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ほうげん-のらん 【保元の乱】

1156年保元1)京都勃発した内乱皇位継承に関する崇徳上皇後白河天皇との対立に、摂関家藤原頼長と忠通との家督争い結びつき上皇・頼長側は源為義平忠正後白河・忠通側は源義朝平清盛らの武士団を招じ入れて戦い上皇方が敗北した。上皇讃岐に流され、頼長は戦傷死した。この乱は、のちの武家政権成立への端緒をなした。


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保元の乱

読み方:ホゲンノラン(hogennoran)

平安後期保元元年に起こった京都の乱。



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保元の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/16 13:05 UTC 版)

保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期の保元元年(1156年7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変である。


  1. ^ 『古事談』には父子の対立の原因として、崇徳天皇が白河法皇の子であり、鳥羽法皇は崇徳天皇を「叔父子」と呼んで忌み嫌っていたという逸話が記されている。
  2. ^ 妾腹の男子がいたが、母の身分が低いためか早くに出家している。
  3. ^ 「見存の父を置きながら、其の子即位の例なし」(『山槐記』永暦元年12月4日条)
  4. ^ 為義については摂関家の家人であり北面ではないとする見解が一般的であるが、『愚管抄』に「キタオモテ(北面)」と明記され、院主催の流鏑馬行事や強訴防御にも登場することから、北面に在籍していたとする説もある(横澤大典「白河・鳥羽院政期における京都の軍事警察制度-院権力と軍事動員-」『古代文化』527、2002年平成14年))。
  5. ^ この警備については、近衛天皇の崩御時と同様に、混乱一般の防止にあったとする説(河内祥輔)、動員の規模が大きく高松殿も警備の対象になっていることから、法皇没後に崇徳上皇や藤原頼長が兵を起こす危険に備えたという説(元木泰雄)がある。
  6. ^ ただし、後白河天皇も崇徳上皇同様に法皇の見舞いにも死後の対面にも行っておらず、崇徳上皇のみを拒絶の対象にしていた訳ではないとする指摘(河内祥輔)がある。
  7. ^ 法皇の遺体を棺に納めたのは、信西・藤原惟方・藤原成親源資賢・源光保・藤原信輔・藤原信隆・高階盛章の8名だった(『兵範記』7月2日条)。その後の政治的動向を見ると、信西と惟方が主導的立場にあったと思われる。
  8. ^ なお、背後で画策したのは忠通とする説(河内祥輔)もあるが、頼長を追い落とすためとはいえ、摂関家の威信を失墜させる「氏長者の謀反人認定」という措置に踏み切れたかどうか疑問が残る。一方、信西は低い身分からのたたき上げで死刑復活や寺社統制を断行するなど、伝統や権威に縛られない人物だった。摂関家に対しても畏敬の念はなく、むしろ倒すべき障害と認識していた可能性もある。
  9. ^ 「当時マコトニ無勢ゲナリ」「勢ズクナナル者ドモ」(『愚管抄』)
  10. ^ 『保元物語』では為朝だが、『愚管抄』では為義が献策したとする。
  11. ^ 東三条殿に一時的に皇居を移したことについては、高松殿が手狭で軍事拠点に不向きだった、摂関家の屈服を示す狙いがあった、薬子の変承和の変の先例に従ったなどの説があるが、正確な理由は不明である。
  12. ^ 『保元物語』は為朝と景義の戦闘を白河北殿の門内とするが、『吾妻鏡』は大炊御門河原であったとする。
  13. ^ 『兵範記』8月4日条には「ただ仏と仏との評定。余人、沙汰に及ばざるか」とある。仏は出家者のことであり、信西と美福門院を指していると見られる。
  14. ^ 東国の武士は朝廷が国衙を通して動員しており、義朝と主従関係にない武士も多く含まれていたという指摘がある(野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年平成19年))。


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