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ほうじょう-まさこ ほうでう― 【北条政子】

(1157-1225) 源頼朝の妻。北条時政の女(むすめ)。頼家・実朝の母。頼朝死後は父時政・弟義時とともに幕政参与実朝死後京都から九条頼経を四代将軍に迎え、自ら後見として幕政裁断したので尼将軍と称された。


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北条政子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 20:07 UTC 版)

北条政子(菊池容斎画、江戸時代

北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国豪族北条時政の長女。子は頼家実朝大姫三幡姫。兄弟姉妹には宗時義時時房阿波局など。

伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉武家政権を樹立すると御台所(みだいどころ)と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。法名を安養院(あんにょういん)といった。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。

なお、「政子」の名は建保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それ以前は何という名であったかは不明。


  1. ^ 山木兼隆の伊豆配流は治承3年(1179年)の事であり、政子との婚姻話は物語上の創作と思われる。
  2. ^ 比企氏滅亡、頼家暗殺に関して鎌倉幕府編纂書である『吾妻鏡』には明らかな曲筆が見られ、頼家の悪評や比企氏の陰謀については北条氏による政治的作為と考えられるため、そのまま鵜呑みには出来ない。
  3. ^ 伊賀氏謀反の風聞については泰時が否定しており、『吾妻鏡』でも伊賀氏が謀反を企てたとは一度も明言しておらず、政子に伊賀氏が処分された事のみが記されている。伊賀氏の変は、影響力の低下を恐れる政子が義時の後妻の実家である伊賀氏を強引に潰すために創り上げた事件とする見方もある(参考文献:永井晋『鎌倉幕府の転換点 「吾妻鏡」を読みなおす日本放送出版協会)。


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