藤原師実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 18:01 UTC 版)
藤原 師実(ふじわら の もろざね)は、平安時代中期から後期(院政期)にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原頼通の六男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。
注釈
- ^ そもそもは、藤原道長が生前に定めておいた方針に基づいている。
- ^ 関白職を獲得するまでの教通の忍従、特に頼通に対して従順であることは、ほとんど卑屈の域に達するものだった。ところがいったん関白に就任すると、教通はこれを自身の子である信長に譲ることを考え始める。教通は頼通が健在でいる間はたびたび関白の辞表を出したり、兼任していた左大臣を辞して頼通の嗣子・師実に譲ったりしていたが、いよいよ死期が近づいた頼通から関白を師実に譲るよう求められると、教通は天皇の裁可が必要云々を口実にこれを拒んだ。頼通は師実の関白就任を見届けることなく、延久6年(1074年)2月、83歳で死去した。
- ^ 当時、右大臣は空席。官を飛び越えられることは大変不名誉とされていた。
- ^ 篤子内親王の師実養女説の裏付として、師実や麗子の法要に内親王自らが参列していることなどが挙げられる[5]。
出典
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