」のつく元号を用いた崇徳天皇や、4回連続「元」のつく元号を用いた後醍醐天皇の例と同じになり不吉とされた。ちなみにこの時案として後に用いられる寛永や宝暦が提案されている。
- ^ 服部敏良は流行の風邪にかかり、それが悪化し急性肺炎のような症状で死去したであろうと推測している。『室町安土桃山時代医学史の研究』吉川弘文館、1988年
- ^ 「歴史読本スペシャル 特別増刊「臨終の日本史その死の瞬間」」新人物往来社 昭和62年(1987年) p.207
- ^ 佐藤、409p
- ^ 桜井、111-112p
- ^ 早島2010、88頁。
- ^ 『後愚昧記』。
- ^ 『兼宣公記』。
- ^ 早島2010、140-141頁。『教言卿記』。
- ^ 現在では後小松天皇が100代目とされている。しかし当時は天皇の代数の数え方は必ずしも一致していなかった。現代では天皇とみなされる弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇の即位は一般には認められておらず、一方で神功皇后は即位したとされていた。当時は北朝が正統とされていたため、この数え方によると100代目は後円融天皇にあたる。
- ^ 早島2010、116頁。
- 1 足利義満とは
- 2 足利義満の概要
- 3 皇位簒奪と暗殺説
- 4 官歴
- 5 主な家系
固有名詞の分類
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