源頼綱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 04:06 UTC 版)
源 頼綱(みなもと の よりつな)は、平安時代後期の武将・歌人。多田頼綱(ただ の よりつな)とも呼ばれる。美濃守・源頼国の五男。官位は従四位下・三河守。
- ^ 『尊卑分脈』。
- ^ 頼綱が摂津源氏の嫡流となった理由は明らかでないが、兄たちの度重なる早世・配流が原因となった可能性が指摘される。なお四兄・実国は特に不祥事などなくその生涯を閉じているが、多田庄を継承しなかった。
- ^ 源盛子は盛実との間に少納言藤原顕憲(上杉重房の曾祖父)と左大臣藤原頼長の母となる一女を儲けている。
- ^ 頼綱は美濃守となった父・頼国と共に任国に下向していることが確認されており、摂津源氏の中では三男・国直の系統と養子とも記される弟・国房の系統が美濃へ進出した。
- ^ 頼光の弟頼範の子とする説が提示されたことがある。なお頼範の子の頼綱には範弘なる子息のみがあり、さらにその子・為綱は藤原章家(藤原北家山蔭流)の養子となったとある(『尊卑分脈』)。
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