平将門の乱とは? わかりやすく解説

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平将門の乱

読み方:タイラノマサカドノラン(tairanomasakadonoran)

10世紀関東反乱事件

別名 天慶の乱


承平天慶の乱

(平将門の乱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 03:50 UTC 版)

承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)は、平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱(たいらのまさかどのらん)と瀬戸内海での藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)の総称である。一般に承平天慶の両元号の期間に発生した事からこのように呼称されている。天慶の乱(てんぎょうのらん)とも呼ばれる。




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平将門の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:07 UTC 版)

平将門」の記事における「平将門の乱」の解説

詳細は「承平天慶の乱#平将門の乱」を参照 この頃武蔵権守となった興世王は、新たに受領として赴任してきた武蔵国百済王貞連不和になり、興世王任地離れて将門を頼るようになるまた、常陸国不動倉破ったために追捕令が出ていた藤原玄明庇護(ひご)を求めると、将門は玄明を匿い常陸国府からの引渡し要求拒否した。そのうえ天慶2年11月21日940年1月3日)、軍兵集めて常陸府中石岡)へ赴き追捕撤回求める。常陸国府はこれを拒否するとともに宣戦布告したため将門やむなく戦うこととなり、将門手勢1000人余ながらも国府3000人をたちまち打ち破り常陸介藤原維幾あっけなく降伏国衙将門軍の前に陥落し将門印綬没収した結局この事件によって、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}不本意ながら朝廷に対して反旗を翻すかたちになってしまう[独自研究?]将門側近となっていた興世王の「案内ヲ検スルニ、一國ヲ討テリト雖モ公ノ責メ輕カラジ。同ジク坂東虜掠シテ、暫ク氣色ヲ聞カム。」との進言を受け、同年12月11日下野出兵事前にこれを察知した藤原弘雅・大中臣完行らは将門拝礼して鍵と印綬差し出したが、将門は彼らを国外放逐した続いて同月15日には上野出兵迎撃出た藤原尚範(同国親王任国のため、介が最高責任者藤原純友叔父)を捕らえて助命する代わりに印綬接収してこれまた国外放逐19日には指揮官失った上野国府を落とし関東一円手中に収めた。八幡神菅原道真の霊の神託降ったことにより、「新皇」を自称するようになり、独自に除目行い岩井茨城県坂東市)に政庁置いた即位については舎弟平将平小姓伊和員経らに反対されたが、将門はこれを退けた菅原道真の霊がここで登場するのは、道真の子息たちが東国国司任命されており(菅原景行常陸介菅原旧風武蔵介、菅原兼茂が常陸介)、特に兼茂は承平年間後半ごろに常陸介であっただけでなく、『扶桑略記』には彼が父・道真の霊と対話したという逸話記されているため、兼茂が常陸でこのことを語ったことが、将門の「新皇即位にも影響したではないかという説がある。 新皇将門による諸国除目素性下野守平将頼将門弟) 上野守多治経明陣頭・常羽御廐別当常陸介藤原玄茂常陸掾) 上総介興世王武蔵権守安房守:文屋好立(上兵) 相模守:平将文(将門弟) 伊豆守平将武将門弟) 下総守平将為将門弟) なお、天長3年826年9月上総常陸上野の三か国は親王太守正四位下当の勅任の官)として治め親王任国となったが、この当時は既に太守都にいて赴任せず代理に介が長官として派遣されていた。当然ながら「坂東王国」であるなら朝廷慣習踏襲する要は全く無く常陸守上総守任命すべきであるが、何故か介を任命している。ここでの常陸上総の介は慣習上の長官という意味か、新皇直轄という意味か、将門記記載のとおり朝廷には二心がなかったという意味なのかは不明である。その一方で上野については介ではなく守を任命しており、統一されていない将門謀反の報はただちに京都もたらされ、また同時期に西国藤原純友の乱報告もあり、朝廷驚愕する。直ち諸社諸寺に調伏祈祷命じられ、翌天慶3年940年1月9日には源経基以前密告現実になったことが賞され従五位下叙され1月19日には参議藤原忠文征東大将軍任じられ、忠文は屋敷帰ることなく討伐軍長官として出立したという。 同年1月中旬関東では、将門が兵5000率いて常陸国出陣して、平貞盛と維幾の子為憲の行方捜索している。10日間に及び捜索する貞盛らの行方知れなかったが、貞盛の妻と源扶の妻を捕らえた将門は兵に陵辱された彼女ら哀れみ着物与えて帰している[要出典]。将門下総本拠帰り、兵を本国帰還させた。『将門記』では「然ルニ新皇ハ、井ノ底ノ浅キ励ミヲ案ジテ、堺ノ外ノ広キ謀ヲ存ゼズ。」と、この将門一連の行動を“浅はか”であると評しており、事実その足場固めねばならない大事な時期貞盛らの捜索のために無駄に時間兵力使ったことは、後々運命を見ると致命的となったと言える間もなく貞盛下野国押領使藤原秀郷力をあわせて4000集めているとの報告が入る。将門諸国から召集していた軍兵のほとんどを帰国させていたこともあり手許には1000人足らずしか残っていなかったが、時を移して不利になる考えて2月1日期して出撃した。将門副将藤原玄茂武将多治経明坂上遂高らは貞盛・秀郷軍発見する将門報告もせずに攻撃開始するも、元来老練な軍略長じた郷軍に玄茂軍は瞬く間敗走貞盛・秀郷軍はこれを追撃し下総国川口にて将門軍と合戦となる。将門自ら陣頭立って奮戦したために貞盛・秀郷らもたじろぐが、時が経つにつれ数に勝る官軍将門軍は押されついには退却余儀なくされた。 この手痛い敗戦により追い詰められ将門は、地の利のある本拠地に敵を誘い込み起死回生大勝負仕掛けるために幸島郡の広江隠れる。しかし貞盛・秀郷らはこの策には乗らず勝ち戦勢い民衆呼びかけ更に兵を集め藤原為憲加わり2月13日将門本拠石井攻め寄せ焼き払う焦土作戦」に出た。これによって民衆住処失い路頭に迷うが、追討軍による焼き討ちを恨むよりも、将門らにより世が治まらないことを嘆いたという。当の将門は身に甲冑をつけたまま貞盛らの探索をかわしながら諸処転々とし、反撃向けて兵を召集する形勢悪くて思うよう集まらないために攻撃転ずることもままならず、僅か手勢400率いて幸島郡の北山を背に陣をしいて味方援軍を待つ。しかし、味方来援よりも先にその所在が敵の知ることとなり寡兵のまま最後の決戦の時を迎えることとなった2月14日未申の刻(午後3時)、連合軍将門合戦始まった北風吹き荒れ将門軍は風を負って矢戦を優位に展開し連合軍攻め立てた貞盛方の中陣奇襲をかけるも撃退され貞盛・秀郷・為憲の軍は撃破され軍兵2900人が逃げ出しわずかに精鋭300余を残すこととなってしまう。しかし勝ち誇った将門自陣に引き返す途中急に風向き変わり南風になると、風を負って勢い得た連合軍ここぞとばかりに反撃転じた将門は自ら馬を駆って陣頭に立ち奮戦するが、風のように駿足飛ばしていた馬の歩み乱れ将門武勇の手だてを失い飛んできた矢が将門の額に命中しあえなく討死した。 首は平安京運ばれ晒し首となった獄門歴史上確認されている最も古く確実な例が、将門である。 この将門の乱は、ほぼ同時期に瀬戸内海藤原純友起こしたと共に、「承平天慶の乱」と呼ばれる

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