常陸国司
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常陸国司(ひたちこくし)は、常陸国の国司のことで、常陸守、常陸介、常陸大掾、常陸少掾、常陸大目、常陸少目の各1人で構成された。常陸国は、上総国・上野国とともに、天長3年(826年)以降、親王が国守を務める親王任国となり、この場合の常陸守を特に常陸太守と称した。親王任国となった当初から親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、国司の実務上の最高位は常陸介である。
- ^ 『日本思想大系 律令』官位令第1、新装版128-150頁。
- ^ 『日本思想大系 律令』職員令第2、大国条、新装版192-193頁。
- ^ 『続日本紀』、宝亀6年(775年)3月2日 (旧暦)の条
- ^ 『日本思想大系 律令』官位令第1、新装版192-193頁。
- ^ 『日本思想大系 律令』職員令第2、国博士医師条、新装版192-196頁。
- ^ なお、四品親王の場合、弾正尹に任じられる場合には「守」、太守に任じられる場合には「行」と記されている(『三代実録』)。
- ^ 高橋修「『常陸平氏』再考」(初出:高橋 編『実像の中世武士団』高志書院、2010年)/所収:高橋 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一六巻 常陸平氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-167-7)
- 1 常陸国司とは
- 2 常陸国司の概要
常陸介
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天長3年(826年)に常陸国が親王任国とされてからは、「常陸介」が実質的な実務上の最高位であり、官位は養老律令の官位令が定める大国の官位相当の介の正六位下ではなく、従五位以上であることに注意する必要がある。なお、『源氏物語』に登場する架空の人物に常陸介がいる。 大伴弟麻呂 - 783年(延暦2年)任官。 藤原緒嗣 - 791年(延暦10年)から797年(延暦16年)7月までの間のいずれか。 藤原維幾 - 平将門の乱発生時の国司。 菅原孝標 - 1032年(長元5年)から1036年(長元9年)、更級日記に常陸に下向する父と都に残る娘の別れの様子が書かれている。 源義光 - 1045年(寛徳2年)から1127年(大治2年)11月25日(10月20日) までの間のいずれか。 藤原実宗- 1107年(嘉承2年)前後 平家盛 - 1147年任官 平頼盛 - 1149年(久安2年)任官、1158年(保元3年)中務権大輔兼任として再任。 平経盛 - 1156年任官 平教盛 - 1160年任官 島津忠景 - 1267年(文永4年)から1295年(永仁3年)までの間のいずれか。 佐竹貞義 - 1287年(弘安10年)から1352年10月18日(正平7年/文和元年9月10日)までの間のいずれか。
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